※ この記事は初学者用に聖書を編集し 注を付したものです。

 

 

イスラエルの人々はラメセスを出発してスコトに向かった。

 

女と子供を除いて、徒歩の男子の数は約60万であった。多くの外国人も彼らと一緒だった。

 

『ペリシテ人の地の道』は近道だったが、神はその道に民を導かれなかった。

民が戦いを見れば後悔してエジプトに帰るだろうと、神は思われたのである。

 

主(しゅ)は、彼らの前を行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も進み行くことができた。

 

注:「主(しゅ)」とは、神の呼び名である(出エジプト記3章15節参照)。

 

「雲の柱」「火の柱」は比喩である。RAPT有料記事35を参照。以下の聖句も参照。

 

『 見よ、主は速い雲に乗って、エジプトに来られる。エジプトのもろもろの偶像は、み前に震えおののき、エジプトびとの心は彼らのうちに溶け去る。』

(イザヤ19章1節 口語訳)「速い雲」=「彼ら」である。

 

『 これらは誰か。雲のように飛び、巣に帰る鳩のように速い。』(イザヤ60章8節 新共同訳)

 

『 主よ、わたしの神よ、あなたは大いなる方。… 雲を御自分のための車とし、風の翼に乗って行き巡り、さまざまな風を伝令とし、燃える火を御もとに仕えさせられる。』(詩編104編1~4節 新共同訳)

 

『 天使たちに関しては、「神は、その天使たちを風とし、御自分に仕える者たちを燃える炎とする」と言われ …』(ヘブライ1章7節 新共同訳)

 

『 あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る。』(マルコ14章62節 新共同訳)「天の雲」=「聖なる者たち」である(テサロニケⅠ3章13節・ユダ0章14節)。

 

彼らはスコトから更に進んで、荒野の端にあるエタムに宿営した。

 

主はモーセに言われた。

「引き返して、ピハヒロトの前に宿営しなさい。

 

バアルツェホンに向いて、海の傍らに宿営するのだ。

 

ファラオは、イスラエルの人々が道に迷い、荒野が行く手を塞いだと思うだろう。

 

私がファラオの心を頑なにするから、ファラオはあなたたちの後を追うだろう。

 

私は、ファラオとその軍勢を破って栄光を現し、エジプト人に私が主であることを知らせるだろう。」

 

彼らはそのとおりにした。

 

注:「スコト」「エタム」「ピハヒロト」「バアルツェホン」の場所は、いずれも特定されていない。

イスラエルがその傍らに宿営した海の名は、ヘブライ語で yam suf と言い、yam は「海」、suf(suph) は「葦(あし)」を意味する。それで新共同訳では「紅海」ではなく「葦の海」と訳されている。しかし古代よりこの名を持つ海はどこにも確認されていない。

suf はエジプト語のパピルスを意味する twf に由来するが、パピルスは淡水にのみ生育する植物である。

以上、Site を参照。

 

ファラオと家臣は、民が逃げ去ったとの報告を受けると、民に対する考えを変えた。

「なぜイスラエル人を去らせて、我々に仕えさせないようにしたのだろうか。」

 

そこでファラオは戦車を整え、自ら軍勢を率いて後を追った。

 

そしてファラオの軍勢はイスラエルの人々に追いついた。

 

イスラエルの人々はそれを見て非常に恐れた。

 

そして主に向かって叫び、またモーセに言った。

「エジプトに墓がないので、荒野で死なせるために私たちを導き出したのですか。

 

私たちはエジプトで『放っておいてください』と言ったではありませんか。

 

荒野で死ぬよりもエジプト人に仕える方が、私たちには良かったのです。」

 

モーセは民に言った。

「恐れてはならない。主が今日、あなたたちのために成される救いを見なさい。

 

あなたたちは今エジプト人を見ているが、もはや永久に、二度と彼らを見ないだろう。

 

主があなたたちのために戦われるから、静かにしていなさい。」

 

主はモーセに言われた。

「イスラエルの人々を出発させなさい。

 

あなたは杖を上げ、海の上に手を差し伸べて海を分け、イスラエルの人々に海の中の乾いた所を行かせなさい。

 

私がエジプト人の心を頑なにするから、彼らは後を追って入るだろう。

 

こうして私はファラオとその軍勢すべてを打ち破って栄光を現す。

 

エジプト人は私が主であることを知るだろう。」

 

そのときイスラエルの部隊の前を進んでいた神の御使いが、彼らの後ろに回った。

 

