聖飢魔II、武道館2daysに向けて | BIGな気分で語らせろ!

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ビートたけしさん、北野武監督、たけし軍団、その他諸々について気が向いた時に。

聖飢魔IIの武道館2daysに向けて。

私は聖飢魔IIの再集結の時は、毎回「これが最後かも知れない」という気持ちで見ています。そしてそれは、聖飢魔II信者に共通の思いでもあるでしょう。

しかし特に今回の再集結は、これで本当に最後なのではないかという雰囲気が今まで以上に感じられます。
Twitter等で多くの方が仰っていますが、そうなるとどうしても1999年の本解散に向かっていた時の、あの独特の空気感を思い出してしまいます。

1999年当時はネットも今ほど発達していなかったので、私は聖飢魔IIに対する気持ちを共有できる相手がいませんでした。故にその聖飢魔IIを好きだという気持ちをぶつけられる相手は、ミサの時の聖飢魔II御本尊様だけでした。
聖飢魔IIにぶつけるというのもおこがましい事かも知れませんが、同じ様な気持ちだった人も多いと思います。
そして聖飢魔IIもそれに応えてくれていたと、私は今だに本気で思っています。

「Brand New Song」の時によく参謀がやっていた、客席に「もっと来いよ!」と煽る様なジェスチャーや、信者達の盛り上がりに呼応するかの様に熱量を帯びて行く聖飢魔IIの鬼気迫る姿と音。
そういった光景を目の当たりにすると、本当に気持ちを受け取って貰えたんだという実感があったものです。

そう考えると私にとってあの当時のミサは、

“聖飢魔IIを好きだという気持ちを聖飢魔IIにぶつける場”

…であったのかも知れません。

聖飢魔IIを好きだと言うだけで、周りから白い目で見られる。今では考えられませんが、1999年当時はまだまだ世間的に聖飢魔IIは認められているとは言い難い時代背景があり、そんな悔しい思いをした方も多いと思います。
私はそんな悔しい思いを抱えながら、聖飢魔IIのミサへと向かっていました。しかしそこに行けば、聖飢魔IIを好きで好きでしょうがない人達が沢山いる。この事にどれだけ勇気付けられたでしょうか。

そして聖飢魔IIのミサというものは、日々抑え込まれて鬱屈したそれぞれの想いが、聖飢魔IIの紡ぐ音と共に美しいエネルギーへと昇華する、そんな空間でもあったと思います。それがあの独特の空気感を作ったのかも知れません。
あの時の聖飢魔II自身やそれを取り巻く人々。そのエネルギーの全てが一丸となったかの如き熱い空気感は、絶対に忘れられませんし自分の原点でもあります。

そしてミサが聖飢魔IIに対する想いをぶつけられる場である事は、勿論今でも全く変わらないと思います。

それぞれのある意味では切実な想いが凝縮されていた、あの当時のミサと今のミサでは雰囲気は随分と変容を遂げました。世間一般の聖飢魔IIに対する評価もようやく追い付き、皆が素直に聖飢魔IIを楽しんでいるという印象です。今のミサのこの空気感も本当に素晴らしいと思いますし、私は大好きです。

そして。
その想いを聖飢魔IIに直接ぶつけられるのは、泣いても笑っても武道館が最後のチャンスです。きっと聖飢魔IIはそれに応えてくれると思います。

聖飢魔IIがまた地球に姿を現してくれて、史上最強・最恐・最凶のエンターテイメントを体感させて貰えた。私はその事に感謝の気持ちを持って挑みたいと思います。

瞬きさえするのを惜しんで、五臓六腑に全てを焼き付けます。





以下は余談なり。

私の初ミサは1986年の秋の仙台、私が幼稚園児の時でした。「本物のデーモン(呼び捨て御免)が見たい!」と母に頼んだところ、本当に連れて行ってくれました。
あの時は「蝋人形にされたらどうしよう…」と、本気で恐怖を感じながら行きました。
しかし優しい悪魔達のお陰で(⁉︎)、私は蝋人形にされず今に至ります。
あの時、30年後もこんなに夢中になっているなんて想像出来たでしょうか。いえ、できませんでした(自問自答)。

もう言えるのはこれだけです。

聖飢魔II、万歳‼︎‼︎‼︎
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