置かれた環境や伝統に根差した正統な知識を自然に取り込んでいく玉堂星と、そうした入力に対して自分はどう思うかという吟味をかける牽牛星が、結果として龍高星っぽさを生む、というのを前回書きましたが↓

 

 

牽牛星以外にも、玉堂星の入力に反発反抗したくなるような仕掛け?勢力?が私の宿命内にはある気がする、とその後考えていました。

 

まず一つは、玉堂星を尅する司禄星の存在です。

といっても、私の宿命内では1気しかない弱い存在なのですが、それでも陽占で西に出る星で、座下で私を支える要です 星

 

司禄星と玉堂星の二連変化の意味としては↓

玉堂星のもつ古典的、伝統的、学問的、芸術的な部分が、現実的な司禄星に尅されるため、現実で役立つ実践的な知恵となり、企画、発案、計画などで能力を発揮する。

 
私の日干支・壬戌の説明にもこの二つの星のことかなと思われる部分があって↓
人生の目標を自ら作り出すよりも、環境や先達に与えられることが多い。そのため、人生は二つに分かれ、中年期以前と以後では質、内容とも大きな違いを見せる。
 
とあります。
 
玉堂星らしく他力的に入力をしていくのだけど、年を経るごとに司禄星が積み重ねてきた現実的で実践的な知恵が無用な部分を剋し、異なる知恵が形成されていくようです 台風
 

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あと忘れちゃいけないのが、宿命二中殺かなと思います。

私の場合、子丑天中殺が中殺される形になるので、本来の子丑天中殺のように初代運として親や生家からは早々に独立し、これまでの流れとは異なる自分色を打ち出した新しい流れを生むというふうにはならずに、親や生家からは離れにくかったり、不本意ながら恩恵を受けるというふうになります。

 

この微妙な関係性を玉堂星に重ね合わせると、違和感や反発を少なからず感じながらも、玉堂星らしい正統な知識の入力もなされていくという感じでしょうか?

 

こうして自分の宿命をみていると、あとで崩されるのは必然としても、まずは玉堂星の入力が必要、というかそうなるようになっているように思えてきます。

そして、その入力されたものは後にどんどん剋されて、結果として、龍高星的な独自の、あるいは中殺らしい枠を外れた知恵として残っていくのかも?しれません 花

 

うーん、確かに、大学まで勉強して、その後も塾の仕事にも携わりましたが、学校の勉強ができるかどうかとか成績がどうのこうのというのはかなりどうでもいいと感じている(就学や就職など人生の選択肢をひろげるために仕方なく必要とは思う)ので、その気(け)はありそうです にっこり