雲の柱も、彼らの前から移動して後ろに立ち、ファラオの軍勢とイスラエルの部隊の間に入ったので、そこに雲と闇があり、互いに近づくことなく夜が過ぎた。

 

モーセが海の上に手を差し伸べると、主は夜通し強い東風をもって海を退かせられた。

 

そして海は陸地となり、水は分かれた。

 

水はイスラエルの人々の右左に壁のようになり、彼らは海の中の乾いた所を進んだ。

 

ファラオの軍勢も彼らの後を追って海の中に入った。

 

夜明け前に主は、火と雲の柱からファラオの軍勢を見下ろして、軍を乱し、戦車の車輪をきしませ、進みにくくされた。

 

エジプト人は言った。

「退却しよう。彼らの神が我々と戦っている。」

 

そのとき主はモーセに言われた。

「海に手を差し伸べなさい。」

 

モーセが海に手を差し伸べると、夜明けになって海はいつもの流れに戻った。

 

エジプト人は逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。

 

海の水はファラオの軍勢を覆い、1人も残らなかった。

 

しかし、イスラエルの人々は海の中の乾いた所を無事に進んだ。

 

アロンの姉の預言者ミリアムがタンバリンを手に取ると、ほかの女たちも皆タンバリンを取って踊りながら彼女の後に続いた。

 

ミリアムは歌った。

「主に向かって歌え。彼は輝かしくも勝ちを得られた。彼は馬と乗り手を海に投げ込まれた。」

 

主はこうして、イスラエルをエジプト人の手から救われた。

 

民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。

 

注:以下の聖句を参照。

『 皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ …』

(コリントⅠ10章2節 新共同訳)

 

『 … 神は、その天使たちを風とし …』(ヘブライ1章7節 新共同訳)

 

『 主は大海の水をせき止め、深淵の水を倉に納められた。』(詩編33編7節 新共同訳)

 

『 神よ、大水はあなたを見て、身もだえし、深淵はおののいた。雨雲は水を注ぎ、雲は声をあげた。あなたの矢は飛び交い、あなたの雷鳴は車のとどろきのよう。稲妻は世界を照らし出し、地はおののき、震えた。あなたの道は海の中にあり、あなたの通られる道は大水の中にある。あなたの踏み行かれる跡を知る者はない。あなたはモーセとアロンの手をとおして、羊の群れのように御自分の民を導かれました。』

(詩編77編17~21節 新共同訳)

 

『 葦の海は主に叱咤されて干上がり、彼らは荒れ野を行くように深い淵を通った。』

(詩編106編9節 新共同訳)

 

『 主よ、あなたの叱咤に海の底は姿を現し、あなたの怒りの息に世界はその基を示す。主は高い天から御手を遣わしてわたしをとらえ、大水の中から引き上げてくださる。』(詩編18編16~17節 新共同訳)

 

『 災いだ、多くの民がどよめく、どよめく海のどよめきのように。国々が騒ぎ立つ、騒ぎ立つ大水の騒ぎのように。国々は、多くの水が騒ぐように騒ぎ立つ。だが、主が叱咤されると彼らは遠くへ逃げる。』(イザヤ17章12~13節 新共同訳)

 

『 高い天から御手を遣わしてわたしを解き放ち、大水から、異邦人の手から助け出してください。』(詩編144編7節 新共同訳)

 

『 多くの水の上にすわっている大淫婦に対するさばきを、見せよう。… あなたの見た水、すなわち、淫婦のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。』(黙示録17章1~15節 口語訳)

 

『 あなたは、御力をもって海を分け、大水の上で竜の頭を砕かれました。』

(詩編74編13節 新共同訳)

 

『 万軍の主は、彼らに対して鞭を振るわれる、かつて、オレブの岩でミディアン人を打たれたように。またエジプトでなされたように杖を海の上に伸ばされる。その日が来れば、あなたの肩から重荷は取り去られ、首に置かれた軛は砕かれる。』

(イザヤ10章26~27節 新共同訳)

 

『 その日が来れば、主は再び御手を下して、御自分の民の残りの者を買い戻される。

… 主はエジプトの海の入り江を干上がらせ、御手を大河の上に振って、強風を起こし、それを打って七つの流れとし、サンダルのままで渡れるようにされる。エジプトの地から上った日に、イスラエルのために備えられたように、アッシリアに残されていた、この民の残りの者にも、広い道が備えられる。』(イザヤ11章11~16節 新共同訳)

 

『 海を、大いなる淵の水を、干上がらせ、深い海の底に道を開いて、贖われた人々を通らせたのは、あなたではなかったか。主に贖われた人々は帰って来て、喜びの歌をうたいながらシオンに入る。』(イザヤ51章10~11節 新共同訳)

