揺れる瞳、久しぶりその1 | 頑張る介護のその後は?

頑張る介護のその後は?

20年近い介護生活が終わりました。

子育ても平行し、また、途中で配偶者が亡くなる、、


結構ハードな介護人生だった。

介護終わって思うことがたくさんある。これから介護する人、されるかもしれない人に、知っていただきたいことを色々書いていきたい

しばらくご無沙汰だった、揺れる瞳の話も、、、


うちは、もうすぐ孫が産まれる、、


うちの子供達が産まれるときも、、でしたが、手放しでは喜べず、心配がありました。


揺れる瞳の遺伝です。


私は母からもらいましたが、母の親族に、揺れる瞳はいない。


妹にも遺伝していません。


私が妊娠して、安定期に入ったころに、立ち読みした出産の本に、揺れる瞳は、優生保護法で、遺伝を理由に堕胎可能な病気に指定されていて、かなりの衝撃受けた。

早速病院で聞いてみた。遺伝、、、心配、、、


普通に生活できてるし、遺伝しても問題ないのでは?と…そう言われた。


問題ないって、今までの私の人生、どこまでわかっての言葉?と、、、


正直思った。


小学校3年位で視力が落ち、学校の検診に引っかかって、それから毎年、治療勧告を頂き、病院に行っていた。


色々行きました。

いくつもの個人病院、大学病院にも行きました。


大学病院では、研究熱心なインターンの方々数人に囲まれ,揺れてるのを見て,面白い、揺れてる!と、熱心に研究対象として観察され、終わったあと、トイレで泣いた。


面白い、、人間として見られてない!

そう感じた。


小学校高学年のとき、、だった、、その頃、この目のおかげで色々ありました。


気持ち悪い、

なんで生きてる?

とか、まあ、ここに書いたら投稿できないことを言われてきた、沢山。




中学生になってからも言われたかな、、




つい出てくる言葉なのでしょうが、まだ刺さってます。


そういうことを口にした人、まだ覚えてます。

多分忘れてるでしょうけど、私は覚えてる、、


そういうものではないかな、いじめって。

気晴らし、憂さ晴らしかもしれないし、ついついかもしれないけど、相手には刺さる。


で、年に一度、治療勧告持って行くと、かわいそうにと、、、そう言われて、


え?かわいそうなの?私ったらかわいそう?


なんかそれもショックで、別の病院に行く、、

すると、また言われてしまう、、、


かわいそうにと。


で、ある日、なんと、治療勧告ではなく、ものもらいができて、消毒だけのために一人で眼科に行くと、、


有り得ない話ですが、なんと、保険証なくされてしまいました、、


受付に出して、帰るときには無くて、、、


受付の方は焦りまくり、即母に電話を、、、


今日は一人で来てくれて、私のミスで保険証なくしてしまい、、と、、

かわいそうだから、早く診てもらえるようにしたいけど、混雑していて、、お待たせして、こんなことになり、、と

こちらが悪いので叱らないであげてくださいと、、

かわいそうにとまた、、、


速攻果物の詰め合わせが送られてきた、、


けど、当然叱られましたよ、、まあ、当然、、私は何にもしていないけど。



普通言われます?かわいそうにとか、、なんでこの世にいるんだ?みたいなことを頻繁に。



生きてちゃいけないのでは?
産まれてきてはいけなかったのでは?と、、


思うわけです。


で、母に聞いた、、


なんで私を産んだの?


自分たちが、倒れたりしたときに、世話してもらうために産んだと、、

それが答えでした、、、(^_^;


その先もですが、その考え方は、なるほどと思うことが沢山。


本当にそうなんだなと実感した。


で、優生保護法の記述を見て、


産まないでもらいたかった、、、って、妊娠してるのに思ってしまった。


母は女子校で、揺れてる瞳でも何にも言われなかったみたいだし、私のように視力が低くもなく、眼鏡も必要なかった。


だから、状況が違うから、理解はしてもらえなかったし、、


母も、実はこの、保険証事件の病院で、母からの遺伝であることを知り、それまで自分が私と同じ病気であるとも知らずにいて、、、

かなりの衝撃だったらしい。


だからかな、、この病院には行かなくなった、、、


父に知られたら叱られるから、遺伝は内緒でした。

真っ直ぐものが見られず横向きばかりで、鈍くさい、不器用な恥ずかしい子と、親戚の前や、ご近所などにも触れて回るし、みんな集まってるようなところでも、恥ずかしい奴と言うし、、

鈍くさいから、妹の幼稚園の運動会と、私の小学校の運動会が重なったときは、見てるとイライラすると、お弁当置いて帰ってしまい、一人でお弁当食べた、、っていうか、手を付けず、お持ち帰り頂いた。

こっちがイライラして食欲なかったし、食べずに死んでも構わない、みんな死ねば良いと思ってるでしょう?!と、、そんな感じでの反発でした、、


その後、二人目が幼稚園のころ、母が倒れたので、私のミッションである介護が始まった。


そのために産んだと、そういうわけだから、完璧にこなさないと、イライラさせてしまうわけで、途中シングルマザーになり、仕事を始めたら、、


やっぱり介護が手薄、、


ご不満でしたね、親たち。


夫の仏具を買ったお店から、ダイレクトメールが来たら、なんだこれはと叱られた。


自分たちの仏具のことを考えていると思い、腹が立ったのかな、、


死別したこと、、
忘れてる?戻ってきて、介護してもらえたら、私はどうでも良い?


今でも思う、、、介護が終わったあとの私の人生、、、考えてくれていた?



あちこちの病院で、かわいそうにと言われたことは、やっぱり忘れられない。

かわいそうなのかな、私は。


だけど、産科では、普通に生活できてるなら良いのでは?と、、言われたわけです。

で、一応結婚もした、、死別しちゃいましたが、、


子供も産んで、遺伝していなかったから、普通に子育てしてきた。

授業参観では、黒板もプロジェクターも見えず、雰囲気のみ見に行く。

一番後ろからでは何にも見えなくて、、(^_^;


しかも、混んでる教室は、気持ちが悪くなり、頑張らないといけなかったり、、


色々大変なんです。


つづく