あの地震の時、私は仕事をしていました。
病棟のナースステーションには、看護師数名と車いすに座った患者さん。
そして、地震。
あんなに長い地震ははじめてでした。
久々に、怖いと思いました。
書類や本が落ちてきました。
お見舞いに来ていた方に、壁沿いに寄ってもらい手すりにつかまってもらい。。
動揺する車いすの患者さんの肩に手を乗せ、私も壁に手をつく。
そして停電。
病院にとって停電はとても大変なことです。
呼吸器をつけている患者さん。心電図のモニターをつけている患者さん。透析を行っている患者さん。レントゲンも血液検査も、全部電気を使います。エレベーターが動かないから、リハビリに行っている患者さん(つまり自分で歩けない)が戻れない。食事が作れない。
その時、手術が2件行われていました。非常電源に切り替わり、一件のオペはギリギリ終わった。もう一件のオペは、最後は懐中電灯で照らしてオペをした。そして動かせない患者さんを(手術後だからおぶるわけにもいかず)部屋に戻す事もできず…
私は看護師さんじゃないからできる事が限られている。でも、何をしたらいいのかわからず、おろおろしてしまった。。ダメだ。もっと動かないと…。そう思っても、何をしたらいいかわからない。とりあえず、自分の仕事をしたり、トイレの対応をしたり(トイレも流れなくなるので)。
幸いにもその日の夜遅くに、電気は復旧したらしい。よかった。
その時両親は、いわきにいた。湯本の温泉にちょうど着いた時らしい。
車を降りたらなんだか隣の大型バスが揺れている…?
「こわくてパパと手をつないでしゃがんだわ~」
電話で母は笑っていた。
…おいおい。こんな時にノロけないでよ。ちょっとイラっとした(笑)←ふだんはこんな事を言う母ではない。
「今帰ろうとしてるから~」
そう笑っていたので、私は安心した。二人一緒だったら大丈夫だろう。なぜか、そう思った。
夜家まで歩いて帰ってきて、怖くてコートも脱げなかった。お風呂入ってる間にまた大きな地震が来たら…そう思ったらお風呂も入れなかった。翌日はイベントの予定だったから、やるかどうかはわからなかったけど、一応人前に出るのでお風呂は入っておきたかったけれど…
父の携帯はつながらなかった。でもきっと大丈夫だろうとなぜか思っていた。
こわくて眠れず、携帯でツイッターとか見ながら、地震速報にビクビクしながら、ちょっと寝たりして、明るくなった。
6時に家に電話した。コールはするけど、出ない。父の携帯に電話する。「混雑しています」「電波の届かない所にいるか…」そういう音声も流れず…つながらない。焦った。まさか。。
テレビの映像を、見れば見る程不安が強くなる。湯本から帰るにはルートは2つ。海側の国道6号線か、山側の高速道路。まさか昼間だから…って六国(通称ろっこく)通ってないよね。まさか津波に飲まれてないよね。。不安で不安で、涙がとまらない。
最悪な事に、私は兄の携帯番号を知らなかった。転勤前の住所しか知らなかった。弟に電話してみる。出ない。弟は物書きなので夜が遅い。だから6時代の電話に出るはずがない。。
常磐線が動くらしいというニュースを見て、もう行くしかないと思い、実家の鍵とお水と昨日買ったパンと、買ってあったバナナを持って家を出た。
電車はもちろんスムーズに動かない。その間に弟にメール。1時間位したら返事が来た。
「とにかく冷静になりなさい。」
弟に忠告される。わかってるよ。わかってるけど、どう冷静になれっていうのさ。
やっと上野まで来たけれど、常磐線は長蛇の列。あまりの長蛇に、みんなが写メっていく程。待ちくたびれて列を離れる人もちらほら。
そして携帯が鳴った。
「公衆電話」
とっさに両親だ!と思い電話に出た。
もう両親だと思って出たので、すでに泣いている。