 

『 主は輝く御腕をモーセの右に伴わせ、民の前で海を二つに分け、とこしえの名声を得られた。主は彼らを導いて淵の中を通らせられたが、彼らは荒れ野を行く馬のようにつまずくこともなかった。谷間に下りて行く家畜のように主の霊は彼らを憩わせられた。このようにあなたはご自分の民を導き、輝く名声を得られた。』

(イザヤ63章12~14節 新共同訳)

 

『 わたしは彼らをエジプトの地から帰らせ、アッシリアから呼び集め、ギレアドとレバノンの地に来させる。それらも彼らには十分ではないだろう。彼らは苦しみの海を通って進み、波立つ海を打つ。ナイルの深みはすべて干上がり、アッシリアの高ぶりは引き降ろされ、エジプトの王笏は失われる。』(ゼカリヤ11章10~11節 新共同訳)

 

『 信仰によって、人々はまるで陸地を通るように紅海を渡りました。同じように渡ろうとしたエジプト人たちは、おぼれて死にました。』(ヘブライ11章29節新共同訳)👆

なぜかこの聖句だけ「葦の海」ではなく「紅海」と訳されている。

 

モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。

 

彼らはシュルの荒野に入り、3日歩いたが水を得なかった。

 

そして彼らはマラに着いた。

 

しかしそこの水は苦くて飲めなかった。それでそこの名はマラ(苦い)と呼ばれた。

 

民がモーセに不平を言ったので、モーセは主に叫んだ。

 

そこで主が1本の木を示された。モーセはそれを水に投げ入れると、水は甘くなった。

 

主は民のために定めと掟を立てられ、また彼らを試みて言われた。

「あなたが、あなたの神、主の声に良く聞き従い、その目に正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け、すべての定めを守るならば、私はエジプト人に下した病を1つもあなたに下さない。私は主であって、あなたを癒す者だ。」

 

こうして彼らはエリムに着いた。

 

そこには12の泉と70本のなつめやしがあった。

 

彼らは泉の畔に宿営した。

 

イスラエルの人々はエリムを出発し、シンの荒野に来た。

 

エジプトを出てから2か月目の15日であった。

 

イスラエルの人々は空腹のあまり、モーセとアロンに不平を言った。

 

そのとき主はモーセに言われた。

「あなたたちのために天からパンを降らせよう。ただし必要な分だけを集めなければならない。

 

こうして彼らが私に従うかどうかを試みよう。

 

6日目には、そのパンを調理すると2倍になるだろう。」

 

モーセとアロンはイスラエルのすべての人に言った。

「夕暮れには、エジプトからあなたたちを導き出されたのが主であることを知るだろう。また朝には主の栄光を見るだろう。

 

一体我々は何者なのか。あなたたちは、我々にではなく主に不平を述べているのだ。」

 

モーセはアロンに言った。

「イスラエルの全会衆にこう言いなさい。『主の前に近づきなさい。主があなたたちの不平を聞かれたからだ。』」

 

アロンが全会衆に語ったとき彼らが荒野の方を見ると、主の栄光が雲の中に現れていた。

 

主はモーセに言われた。

「彼らに言いなさい。あなたたちは夕方には肉を食べ、朝にはパンに飽き足りるだろう。そうして私があなたたちの神、主であることを知るだろう。」

 

夕方になると、ウズラが飛んで来て宿営を覆った。

 

朝になると、宿営の周りに露が降りた。その露が乾くと、地面に薄い衣のような物が残り、ちょうど霜のようであった。

 

モーセはイスラエルの人々に言った。

「これは、主があなたたちに食べ物として与えられたパンだ。

1人当たり1オメル(約2リットル)ずつ家族の数に応じて集めなさい。」

 

イスラエルの人々はそのようにして、ある者は多く、ある者は少なく集めた。

 

しかし多く集めた者も余らず、少なく集めた者も不足しなかった。

 

イスラエルの家では、そのパンをマナ(マンナ)と名づけた。コリアンダーの実のように白く、蜜の入った菓子のような味がした。

 

モーセは、マナを翌朝まで食べ残しておいてはならないと言った。しかし、ある者たちが聞き従わなかったので虫が付いて臭くなった。そこでモーセは彼らに怒った。

 

彼らは毎朝それぞれ必要な分を集めたが、日が高くなるとマナは溶けてしまった。

 

6日目には、彼らは2倍のパンを集めた。

 

そこで会衆の長たちが モーセに報告しに来た。

 

