嫁という他人に、、、 | 頑張る介護のその後は?

頑張る介護のその後は?

20年近い介護生活が終わりました。

子育ても平行し、また、途中で配偶者が亡くなる、、


結構ハードな介護人生だった。

介護終わって思うことがたくさんある。これから介護する人、されるかもしれない人に、知っていただきたいことを色々書いていきたい

うちは、男の子二人だから、、子供が小さい頃は、家に居ることができず、公園生活?というくらい、外遊びしまくった。

まだ離乳食を作っていた頃は、90歳から離乳食までと、幅広い年齢層の食事を八人分作りながら、公園に通った。


とにかく、誰とでも接することができる、社交性のある人、コミュニケーション能力の高い人になるようにと、育児サークルも掛け持ちした。

リーダーとなっていけるようにするために、自分もと、イベント企画して、子供たちにも手伝わせて、ランチ会など、色々やってみた。


幸い当時は、義父が義母の介護をしてくれていたから、私はそんなに苦しむような介護をしなくてもよかった。


だから、嫁として何にもしないと言われるのでしょうが、八人分の食材を買いそろえ、ご飯を作るだけでも、育児中は大変なこと。

四十度の熱があっても買い物に行き、
ご飯を作ることも多々あった。

できるの?できないの?どっち?できないなら、実家の親にはできないって言わないと!と、夫に言われるのもいやで、無理もした。

座り込みながらご飯を作る日が何回あったのかな、、、、

子供が大きくなり、まだまだ夫の実家のご飯を作る日々、年末は、私の母も倒れてご飯を作ることができないため、おせち料理と年越しそばは、私が用意した。


だから、3時くらいに起きて煮物とかして、8時前には出て、実家に行き、おせち料理渡してから、天ぷら作り、さらに、お雑煮の汁だけを作り、年越しそばを食べさせて、それから帰宅。

休む暇無く、自宅の天ぷら作り、年越しそば作り、夫の家族に食べさせる、、、


ある年は、おそばをゆでながら出し、足りなくなると、また茹で、、、としていたら、おそばも天ぷらも完売、、、、私の分、少しも無くて、、、、(T_T)

カップ麺食べた年もありました。
嫁なんてそんなもの、、、私の分を気にした人は、誰一人居ないし、無くなったけどと、気にした人も居なかった。


まあ、、、そんなものだよね、、、

男の子は、そういうところに気を使えない。嫁を大切にする子供たちを育てたい!!と、母子家庭となってからは、多分うるさいくらい、色々言ってきた、、、


奴隷じゃないよね、お嫁さんは!と。


お互い幸せになるために結婚するのだ。楽するための道具じゃないよ。後は宜しく!ではない。


幸せになるためには、気を遣うことも必要。で、男の子のお母さんは大変!子供たちにも、気を使える人になるようにと教育が必要!

だけど、、、うまくはいかないね、なかなか、、、

特に後半戦の育児は、介護もバタバタがひどくて、放置してしまったもんね、、、足を引っ張る老後になるなら、、、と、不安になる。嫁という他人に、この苦労はさせられないよ。