※ この記事は初学者用に聖書を編集し 注を付したものです。

 

 

パウロとそのほか数人の囚人は、近衛隊の百卒隊長ユリアスに託された。

 

彼らは、アジア州沿岸の各所に寄港することになっている船で、カイサリアからイタリアへ出発した。

 

次の日、シドンに入港したが、百人隊長はパウロを親切に取り扱い、友人に会うことを許してくれた。

 

シドン港から船出したが、逆風にあったので、キプロスの島かげを航行し、キリキヤとパンフリアの沖を過ぎて、ルキアのミラに入港した。そこにイタリヤ行きの船があったので、彼らはそれに乗り込んだ。

 

幾日もの間、船の進みが遅くて、かろうじてクニドスの沖合に来た。しかし風が行く手を阻むので、クレタ島の岸に沿って航行し、かろうじて『良い港』と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった。

 

長い時が経過し、既に航海が危険な季節になったので、パウロは人々に言った。

「皆さん。私の見るところ、この航海では積荷や船体ばかりでなく、私たち自身にも危害と大きな損失が及ぶでしょう。」 

 

しかし百人隊長は、パウロの意見よりも船長や船主の方を信用した。

 

この港は冬を過ごすのに適しないので、大多数の者はここから出て、できれば何とかしてクレタ島のフォイニクス港に行って、そこで冬を過ごしたいと主張した。

 

時に、南風が静かに吹いて来たので、彼らは、この時とばかりに錨を上げて、

クレタ島の岸に沿って航行した。

 

すると間もなく、暴風が島から吹き降ろしてきた。

 

そのために船が流されて風に逆らうことができなかった。彼らは吹き流されるままに任せた。

 

暴風にひどく悩まされ続けたので、次の日に人々は積荷を捨て始め、3日目には船具までも投げ捨てた。

 

幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、助かる最後の望みもなくなった。

 

人々は長いこと食事もしないでいたので、パウロが彼らに言った。

「元気を出しなさい。船が失われるだけで、命を失う者は1人もいないでしょう。 

 

昨夜、私が仕え、また拝んでいる神からの御使いが、私の側に立ってこう言いました。

『パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカエサルの前に立たなければならない。

確かに神は、あなたと同船の者をことごとくあなたに賜わっている。』

 

だから皆さん、元気を出しなさい。

 

万事は私に告げられたとおりに成って行くと、私は神にかけて信じています。

 

私たちは、どこかの島に打ち上げられるはずです。」

 

彼らがアドリア海に漂ってから 14日目の真夜中ごろ、水夫たちはどこかの陸地に近づいたように感じた。

 

そこで水の深さを測ってみたところ、20オルギィア(約37メートル)であることがわかった。それから少し進んでもう一度測ってみたら15オルギィアであった。

 

暗礁に乗り上げては大変だと気づかって、船尾から4つの錨を投げ降ろし、夜が明けるのを待った。

 

そのとき水夫たちが船から逃げ出そうとした。

 

それを見たパウロは、百人隊長や兵士たちに言った。

「あの人たちが船に残っていなければ、あなた方は助からない。」

 

そこで兵士たちは小舟の綱を断ち切って、水夫たちが逃げれないようにした。

 

夜が明けかけた頃、パウロは一同の者に食事をするように勧めて言った。

「あなた方が食事もせずに見張りを続けてから、今日で14日目に当ります。

だから食事することを勧めます。それがあなた方を救うことになるのですから。

確かに、髪の毛一本でも、あなた方の頭から失われることはないでしょう。」

 

パウロはこう言ってパンを取り、皆の前で神に感謝し、それを裂いて食べ始めた。それで一同も元気づいて食事をした。

 

船にいた者は全部で276人だった。

 

一同は十分に食事をした後、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした。

 

夜が明けて、どこの陸地かよく分からなかったが、砂浜のある入江が見えたので、そこに船を乗り入れることにした。

 

ところが潮流の流れ合う所に突き進んだため、船が浅瀬に乗り上げてしまって、船首がめり込んで動かなくなった。船尾の方は激しい波のために壊れてしまった。

 

兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げる恐れがあるので殺してしまおうと図ったが、百人隊長はパウロを救いたい思いから、その意図を退け、泳げる者はまず海に飛び込んで陸に行き、そのほかの者は板や船の破片に乗って行くように命じた。

