恥ずかしい奴だな、、、 | 頑張る介護のその後は?

頑張る介護のその後は?

20年近い介護生活が終わりました。

子育ても平行し、また、途中で配偶者が亡くなる、、


結構ハードな介護人生だった。

介護終わって思うことがたくさんある。これから介護する人、されるかもしれない人に、知っていただきたいことを色々書いていきたい



子供たちも、小学校に入り、時間も少しできたころ、揺れる瞳のホームページを作成した。


今はもうありません、、夫のアカウントで作成したので、夫が亡くなったときに、処分してしまった、、、


どうしたら良いかわからなくて。

それどころでもなくて。



でも、当時開設したら、そのホームページにメールがいくつか来ました。


そのうちの一つが、非常に印象的で、しばらくその方とは、やりとりをしていました。


産まれたばかりのお子様が、私と同じ病気だとの診断をされ、どうして良いか分からないと。

確かに聞いたこともない病気、わからなくなりますね。

しかも治らないし、一生ずっと抱えていく病、、


で、ブログやホームページを見つけ、色々な方に聞いてみたそうです。

まだネットがここまで身近ではない時期、、


少ない情報で、かなり不安な状態だったことでしょう。


これからこの子はどうなっちゃう?


しかし、同じ病気の方に色々聞いたら、余計に、どんどん不安になったそうです。


色々知識ある方だと考え、医療関係のお仕事をされたり、医療関係の学校に通う同病の方を見つけて、聞いてみたそうです。


その方々は、医療関係なら、理解してくれる人がいそうだから、、と、そんな道を選んだそうで、、



実は私も、高校時代、医療関係の仕事ならと考えました。


甘えでしかありませんでしたけどね。

話を聞いた方は複数で、分野も異なるのに、言われたことが同じでびっくり。不安になったのだとか。

人と目を合わせてはいけない、

目が揺れてるのがバレてしまうから
バレないように下向いて話しをする指導をしなさいと、、、

また、バタバタした現場では、ぐずぐずしたり、ノロノロしたら邪魔にされる。


向いてない、辞めたら?とか、言われたり、、、


理解なんてしてもらえない、逆に、厳しいから、この道進まない方が良い、、みたいな、、


確かに、命かかっているのに、迅速な対応ができないのは、患者の立場でも不安です。

だから、ノロノロでも大丈夫かと言われたら、確かに向かないこともあります。

動体視力が、目が揺れることにより、低くなるため、揺れ方や症状により、難しいことも色々あります。


素早い動作は苦手かも。

私は、やはり細かいものは無理と自覚しています。

普通にはできないことがある!

