波崎のどんぐりこテリーの血縁の野犬。


行動していないので説得力が無くてすいません。
言うだけは簡単。
二箇所のトラップをバラしもう少しバタバタが落ち着いたら収容頭数を減らす私に出来る事として
センターに定期的に通うのとプラス
波崎の野犬の群れに通い捕獲しセンター収容頭数を
少しだけ減らす活動を致します。


収容頭数が減る事に対して
時短するには何かとても大きなきっかけが
起こらない限りまだ残念ながら
時間がかかると思っています。

最初にお伝えしておきます。
殺処分を減らす。無くしたいなら、
収容頭数を減らす事以外には道はありません。
ここは重要で絶対な方程式です。
これが基本の元これからの日本のゼロ運動は
良くも悪くも進みます。


例えばですが、震災まで福島も茨城同様に収容頭数が多い県でした。
震災後、全国から何千のボランティアが福島に入り、今まで無かった風が吹きました。
子供を作らせない為にはどうするか、
フィラリアで死なない為にはどうするか、

先ずは動物病院の敷居をくぐらせる事を
被災した地域の方に行ってもらうでなく

ボランティア達が率先して与え行いました。

知識が付き、知らなかった事が
段々普通になっていきました。

それまでは沖縄や西日本の多い県同様に
貧困、犬にお金を掛ける、動物病院に行くと
言う感覚がある方達はとても少なかったです。

震災後からの福島の収容頭数からの
殺処分数は面白い様に年々右肩下がりでした。

神奈川県では当時
厚木、相模原、愛川町、秦野、清川村、
平塚、
この辺りがまだ上記の様に世代交代していなく

この辺りからの放棄や収容が多く
それだけで無く、同じ様な系統の犬達が
同じ地域から定期的に収容されると言う現象が度々起こっていました。
この中には猟犬の多頭飼育や一般家庭多頭飼育も含まれます。

神奈川県で過去に大きな多頭飼育崩壊が幾つか起こった後、あからさまにセンター収容が減り

数年間さかのぼると同系統の犬達の収容がぱとたり止まりました。

このように、地域に幾つかの悪い所が点々としていて、そこから定期的に収容されると言う事がわかります。

野犬の群れがいる地域もその一つです。
茨城センターに波崎からの野犬の収容がとても多いのも収容頭数が多くなる要因の一つです。


後は捨てていないけどいなくなりいつもは帰って来るので呑気に待っている間に処分されていたり


近くの交番にだけは口頭で伝えたが

センターには連絡していない、する事を知らない等で

処分されている事も沢山あります。


昔、神奈川県動物保護センターから相模原からの

委託収容の犬を引き出した時、

KDPに来てから半年後にTVの撮影でその子が

TVに映った事がありました。


何と、そのTVを見たその子の飼い主様からKDPに連絡が来たのです。


近くの交番に届けて昔からいつも帰って来るので

待っていたが、帰って来なく

もう死んでしまったのかと思っていましたと。


とても怖い事ですね。もし神奈川県で無ければ

処分されていて一生行方知らずな所でした。


これがピラミッドの頂点の三角形が意識が高くやる気のある職員さんとボランティアさん達の部分の

そこから下の部分で毎日数頭ずつセンターに犬達が収容されて来る原因で


後は茨城県の何処かに引っ張って行けてムーブメントを起こせて高い意識のカルチャーがある地域が無いのも遅らす原因の一つかと思います。

茨城県を引っ張って行っている代表する地域はどちらでしょう?

そこに焦点を当ててそこから発信して行く事も重要です。


神奈川県には湘南と言うムーブメントもカルチャーもたっぷりな地域がありました。


しかも逗子、葉山、鎌倉は全国的に見て人口に対して

一番畜犬登録の多い地域でした。


今の神奈川県があるのは湘南地域を外すことは

絶対にできません。

収容頭数を減らすことの時短に

恵まれた県だったと言う事です。


そして神奈川県の犬の話に戻りますが
最後は人が亡くなりおっぱいの大きい犬が収容され、それを最後にその系統の犬は収容されなくなり、

それが幾つもあり、一つ一つ消えて行き
今の収容頭数が少ない神奈川県になっていきました。


じーさんばーさんが亡くなり
都会に出ていた子供が地元に帰り世代交代して、都会で知った今現在の犬の飼い方を
地元に持ち込み連鎖された事もあると思います。