夏生まれの私は、この時期年齢をまたぐこともあってか、

ちょいと、気持ちがうろちょろしてしまう。

迷わなくてよいことに、あえて自分から迷ってみたりとか。


元来、人に相談することが苦手、というか、

そいういう決断回路を育ててこなかったため、

あらゆることを内包してしまい、育ちかけた芽を

時には破裂させ、時には腐らせてしまうことも、しばしば。


思ったら、動け。


私に与えられた人生の地図(←ただいま勉強中。)によれば、

"マニフェスター"の私にとって正しい進み方らしく、

どおりで相談が苦手なことにも合点がゆくのだけど、

身動きとれないことは、いまだに沢山あるわけで。


ところで、最近、中耳炎になった。(笑)

片耳聞こえない状態が3週間も続くとさすがの医者嫌いも

びびって、生まれて初めて耳鼻科を受診。

各種検査された挙句、結局、中耳炎て。こどもか。


確かに痛かった。今考えると。でも、そんなことにさえ鈍感な私。


遡れば、3週間前、出張帰りの飛行機で、離陸着陸時の気圧変化に

耐えられないほどの耳の痛みに苦しんだこと、

その前日、高熱を出しホテルで丸一日寝込んだこと、

さらに前日、悪寒を押して食事会とその後BARに付き合ってしまったこと、

その前の車移動中体感にあわない空調設定を調整してもらうことを

本気で訴えなかったこと。


耐えることが美徳、な価値観がまだしっかり根付いていることもあるけど、

それ以前に、呆れるほどの、鈍感ぶりである。


せめて自分の身体ぐらいには、聞いてみてもいいんじゃないの。

”マニフェスター"の本性が現れるのは、いつの日か。








ここのところ、大変苦手な仕事がたてつづき、

どよよーん、とした日々だったのが、ひと段落した感じ。

どうにか流れがついたので、後は粛々と形をつくる作業への落とし込み。

つまり、私の本領発揮はこれから。忙しい夏になりそう。


この数週間移動の間にもずっと持ち歩いて、時折読み返していたのが、

ベストセラーになった、内田樹の「日本辺境論」。

全体の印象としては、”うすうすわかっちゃいたけど、やぱりそうなのか”感をくすぐられる感じが、イタ気持ちよく、売れてるのが理解できる。


著者自身が合気道の使い手らしく、そのせいか武道の話が結構でてくる。

「石火之機」-石を打って火花が出る間=隙がない、ということ。

相手が斬りつけてくるのを避けることを想定すると、選択できる動線は、相手の出方によって限定される。

それが、つまり、「敵をつくる」ということ。

逆に言えば、「敵を作らない」ことは、相手の出方に「反応しない」ということ。

「石火之機」でいるということは、同時発生なので、実は、「反応していない」ということ。

それが、隙がない、ということ。

つまり、「敵をつくらない」と、「隙がない」は、同義語。


うーん、ややこしいな。上手くまとめられているかな。


しかし、実は。

この感覚を、私は身体で知っている。だから、深く納得できる。

なぜなら、かつて私も武術をやっていたから。


中国武術の練習法に「推手」というのがある。

読んで字の如く、簡単に言えば手で推し合う練習法。

しかし、これが実は、推す、ことが練習目的ではないんだな。

じゃ、何の練習なのか。

推されたときに「反応しない」練習。


人間の自然の反応として、推されたら当然抗おうとする。

そうすると、そこの筋肉がこわばって壁になり、ひとつきで簡単に吹っ飛ばされる。

それを避けるため、相手の動きに完全に委ねる。

例えるなら「暖簾に腕押し」状態。


太極拳をはじめとした、柔拳と呼ばれる類の武術は、この状態で行われるので、基本、常にぐにょぐにょである。

なので、屈強な大男が、おばあちゃんに飛ばされることも、ままある。


そして、柔拳は基本的に「気」をつかった武術であり、推手の際も当然「気」を使い、「気」を読むということをするので、気の循環が行われ、自分と相手の境目が、ある意味曖昧になってくる。

そして、瞬時にそれができる上級者と組ませていただくと、大変気持ちよい。

なんというか、高度な情報交換のできる、濃密な時間なのだ。


「魔観」という言葉で、人のエネルギーのやり取りについて語っておられるのが長尾妃呂巳さん

お近づきになって1年半ほどになるが、こわばった心の筋肉を相当解していただいた、まさに心の太極拳の達人。

気功や、キネシオロジーの使い手でもある彼女のメソッドに私が興味を持つのは、時に、身体のほうが理解がはやい、ことを分かっておられることにもある。


境界を、あいまいにしておく。


対人関係に躓いたら、この感覚を思い出せばいいんだ。

私は、その感覚、知ってるはずだから。





全くアルコールが飲めない私ですが、

なんと厄介なことに、お酒の味そのものは好きドキドキなのです。


最近、職場の仲間と、テーマを決めて美味しいものを食べに行く会を

慣行していて、昨日は”本格スペインを味わう会”。で、私以外は全員イケる口。

スペインバルって、味付けがちょっとしょっぱめで、ワインがすすむ、すすむ。

味に興味がある私も、「一口ちょうだい音譜

って、ちびちび頂いているうちに、相当な量を飲んでしまい、

体が驚いたらしく、今日は朝から無気力状態。全く使い物にならず、寝ながら読書の1日。

GWの初日を、棒に振ってしまった。


が、しかし。”相当な量”とは、私の尺度によるもの。

呑べえの皆には、「それは”飲んだ”でははく、”舐めた”、というのだ。」

と飲んだことさえ認めてもらえない・・・。

割り勘にさえ混ぜてもらえず、いつも、ひとりお子ちゃま価格。


飲めないって、やっぱりちょっと寂しい。

皆に「アホか。」って言われるけど、一度でいいから言ってみたい、

「今日、二日酔いなのよね~。」ってにひひ