春にカメラ女子な友達に誘われて、カメラの展示会に行った。講座に参加したり、たくさん出展している企業のカメラに触れたり、写真好きな人たちの写真展を見たり。私は写真は好きだけど、そんなに凝ってないので(コンデジしか持ってないし)、なんとなーくな感じで見ていた。

夕方、友達がちょっと気になるトークショーがあるから行こう!と言うので、言われるがままにそのブースに向かった。まだ席が空いてる,座ってお話を聞くことになった。


「ただのいぬ。トークショー。」

話しが始まって、席を立つ人もちらほら。途中友達も「大丈夫?やめとく?」と聞いてくれたけど、立てなかった。大丈夫、最後まで聞こう。



ただのいぬ。

それは、保健所に連れていかれた迷いいぬ、捨てられたいぬたちのおはなしだった。
引き取られたり、飼い主さんが探しに来て一緒に帰れるいぬは、ほんの10%。
残り90%は、ガス部屋に行くのです。

この先は、読みたい方だけサイトをご覧ください。

http://www.tadanoinu.com/index.html


トークショーでは、写真を撮った写真家の服部さんのお話を聞きながら、撮ってきたいぬたちの写真を流していました。


新しい飼い主さんにもらわれていったただのいぬたちの写真も、服部さんは撮られています。
その後の姿をぜひ写真に納めたいのですが…そう電話して、快諾して下さる方、断る方。様々です。

その中で、

「実は先日、亡くなったんです。せっかくなのに、1年しか生きる事ができなくて、ごめんなさい」

そういう返答があったという話しをされていました。

この話しをされた時、私は泣いてしまいました。隣に友達がいるのに。服部さんの目の前なのに。

新しい飼い主さんが、とてもかわいがっていた様子が目に浮かびました。しかも、もらってくださったのに(あえてこの書き方をします)、ごめんなさいだなんて。。

1年前にそこで終わってしまったかも知れない命が、1年「も」生きながらえたのに、と思ってしまいますが、本当は、捨てられてなかったら、そのいぬの寿命はもっとあったのかも知れません。

でも、飼ってくれたからこそ、そのいぬは1年生きたのです。そう、「生きた」のです。


私の実家でも、こどものころ、いぬを拾いました。いなかで、動物病院なんてないようなとこでしたので(動物病院というものがある事さえ知らなかった)、弱っていたこいぬたちはみな死んでしまい、一匹だけ生きました。いぬを飼う知識なんてなかったので、ネギもトリの骨も食べさせていましたが…10年以上生きました。そして最後は散歩に行っても歩けず抱えて帰ってくるようになり、老衰で亡くなりました。

たぶん雑種でしたけど、とてもかわいかったです。

今はいぬを飼っていません。両親は体力的に世話ができないし、私も独り暮らしだから。
好きだからこそのこういう選択肢もあるのです。


あまり偉そうな事は書けませんし、押し付ける事もできません。
気になったかたは、「ただのいぬ。プロジェクト」のサイトをご覧ください。
なにか感じてくださったら、幸いです。


※このブログは、光永亮太さんのブログを読んで、書こうと思いました。
自分の考えを押し付けるようなことはしたくないのですが、でもやっぱり、こういう現実を知ってほしいと思って、思い切って書きました。ペットを「捨てる」という行動の裏にはいろいろな思いがあると思うのですが、それでもやっぱりしてはいけない事だと思うので、その行動の前に深呼吸して思い出して欲しいと思って書きました。

今、病院で働いているので、なおさら思います。

でも、これを読んで気分を害した方がいらっしゃったらごめんなさい。思い出して暗い気持ちになってしまったら、ごめんなさい。私もただのひとですが、おなじいのちあるいぬたちのことを思って書きました。