 

こうして全員が上陸して救われた。そこはマルタと呼ばれる島であった。

 

島の人々は彼らに並々ならぬ親切を現してくれた。降りしきる雨と寒さをしのぐために火を焚いて、一同をねぎらってくれた。

 

そのときパウロが柴を束ねて火にくべたところ、熱気のために蝮が出て来て彼の手に噛みついた。

 

島の人々はそれを見て互いに言った。

「この人はきっと人殺しに違いない。海からは逃れられたが、ディケーの神が彼を生かしてはおかないのだ。」

 

彼らはパウロの様子をうかがっていた。

 

しかしいつまで経ってもパウロの身に何も起らないのを見て、彼らは考えを変えて「この人は神だ」と言い出した。

 

それから3か月経った後、パウロはこの島で冬を越していたアレクサンドリアの船で出航した。

 

島の人々はパウロたちを非常に尊敬していたので、必要な品々を持って来てくれた。

 

注:以下の聖句を参照。

『 信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。』(マルコ16章17~18節 新共同訳)

 

『 わたしはお前たちの中に蛇や蝮を送る。彼らにはどのような呪文も役に立たない。彼らはお前たちをかむ、と主は言われる。』(エレミヤ8章17節 新共同訳)

 

『 神に逆らう者は、母の胎にあるときから汚らわしく、欺いて語る者は、母の腹にあるときから迷いに陥っている。蛇の毒にも似た毒を持ち、耳の聞こえないコブラのように耳をふさいで、蛇使いの声にも、巧みに呪文を唱える者の呪文にも従おうとしない。』(詩編58編4~6節 新共同訳)

 

『 主よ、さいなむ者からわたしを助け出し、不法の者から救い出してください。彼らは心に悪事を謀り、絶え間なく戦いを挑んできます。舌を蛇のように鋭くし、蝮の毒を唇に含んでいます。』(詩編140編2~4節 新共同訳)

 

パウロたちはローマに到着した。

 

パウロは1人の番兵をつけられ1人で住むことを許された。

 

ローマに到着して3日経ってから、パウロは重立ったユダヤ人たちを招いた。

 

パウロは彼らに言った。

「私は、国民に対しても、先祖伝来の慣例に対しても、何一つ背く行為がなかったのに、エルサレムで囚人としてローマ人たちの手に引き渡されました。

 

彼らは私を取り調べた結果、何ら死に当る罪状もないので私を釈放しようとしたのですが、ユダヤ人たちがこれに反対したため、私は止むを得ずカエサルに上訴するに至ったのです。これは同胞を訴えるためではありません。

 

こういうわけで、あなた方に会って話し合いたいと願っていました。事実、私はイスラエルが抱いている希望のゆえに、この鎖に繋がれているのです。」 

 

そこで彼らはパウロに言った。

「あなたが考えていることを直接あなたから聞くのが正しいことだと思っています。」

 

そこで大勢のユダヤ人がパウロの宿に詰めかけて来た。

 

パウロは朝から晩まで語り続け、神の国のことを証し、またモーセの律法や預言者の書を引いて、イエスについて彼らの説得に務めた。

 

ある者はパウロの言うことを受け入れ、ある者は信じようともしなかった。

 

互いに意見が合わなくて皆の者が帰ろうとしていた時、パウロはひとこと言った。

「聖霊は預言者イザヤによって、実に正しく、あなた方の先祖に語ったものです。

 

『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めて癒されることがないためである。』(イザヤ6章9~10節)

 

そこで、このことを知っておいていただきたい。神のこの救いの言葉は、異邦人に送られたのです。彼らはこれに聞き従うでしょう。」

 

ユダヤ人たちは互いに論じ合いながら帰って行った。

 

パウロは自分の借りた家に2年間住んで、訪ねて来る人々をみな迎え入れ、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教え続けた。

 

注:「異邦人」とは、非ユダヤ人のことである。

「ユダヤ人だけが救われる」とするのがユダヤ教である。

ユダヤ教の教典「タルムード」は、モーセ五書(創世記~申命記)に対して絶対的な優位性を有する(タルムードの内容は Site を参照)。