先日、山崎ナオコーラさんの『美しい距離』という本を読んでいると書きましたが↓
続けて、『ここに消えない会話がある』という本を読んでいます。
なんか、前の職場の雰囲気と近いものが感じられて、個人的にすごい懐かしみと面白みがあります
内容としては、ただ、会社の同僚との他愛ない世間話をベースに話が進んでいくのですが、でもその後ろにひっそりと語られない個々人の人生の問題なども垣間見え、でもそういうのには全く焦点が当てられずに、日々のちょっとした面白さとか楽しみが描かれている感じがします。
先に続く仕事や、実りある恋だけが、人間を成熟へと向かわせるわけではない。ストーリーからこぼれる会話が人生を作るのだ。
(pg109)
これがこの本をよく語っている気がします。
山崎ナオコーラさん、好きな作家さんなのですが、いかんせん私の記憶力の悪さのせいで、今まで読んだ本の内容をほとんど覚えていません・・・
そういえば、彼女のデビュー作である『人のセックスを笑うな』が家にあった気がすると思って探してみると、あったので、これもまた読み返してみました。
『人のセックスを笑うな』というタイトルからも感じられますが、なんとなく個人的に「反骨精神」とか「こんな自分で何が悪い」というようなものが彼女の作品全体を通して感じられる気がします。(おぼろげな記憶なので違うかもですが)
ちなみに「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい。」を目標として掲げていらっしゃいます。
そこにもなんとなく挑戦的な姿勢が感じられますよね
そういえば、昔、山崎ナオコーラさんが新聞に書いていたものを気に入って、自分の部屋の壁にその切り抜きを貼ってたなというのをふと思い出し、あれは何だったっけ?と調べてみると、朝日新聞で連載していたエッセイで、「あきらめるのが好き」というものでした。
『指先からソーダ』という彼女のエッセイにも収録されていて↓
それをGoogleブックスで見つけたので、一部抜粋してご紹介
身の上に落ちてくる諦念という言葉を甘受したい。
失恋が好き。
あの人をあきらめられる。
失業が好き。
買い物をあきらめられる。
「あきらめる」の語源は、「明らかにする」だという。物事をはっきりさせる、というところから、意味が変化してきたのだ。
あきらめていくと、素っ気ない私が見えてくる。自分が明らかになっていく。
・・・
あきらめてもあきらめても、しぶとく私が残る。
どんどんあきらめていくと、飲み干したあとの、ラムネ瓶で揺れるビー玉のように、自分の芯だけが、自分の体の中で、カランコロンと音を立てて残る。そのビー玉は、なんでもやりたがるし、どこまでも転がる。
失恋や失業以外にも、うまくいかないことや遅いことなど、一般的によくないとされることを並べて、それらに対して「私は好きよ、あきらめられていいじゃない」というふうに返す彼女は、当時の私にはとても斬新で新鮮で目から鱗だったんですよね
そんな山崎ナオコーラさん、一体どんな宿命の持ち主なのかな?と気になったので、次回はそのことについて書こうかなと思います~