母はあっけらかんとしていて、しかも私の声が変だと言い(泣いてるんだもん、しょうがないじゃん)「誰?」とか言い出す(笑)誰にかけたんだよ。。
そして、泣いてる意味がわからず、なんで?とか言う。。
なんでじゃないよ。。
今回最大のミスは、兄の連絡先を知らなかった事でした。兄は夜も父の携帯に電話がつながったらしいし、朝も繋がっていたらしい。兄と話せていたら、私はこんなに動揺しなかったし上野までいかないで済んだ。でもねぇ、、うち、家族そんなに仲良くないのよ。兄は本気で私をいじめていたし、だから私も兄家族とはそんなに会ってないし。。
でもね、やっぱ兄弟だし親子だし、こういう時のために緊急連絡先はお互い知ってないとダメですね。。今回学びました。
そして。
ホントに、ひとりが不安でした。
誰かに隣にいて欲しいと思いました。
誰かに手を握っていてほしいと思いました。
私はそんなに強くない。
強くなりたいと思っていたけれど、そこまで強くなれないと思っています。
そんなに強くなりたくないと最近は思います。
いつもひとりで乗り越えて、そうして私は強くなってきたんだと思う事もあります。
だって誰かが助けてくれる訳じゃないもんって思って、自分で自分を守ってきました。
でも、限界だなと思いました。
誰かに頼りたいんだよ私も、って思いました。
昨日も、誰かがそばにいたら、冷静になれよって言ってくれる人がいたら、私の行動はまた違ったと思います。助言じゃなくても、私の話しを聞いてくれて…会話してくれる人がいたら、また違ったんだと思います。
ひとりは不安だなぁと思いました。
切に、思いました。
とにかく、両親が無事に帰れてよかった。
家の中はめちゃくちゃだったみたいだし、ライフラインは寸断されていたけれど。
無事で、よかった。
でもまだまだ、安否がわからないひとがたくさんいます。
助けを待っている人がいます。
連絡がとれなくて不安に思っている人がたくさんいます。
一刻も早く、助かりますように。
一人でも多く、笑顔が戻りますように。
明日からまた仕事です。
まずは、自分の毎日をしっかり送りたいと思います。
そして、自分のできること、ちいさなことでもやっていきたいと思います。
おやすみなさい。
みんなが安心して眠れる日が、一日でも早くやってきますように。
病棟のナースステーションには、看護師数名と車いすに座った患者さん。
そして、地震。
あんなに長い地震ははじめてでした。
久々に、怖いと思いました。
書類や本が落ちてきました。
お見舞いに来ていた方に、壁沿いに寄ってもらい手すりにつかまってもらい。。
動揺する車いすの患者さんの肩に手を乗せ、私も壁に手をつく。
そして停電。
病院にとって停電はとても大変なことです。
呼吸器をつけている患者さん。心電図のモニターをつけている患者さん。透析を行っている患者さん。レントゲンも血液検査も、全部電気を使います。エレベーターが動かないから、リハビリに行っている患者さん(つまり自分で歩けない)が戻れない。食事が作れない。
その時、手術が2件行われていました。非常電源に切り替わり、一件のオペはギリギリ終わった。もう一件のオペは、最後は懐中電灯で照らしてオペをした。そして動かせない患者さんを(手術後だからおぶるわけにもいかず)部屋に戻す事もできず…
私は看護師さんじゃないからできる事が限られている。でも、何をしたらいいのかわからず、おろおろしてしまった。。ダメだ。もっと動かないと…。そう思っても、何をしたらいいかわからない。とりあえず、自分の仕事をしたり、トイレの対応をしたり(トイレも流れなくなるので)。
幸いにもその日の夜遅くに、電気は復旧したらしい。よかった。
その時両親は、いわきにいた。湯本の温泉にちょうど着いた時らしい。
車を降りたらなんだか隣の大型バスが揺れている…?