その自覚がある。


しかし、、、下を向いた対応を勧められたら、、、バレないような話し方をするように育てなさいとか、、、


私が親なら、心配になる、、

我が子ならそんなことは言わない。


私の両親は、、やはり、みっともない、恥ずかしいとか、鈍くさいのを叱られた。何より、がっかりさせてしまうことが悲しかった。

もっとちゃんと産まれてきたらよかったのに、、ごめんなさい、、


ずっとそう思って生きてきた。


今も、、捨てきれずにいる感情です。

産んでくれてありがとうと、普通の方は感謝するのかもしれないけど、私は、そんなに恥ずかしいなら産まないでもらいたかった。

そう思う気持ちは、親の介護も長年したし、子育てもしてきたし、、もう両親共に看取りましたが、消えませんね。
簡単なものではないです。

罪の意識は半端ないし、、生きていることに罪を感じる気持ちは、捨てきれないかも。

でも、親が、恥ずかしい奴とか、隠しておきたい恥さらしみたいな、そんな気持ちを持たなければ、、

また、持っていても、本人に伝わらなければ、生き方は変わると思う。

こんなじゃ恥ずかしいよね、、と、、、
思っても口には出さない、態度に出さない、、


これ、大事です。


外に出たら、そういう目は当たり前にあり、けなされたりしますから。


家だけは、守られた場所であることは、大事ではないかと思う。

また、不器用でも、センスが無いわけでもないし、鈍くても、なんにもできない訳では無いです。

大人になり、客観的に見たり、子育てしてみて思うけれど、私にも得意はあったんですよね、、


でも、そんなことは、評価されることは全くなくて、、、


ひたすらダメダメ言われてきた気がしています。

あれがダメ、これがダメ、、


文を書くのは好きだったけど、あれは書いてはダメ、これもダメと、、


親が喜ぶような作文を書いていた。  

まあ、天才ではないから、世に出ることもなかったでしょうが、ここまで自分をダメダメ思いながら大人になることはなかったかな、、


ダメダメは、他人が沢山言ってくれますよね。

親や兄妹が責め立てなくても、嫌ってほど、他人が叩いてくれますよ。

できることを評価して、伸ばしてあげて!と、、、子育てに、悩むお母様には、そんなお話をさせて頂きました。


とはいえ、お話を聞いた方々は、、ただでさえ疲れる目なのに、多分かなり頑張り、勉強されて、努力されての医療の道だったはず。


そんな努力は、報われなくてはならないのに、向いてないよ、辞めたら?とか言われてしまうのは、辛すぎる、、、


でも、現実はそんなもので、ノロノロしていたら必要ない、邪魔!みたいな目で見られたり、気味悪がられたりね、、


私もデパートでは、細かいものを見ると、頭がブルブル揺れたりして、、親たちがみっともない、恥ずかしいと言っていた現象が起きてしまう、、


やはり、気味悪がられてしまい、続けることとは、正しい道ではないと思いました。

スタッフがみんな気味悪いと思うなら、お客様も気味悪いですよね。


接客業は向いてない?

悩みましたが、うちに来ませんか?という話しをくださった会社では、また接客、、


不安いっぱいでしたが、なんとかできたし、転職して、また同じ業種の接客業ですが、仕事しています。


接客業全部がダメなのではなくて、やり方や、やることを選ぶ!


できることが見つかれば、自己否定感も減ります。


ダメダメじゃないかも、、
結構頑張って生きているかも、、


大人になり、ちょっと分かった。


分かったところで、自己否定感覚は変わらないし、幸せになることへの抵抗と罪悪感は消えない。


否定しての子育てはしないで!と、、、


ひたすらそんなお話をしていた。


褒めすぎもどうかと思う。

でも、やっぱり理解者は必要なんですよね、生きて行くには。


一番理解してくれたかもしれない夫は、神様のところに行き、また一人で頑張らなくてはいけなくなり、、




やっぱり私はこうなんだよね。と思った。


そんなじゃダメなのは分かっていても、どうにもならない気持ちがある。

仕事ならしゃべりまくる、パーティーなどでは壁の花?入れなくなる、、


その病的ともいうる価値観を、ある意味、仕事することは、良いリハビリのようで、自己否定感も、少しは取れていく感じがする。


合う仕事を見つけたら、自分を活かせたら、、


目のことは忘れちゃうかもしれない。


まあ、現実に引き戻され、思い切り落ち込んでしまうこともあるけど、理解者がいてくれたら、随分生き方が変わります。

まずは家族が良き理解者である!これは大切なこと。


間違っても、まっすぐ見てない写真見て、恥ずかしいと言ったり、横向いて注意されたりしたのを見て、ちゃんとしなさいとか、言わないでもらいたい。


前見てるけど、横向いて前見てますから。他人が見てもわからないから、私はかなり叱られました。

授業中断してまで叱られました。どうせわからないから、平謝り、、かな。

中学など、授業により、先生が違う場合は要注意!体育などは、試合見学をきちんとしていないと、叱られること多数。不真面目なわけじゃないけどね。

高校に入り、体育の先生に、授業態度が大変よろしい!と、褒められたことがあり、非常に驚いた。


いつもよそ見していると叱られることしかなかったし、鈍くさいから成績最悪だったし。


他人でも、同じことしていても、見る目が違うと、ちゃんと理解してもらえるんです。

厳しい目だけではないんです。世の中は。


今の仕事も、デパートにいるより、細かい文字を読むから、頭をブルブルさせて接客してるはずなんです。

気味悪いはずなんです。


でも、辞めないでって、、まあ、理由はまた別かもしれませんが、、人が足りないからね、、、でも、きちんと遅刻しないで責任持ち仕事していること、、


評価してくれる、、、


色々あっても、私にとっては、そういう場は数少ないんです。普通じゃないから、、と、思いたくないけど、まあ、普通ではないから。


普通じゃないからと、、、思わずに生きられるように、、外で揉まれた傷を家庭では癒して、存在することの大切さや、大事に思う気持ちを沢山伝えてもらいたいな、、、と思います。


兄弟に差を作らず、特別にせず、そういう子育てをしてもらいたいなと思う。