モーセは彼らに言った。

「主がこう仰せられた。明日は主の聖なる安息日で休みだ。

 

きょう焼こうとする物を焼き、煮ようとする物を煮なさい。

 

残りは明日の朝まで保存しておきなさい。」 

 

彼らはモーセの命じたように朝まで保存したが、臭くならず虫も付かなかった。

 

次の朝、モーセは言った。

「7日目の今日は主の安息日だから、野に出ても何も見つからないだろう。」

 

ところが、マナを集めようとした者がいた。しかし何も見つからなかった。

 

そこで主はモーセに言われた。

「あなたたちは、いつまで私の戒めと教えを守らないのか。

 

主はあなたたちに安息日を与えられた。それゆえ6日目には2日分のパンを与えるのだ。

 

7日目には、それぞれ自分の所に留まり、そこから出てはならない。」

 

こうして民は7日目に休んだ。

 

モーセは言った。

「主は次のことを命じられた。『1オメルのマナを蓄えておきなさい。その理由は、私が荒野であなたたちに食べさせたパンを、あなたたちの子孫に見させるためだ。』」 

 

そしてモーセはアロンに言った。

「1つの壺の中に1オメルのマナを入れ、それを主の前に置いて、子孫のために蓄えておきなさい。」 

 

アロンはそのとおりにした。

 

イスラエルの人々は、人の住む土地に着くまで、40年間マナを食べた。

 

すなわち彼らはカナンの地の境に着くまでマナを食べた。

 

注:以下の聖句を参照。

『 主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることを、あなたに知らせるためであった。』(申命記8章3節 新共同訳)

 

『 あなたのみ言葉はいかにわがあごに甘いことでしょう。蜜にまさってわが口に甘いのです。』(詩編119編103節 口語訳)

 

『 神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。… わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。』(ヨハネ福音6章33~35節 新共同訳)

 

『 命を与えるのは霊である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。』(ヨハネ福音6章63節 新共同訳)

 

『 皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、皆、同じ霊的な食物を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。』(コリントⅠ10章2~4節 新共同訳)

 

『 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。』(黙示録2章17節 新共同訳)

 

イスラエルの人々は、主の命令に従ってシンの荒野を出発し、レフィディムに到着した。しかしそこには飲み水がなかった。

 

民はモーセに不平を言った。

「なぜ私たちをエジプトから導き出したのか。家畜と一緒に渇きで殺すためか。」

 

モーセは主に叫んで言った。

「私はこの民をどうすればよいのでしょうか。今にも私を石で打ち殺そうとしています。」

 

主はモーセに言われた。

「イスラエルの長老たちを伴い、ナイル川を打った杖を手に取ってホレブの山に行きなさい。

 

私は岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打ちなさい。

 

そこから水が出て民は飲むことができる。」

 

モーセはイスラエルの長老たちの目の前でそのとおりにした。

 

モーセはその場所をマッサ(試し)、またメリバ(争い)と呼んだ。

 

これは、イスラエルの人々が争ったため、また彼らが「主は私たちの内におられるのかどうか」と言って、主を試みたからである。

 

注:以下の聖句を参照。

『 わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、皆、同じ霊的な食物を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。』

(コリントⅠ10章1~4節 新共同訳)

 

『 わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。』(ヨハネ福音4章14節 新共同訳)

「永遠の命に至る水」とは「聖霊」のことである(ヨハネ福音7章37~39節・テトス3章6節を参照)。

 

『 彼らはたちまち御業を忘れ去り、神の計らいを待たず、荒れ野で欲望を燃やし、

砂漠で神を試みた。主はその願いをかなえられたが、彼らをやせ衰えさせられた。』

(詩編106編13~15節 新共同訳)

 

突然アマレク人が襲って来て、イスラエルとレフィディムで戦った。

 

モーセはヨシュアに言った。

「人を選び、アマレク人と戦いなさい。私は神の杖を手に取って丘の頂に立つ。」

 

ヨシュアは言われたとおりに実行し、アマレク人と戦った。

 

モーセとアロンと彼らの友人のフルは、丘の頂に登った。

 

モーセが手を上げているとイスラエルが優勢になり、手を下げるとアマレクが優勢になった。

 

モーセの手が重くなったので、アロンとフルが両側に立ってモーセの手を支えた。

 

その手は日没まで下がらなかった。

 

そしてヨシュアはアマレク人を打ち破った。

 

注:ヨシュアは、ヨセフの息子「エフライム」の子孫である(歴代誌上7章20~27節を参照)。ヨシュアの本名は「ホシェア」である(民数記13章16節を参照)。