朝の混雑時を避けるため通勤前の時間に海岸線を通り抜け

センターが開くまで慰霊塔で犬達との会話。

 

私が犬に興味もない子供のころから

 

6年前まで あの後姿や顔を私の記憶に残して救ってあげられずに

死んでいったあの子たちまで

みんなが一緒に眠っている場所です。

 

今の事、過去の事、他県の事、沢山の事が頭の中に思い描かれます。

みーんなの気持ちの上で。

 
























所長様が出向いてくださり朝の貴重な忙しい時間にお話をする時間を

作ってくださいました。

 

こんな話をさせて頂きました。

 

まだ神奈川県のセンターが殺処分をしているころ

犬達が収容されている地下の犬舎が撮影や写真がNGで

 

少しでも対犬、対人に何らかの問題があった子たちはいくらボラが引き出させて下さいと

言っても引き出しは出来なく処分対象になり次センターに行ったときは

もうその子たちはこの世にはいなく会えなかったころ

 

犬であるこの活動

私は悔しく、怒り、無念さを押し込むことが出来ずに

自分の力の無さに悔しく気が狂いそうでした。

 

どうすれば救えるか?

それしか考えていませんでした。

 

その日々の中、私は自然にある答えを自分の中で出していました。

私の力の無さで救えなかった犬達は自分が殺したと思い

 

その悔しさ、無念さを犬であるこの活動だが

人を助ける方向に体が自然に向かったのです。

 

これは犬を殺さなくてはならない職員さんを救うと言う事なのです。

 

それが私が自然に体が反応し行った

唯一のどうすれば救えるか?

に対する答えでした。

 

勿論当時は

今日、明日処分対象の犬がどの子かともし聞いても

職員さんの立場から一ボラに言えるわけがありません。

立場があるのです。

 

職員さんの精神の負担を減らす事、姿勢で

自然にボラと職員さんとの間に信頼関係が時とともに出来上がっていき

 

今日明日、処分予定の子たちがわかってきたり

問題があり処分対象だった子たちの引き出しが可能となっていったり

 

段々だんだんと救える方向に変化していき

時が来てその時が来た事。

 

殺処分ゼロ

 

殺処分ゼロと言う言葉は

このご時世ゼロ運動による様々な弊害が浮き彫りになり

少し変な方向になっていますが

センターで無念な思いで戦っている、もしくは来た現場の人間から見れば

これ以上素晴らしい事は無い最高な言葉なのです。

 

誰も損をする人、犬もいません。

本来は。です。

 

ゼロ運動、県はピラミッドです。

三角形の頂点にセンターがあり

少しだけ下にボラがいます。

 

大変な県で

何故ゼロ運動によってさまざまな問題が浮き彫りになるのか?

それはトップ上だけが高い意識の中頑張っているから。

 

末端(入口)は全くついてきていないから。

この意味はゼロ運動だけが先走ったと言う事。

 

茨城を例に例えさせていただくと

茨城のセンターは収容頭数に対してありえない頭数をセンター譲渡や

ボラ譲渡してくださっています。

もし当時の神奈川県で同じ数の収容頭数があったら

神奈川では茨城の倍の頭数を処分している事でしょう。

 

もう頭打ちなこれ以上頑張れないほど頑張ってくれているのです。

もう茨城の方がご活動なさっている入口対策と時間しか答えは見えてこないでしょう。

 

ボケてるの?

この悲惨な状況の茨城のセンターを見て何が未来は明るいの?

馬鹿?

と以前に私が書いたブログにご意見をいくつか頂戴したのですが

 

上記の意味で考えるとこれ以上なく頑張ってくれている茨城の未来は明るいとしか

私には思えません。

 

勿論、今現在の現場は生きるか死ぬかの戦場です。

 

こんな会話をさせて頂きました。

 

一つ質問をいただいたことがあります。

何故、茨城に行くのか?と。

 

こう答えました。

 

私が茨城に行けるのは、行くのは月に一回でしょう。

そして引き出しても一頭か二頭、もしくは三頭でしょう。

 

私が茨城に拠点を移し活動しない限り私が茨城の子たちの殺処分ゼロに対して

私が貢献出来る事なんて雀の涙程度です。

 

ですが少なからずとも私に今までの経験が生かせるなら

上手くセンターと団体さんの潤滑油の役目になることが今私にできる役目だと思うからですと

答えました。

 

うーん

心からそう思っていて行動するのですけど

書くとなんか変だな。偉そうだし・・・

 

気持ちです。

 

 

 



















 

さて

センターから私と出た犬達は過去もみーんな海を見て来た事に気が付きました。

素敵です。(笑)

 

この福島や茨城の犬の様な美しいミックスは

六年前、一番センターもKDPも大変だった頃センターがセンター子犬一般譲渡した子だったのです。

飼い主さんは大変なご病気によってこの子をセンターに苦渋の決断で持ち込んだそうです。

この子は六年前にまだ子犬のころここから第二の犬生をスタートさせ

古巣故郷に帰ってきてしまったのです。

この子も飼い主さんもセンターも切ないですね。

本当に切ないです。

犬との出会いには様々な事情やいきさつ、ドラマがあり

そのドラマに自分の心が反応するほどその子に対しての思い入れの度合いが変わってきます。

私は。

 

連れてきたその日に感情が湧き出る事は少なく、こういう場所ではタブーなので

押し伏せる物なのですが

 

私は出会った時からこの子にとても愛おしい感情が隠し切れません。

 

駄目なんだけどね。