「風街レジェンド2015」8/22(土)東京国際フォーラム ⑦ | BIGな気分で語らせろ!

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ビートたけしさん、北野武監督、たけし軍団、その他諸々について気が向いた時に。

「ガラスの林檎の乱反射」

お次に登場したのは吉田美奈子さん。
吉田さんというと、どうしても思い出すのが「夢で逢えたら」。言うまでもなく大瀧詠一さんの作曲です。そして大瀧さんのファーストソロ作の「指切り」で、印象的なフルートを聴かせてくれているのも吉田さんです。
大瀧さんと関係が深い事もあり、吉田さんはMCで「詠一さん」と呼んでいた事が印象的です。実際に共同作業で作品を作った吉田さんならではの、尊敬の念と親しみの感情をこの呼び方から感じて胸が熱くなるものがありました。

さて吉田美奈子さんが歌ったのは…、

「Woman~Wの悲劇~」(薬師丸ひろ子)「ガラスの林檎」(松田聖子)

…の二曲。

「Woman~Wの悲劇~」も素晴らしかったのですが、個人的にノックアウトされたのが「ガラスの林檎」です。

この曲は、言うまでもなく松田聖子さんがオリジナル。個人的には聖子さんの曲の中でも一位二位を争うくらい好きな曲です。ここで一度、聖子さんのオリジナル・バージョンを掘り下げてみたいと思います。

「ガラスの林檎」は1983年8月1日の発売。作曲は細野晴臣さんです。

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因みに私は以前この曲への個人的解釈をTwitterに書いたところ、松本隆さんご本人にリツィート頂き大変驚いた事がありました。

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風街レジェンドのパンフレットに掲載された松本さんの解説には、

“はっぴいえんどっぽい曲になったから、茂を呼んでファズギターを弾いってもらって。”とあります。ファズという60年代のイメージが色濃いギターの音色を使う辺り、私の解釈もあながち間違いではなかったのかも知れません。(因みにファズギターの音は、80年代という時代においては下手すると古くさいという印象だけで終わった危険性もあると思います。それを80年代に美しく響かせる事が出来たのは、音数を見事に抑えた鈴木茂さんのギターと、バックの演奏に溶け込む様なミックスのお陰でしょう。)

この曲は音楽的にも非常に凝った仕掛けがあるのですが、今回は歌詞と聖子さんの歌唱という切り口からこの曲の魅力を私なりに紐解いてみます。

まず歌詞の面でポイントとなるのは、「あ行」「か行」の使い方です。

出だしは、
“蒼ざめた月が”で、
“あ”から始まります。

そして、
“丘の斜面には”
“お”で、ここでまた“あ行”の柔らかい響きが強調されます。

Bメロに入り、
“眼を閉じて あなたの腕の中”と、
ここでも柔らかい響きが中心ですが、続くセンテンスは、
“気をつけて こわれそうな心”と、
ここで一気に“か行”のデリケートな響きが緊張感を呼び込みます。

その緊張感が最高潮に達した所で、
“ガラスの林檎たち”という、
短いサビでクライマックスを迎えます。

そして重要なのは、Cメロとも言えるパート。
“愛しているのよ”と、
出だしこそ“あ行”ですが、続く
“かすかなつぶやき”で“か行”が強調されます。

そして、
“聞こえない振りしてるあなたの
指を噛んだ”というセンテンスでの、
“噛んだ”の“か”。
この“か”の響きが、ガラスの林檎の様なデリケートな心の危うさを象徴していると思います。

では次に、聖子さんの歌唱面を見てみます。
ここでのポイントは、単語の語尾の発音。具体的に言うと、“O(アルファベットのオー)”“WO”の使い分けです。

例えば歌詞に出てくる“臆病”“こわれそう”の二つの単語の語尾は“う”ですが、話し言葉では“お”になります。
しかし聖子さんはこれをストレートに“O”で発音せず、“WO”に近い発音で歌っています。

また他に出てくる“を”は“WO”で発音しそうなものですが、ここは殆ど“O”です。しかしラストの“紅を注して”の“を”だけは、唯一“WO”になっています。

そして“笑顔”“透き通って”等の“お”は、ストレートに“O”です。

こうして見てみると、話し言葉の“お=WO”、文字の“お・を=O”と、一応の法則は見出せます。ただし全てこの法則通りではない事が、曲により一層の深みを与えています。

また他には「ら行」の巻き舌っぽい発音なども、歌詞の響きをより立体的にしている要素です。

さらに付け加えると、要所要所での“が”や、“かすかなつぶやき”での二つの“か”を神経質なまでに抑えて歌っている事には、感心を通り越して戦慄すら覚えてしまいます。

これらの事が意図的なものなのか、あるいはこの時期の聖子さんの発音の癖なのかは分かりません。または、両方が奇跡的なバランスでミックスされているのかも知れません。しかしこの事が、平坦になりがちな日本語のリズムに躍動感を与えているのです。

しかしこの「ガラスの林檎」での歌唱は、あまりにも神経をすり減らすものであったのか、テレビでの歌唱ではここまで細かくは歌っていませんし、聖子さんは以後の楽曲ではもっとストレートな歌唱を聴かせる様に変化しています。

“日本語でビートを出す”という目標が、松本さんの出発点にあったそうです。
そして聖子さんの歌を聴いた時に舞い降りてきた、“自分が歌詞を書くべきだ”という直感。
日本語を立体的に響かせ、ビートという名の躍動感を与える事にズバ抜けた素質と実力を持った松田聖子という歌手と、松本隆さんとの出会いはまさに必然であったのだと思います。

この曲での聖子さんの歌は“蒼ざめた”という言葉は本当に蒼ざめて聴こえますし、“こわれそうな”という響きは、本当に今すぐにでも壊れてしまいそうなデリケートさを伴って胸に響きます。
音盤に刻み込まれたこの曲のメロディと一つ一つの言葉たちは、まさに「ガラスの林檎」の一瞬の煌めきだったでしょう。


…、時間は2015年8月22日、場所は東京国際フォーラムに戻りまして、吉田美奈子さんの「ガラスの林檎」。
衝撃のハードな(⁉︎)ジャズアレンジ。
これは一度粉々に砕けてしまったガラスの林檎を、再構築したら光が乱反射して妖艶な輝きを解き放ったとでも言うべきものでした。これぞまさに「硝子のプリズム」!

そしてこのハードなアレンジの中にも、松本隆さんの歌詞の持つ滑らかさと美しさは失われずにいた事が驚きでした。それを表現していた吉田美奈子さんもまた、松本隆ワールドの良き理解者であり体現者であるのだと実感したのでありました。

⑧に続く。