私が五歳になる頃に母は3歳の弟を抱いて


私の手を引いて海に入って死のうとした話し。


 私の両親は私が五歳の時に離婚した。


離婚する前に、まだ20代半ばの母は


 5人の子どもを一人で働いて養っていた。


父は出稼ぎで家に居ない状態にも


関わらず家には、お金を一円も入れず


働いては他所の女の人との生活に、お金を使い


たまに帰って来ては、お酒を飲んでは暴れて


警察官が通報を受けて家に突入するを


繰り返していた。そんな中で母は疲労困憊し


自らの命と共に、手のかかる二人の子どもを


道連れに一緒に死◯うと沖縄の広い海に


 弟を抱き抱えて…私の手を引いて…。


海に入って行った光景を、まだ覚えている。


 冷たい海の中で母の手は強く私の手を握り


離さなかった…。何も喋らない母を五歳の私は


見上げながら夕日に光る母の顔は痩せこけて


疲れていたのを、よく覚えているのと同時に


 母の頬を流れる涙が夕日に光って綺麗だった事


が忘れられない…。


 普段 弟と母が手を繋いでいる姿を


腎臓が悪くて寝たきりだった私は


その光景が羨ましく思っていたけれど


その日は、なぜか私の手を握って母は黙って


海へと連れて行ってくれた。


 そのまま海へと真っ直ぐに進んで行く中で


私は母と手を繋げて歩いている事が凄く


嬉しくて、だんだんと海へ入っていく中で


 顔にかかる波が、こわくなった。


思わず『こわい』『怖い』と口にしたら


母が慌てて岸に戻り弟と私を抱き寄せて


 声を殺しながら泣き崩れてしまった。


あの時の話しを大人になり子を育てる立場に


なって母に尋ねた事が、ある。


あの時は『生きている事が全て しんどくて


死んだら楽になると思った』


『あんたが泣かなかったら、あのまま


死ねたけどね😊あんたが泣いた、おかげで


今は生きてて良かったと思えるよ』って


当時の事は、あまり口に出さない母だけど


 目に涙をいっぱい溜めて話しをしてくれた


母は若くして色んな苦労を重ねて来た人


だから私たち兄弟には、いつもガミガミ


言わない。決めつけて言わない人。


 苦労してきた分 人の気持ちを考えて


言葉で表現する人なんだと思う。


 そんな母に私は反発した時期もあったけど


あの時に一緒に死んでいたら


 片方どちらかが死んでいたら


そう思うと…。母に居てもらって


良かったと思う😊


 不思議な事に幼少期の私は一言も言葉を


発さない子どもだったらしく


 あの時に私が喋ったから母は驚いたそう。


たしかに私は言葉にしなくても通じると


 思っていたからね😊今は言葉と態度で


伝えないと伝わらないと気づいたから😊


 よく喋るようになった😊


自分の内側の言葉は表現しないと周りは


分からない。


 口下手でも不器用でも、まずは


言葉にしてみたら😊伝わる事が増えるね🌟


 自分へ 問いかけてみる😊


そうして一歩前に進める事って


 あるからね😊言葉にするから気持ちが


軽くなる🌟大事に生きよう💐