「こわくてパパと手をつないでしゃがんだわ~」
電話で母は笑っていた。
…おいおい。こんな時にノロけないでよ。ちょっとイラっとした(笑)←ふだんはこんな事を言う母ではない。
「今帰ろうとしてるから~」
そう笑っていたので、私は安心した。二人一緒だったら大丈夫だろう。なぜか、そう思った。
夜家まで歩いて帰ってきて、怖くてコートも脱げなかった。お風呂入ってる間にまた大きな地震が来たら…そう思ったらお風呂も入れなかった。翌日はイベントの予定だったから、やるかどうかはわからなかったけど、一応人前に出るのでお風呂は入っておきたかったけれど…
父の携帯はつながらなかった。でもきっと大丈夫だろうとなぜか思っていた。
こわくて眠れず、携帯でツイッターとか見ながら、地震速報にビクビクしながら、ちょっと寝たりして、明るくなった。
6時に家に電話した。コールはするけど、出ない。父の携帯に電話する。「混雑しています」「電波の届かない所にいるか…」そういう音声も流れず…つながらない。焦った。まさか。。
テレビの映像を、見れば見る程不安が強くなる。湯本から帰るにはルートは2つ。海側の国道6号線か、山側の高速道路。まさか昼間だから…って六国(通称ろっこく)通ってないよね。まさか津波に飲まれてないよね。。不安で不安で、涙がとまらない。
最悪な事に、私は兄の携帯番号を知らなかった。転勤前の住所しか知らなかった。弟に電話してみる。出ない。弟は物書きなので夜が遅い。だから6時代の電話に出るはずがない。。
常磐線が動くらしいというニュースを見て、もう行くしかないと思い、実家の鍵とお水と昨日買ったパンと、買ってあったバナナを持って家を出た。
電車はもちろんスムーズに動かない。その間に弟にメール。1時間位したら返事が来た。
「とにかく冷静になりなさい。」
弟に忠告される。わかってるよ。わかってるけど、どう冷静になれっていうのさ。
やっと上野まで来たけれど、常磐線は長蛇の列。あまりの長蛇に、みんなが写メっていく程。待ちくたびれて列を離れる人もちらほら。
そして携帯が鳴った。
「公衆電話」
とっさに両親だ!と思い電話に出た。
もう両親だと思って出たので、すでに泣いている。
母はあっけらかんとしていて、しかも私の声が変だと言い(泣いてるんだもん、しょうがないじゃん)「誰?」とか言い出す(笑)誰にかけたんだよ。。
そして、泣いてる意味がわからず、なんで?とか言う。。
なんでじゃないよ。。
今回最大のミスは、兄の連絡先を知らなかった事でした。兄は夜も父の携帯に電話がつながったらしいし、朝も繋がっていたらしい。兄と話せていたら、私はこんなに動揺しなかったし上野までいかないで済んだ。でもねぇ、、うち、家族そんなに仲良くないのよ。兄は本気で私をいじめていたし、だから私も兄家族とはそんなに会ってないし。。
でもね、やっぱ兄弟だし親子だし、こういう時のために緊急連絡先はお互い知ってないとダメですね。。今回学びました。
そして。
ホントに、ひとりが不安でした。
誰かに隣にいて欲しいと思いました。
誰かに手を握っていてほしいと思いました。
私はそんなに強くない。
強くなりたいと思っていたけれど、そこまで強くなれないと思っています。
そんなに強くなりたくないと最近は思います。
いつもひとりで乗り越えて、そうして私は強くなってきたんだと思う事もあります。
だって誰かが助けてくれる訳じゃないもんって思って、自分で自分を守ってきました。
でも、限界だなと思いました。
誰かに頼りたいんだよ私も、って思いました。
昨日も、誰かがそばにいたら、冷静になれよって言ってくれる人がいたら、私の行動はまた違ったと思います。助言じゃなくても、私の話しを聞いてくれて…会話してくれる人がいたら、また違ったんだと思います。
ひとりは不安だなぁと思いました。
切に、思いました。
とにかく、両親が無事に帰れてよかった。
家の中はめちゃくちゃだったみたいだし、ライフラインは寸断されていたけれど。
無事で、よかった。
でもまだまだ、安否がわからないひとがたくさんいます。
助けを待っている人がいます。
連絡がとれなくて不安に思っている人がたくさんいます。
一刻も早く、助かりますように。
一人でも多く、笑顔が戻りますように。
明日からまた仕事です。
まずは、自分の毎日をしっかり送りたいと思います。
そして、自分のできること、ちいさなことでもやっていきたいと思います。
おやすみなさい。
みんなが安心して眠れる日が、一日でも早くやってきますように。