長崎の方が、北海道に行った時、原爆の話しをしようとしたら止められたそうだ。
彼女からしてみたら、ごく当たり前のように「二度と繰り返さないために」話そうとしただけなのに、やめてくれと言われた。

確かに、原爆の話しをされたら雰囲気は重くなるかも知れない。
でも、確かにあった原爆のその被害を、本の世界の出来事ではなく、現実のものとしてしっかり肌で感じている長崎県民としては、その悲しみや苦しさを、二度と他の人に体験して欲しくないという思いが強いのも、確かな事だと思う。


私の父は満州で生まれた。2歳でいわゆる引き揚げ船で帰ってきた。その船中で、お姉ちゃんをなくした。100歳になるおばあちゃんは、もう何十年も前に痴呆症になり、私の事も父の事もわからない。でも、お見合いをした時の事、満州に行った時の事、満州から帰ってくる船の事、そこで子供が死んでとてもとても辛かった事を話してくれた。

もしかしたら、父は残留孤児になっていたかも知れない。私もここで生活してなかったかも知れない。

戦争は、たくさんの人生を変えた。その時を生きた人の人生も、その先に生きる人の人生も。

100年以上続く老舗の昔の会社の社長は、末っ子で家を継ぐ必要はなかったので野球をやっていた。成績もよく、進学校に通い、甲子園にも行った。しかし、戦争でお兄さんたちがみんな死んでしまい、野球をやめて商業学校に進み、実家を継いだ。

その会社によく遊びに来るおばちゃんがいた。社長の奥さんと仲がいいので、親戚の方かと思っていた。そしたら、近所のお姉ちゃんだよ、って。戦争でみんな死んじゃって身寄りがなかったから、うちで一緒に暮らしてた、兄弟みたいなお姉ちゃんだよ、と。とても普通に、当たり前のように、社長は笑顔でおっしゃった。

ほんの70年位前のこと。自分の親の世代のこと。
進化しても、どんなに世界が変わっても、忘れてはいけないこと。

戦争は、人生を変えてしまう。
でも、それで終わってはいけない。そこで見たもの、感じたもの、経験したもの、後悔したこと、信じたこと、それをこの先に繋げていかなくてはいけない。それが、残されている者の、今ここにいる人の、できること。ひとりひとりが思うことを、ひとりひとりのできる事でつなげていけたら、きっとそれでなにかが変わる。

ヒデが昔言っていた。自分ひとりが募金や寄付する事には限界があるし、あまり意味のある事ではない。みんなが意識をする事の方が大事だ、と。彼のような(正しい意味での)セレブが「広告塔」となり発信して、それに賛同して何千人、何万人の人の意識が変わり行動に移す事。それが大事であり、大切なことだと、私も思う。チャリティに参加する事も大事だけれど、その先に意味があるのだと思う。

「本の中の出来事」で終わらせないために、きっと彼女はこれからも語り、そして歌ってゆくのだろう。
私はそれを、応援していこう。自分の感じた、信じた事を。