子供が小さい内は、子は親の一部であり(所有物という意味ではないですた‼️)子供の問題は、親の写し鏡。
な〜んて事を言ってくれる友人が私には居ます(笑)
しかもナイスなタイミングで、そういうこと言うんだよね〜
自分の非を認めるのって、胸が痛むし簡単な事ではない。
それが、最近ちょっと出来るようになってきたみたいで。
あまり自覚がなかったんだけど(笑)
癒やされてきて、自分の非を認める事が出来るようになってるんだねって、セラピー仲間も又、気付かせてくれた
娘の不登校を思うとき、自分の「社会批判」を感じる。うすうすね、、、
子供の頃から、公務員や先生など、公の存在を毛嫌いし、世の中を外から腕組みして見てきたような私。
でも、その仲間に入りたい気持ちも有り、でも拒否する気持ちも強く、馴染みきれない寂しさが有るのかもしれない。
そういう私の思想が、娘に映し出されているのかなと考えるようにもなった。
娘が不登校になり、担任の先生や学校に腹も立ったけど、先生の大変さも分かっていたし、だんだん、責める気持ちが薄れている。
でもまぁ、長期間休んでいて復帰する際に「1年生しか担任しません‼️」と教育委員会に宣言して戻ったような不安定&怒鳴って生徒に言う事をきかせるような先生を、新1年生の担任にする事については、もう少し考えてもらいたかったけど
まぁ、それはさて置き、私の社会に対する見方も、「悪」に偏りすぎていたかもしれないと思うようになった。
社会にも学校にも、問題は有るだろうけど、その一方で、恩恵を受けている事だって有るし、物事全ての発想が「悪」からでは無いハズなんだ。
「良くしよう」と思い一人一人頑張っているハズなんだ。
「良くしよう」「良くなろう」としているハズだと、思えるようになってきたかな⁉️
完璧な親も居ないなら、完璧な社会や世の中も有り得ないかな。
不出来を、もっと受け入れ楽しんだほうがいいかもしれない。