義母とのいい関係が続けられているので母の墓前に報告に行きました。


山田の家は代々京都の清水の家系で商売人宝石緑宝石ブルー宝石赤

 

姑は会社がまだ清水三寧坂だけのお店、工場、住居兼用の頃から苦労してきた人でした。

 

 

 

姑のお父さんは10歳の時に戦病死。

 

そして、姑のお母さんは3人目を生んでから、半身不随になり、弟と妹の面倒は姑がお世話してきました。

 

それには、姑のおじいさんのお妾さんも手伝ってくれていたそうです。

 

姑はおじいさんのお妾さんの子どもと同級生でとっても仲良しでしたドキドキ

 

姑は結婚した時には会社は自宅兼用で住み込みの従業員がいました。

 

それから、

 

義父が大きなチャレンジをして一旗あげた昭和40年代からは忙しくて家庭のことは全くできないので

住み込みのお手伝いさんがいました。

 

主人も義姉も小学校の時からお母さんが家にいないので出前を頼んでいる家庭でお金は十分くれるけれど、ほったらかし状態おねがい

 

 

どこどこのお寿司、チャーハン、ラーメンなど詳しい彼らカレーラーメン寿司ピザ

 

商売の成功とともに主人は京都市内を3回引越して、

 

家はどんどん大きくなりました。

最後は、銀閣寺の近くで建築家設計のモダンな家でお風呂は4畳半、サウナつきの日本庭園の家でした。

 

比叡平は会社の別荘でした。

 

儲かると不動産投資をする義父でした。

 

 

 

私は主人と23歳でお見合いをしてしばらく考えさせてもらって、

 

1年後にある理由から私からの婚約破棄

会社も結婚退職したので、家にいるのも居心地悪く・・・笑い泣き笑い泣き笑い泣き

  

 

家にいたら、肩書きもなく、これからどうして生きていこう、働こうという気力もないしの日々照れタラー

そして、

 

その後主人は半年間お見合いをしたけれど、結婚は決まっていなかったのです。

 

半年後に私から電話をしたら、運よく主人が黒電話に出ましたウインク

私が「やっぱり結婚しようか」と言ったら

 

 

「親を説得するわ!」と主人が言いました。

 

 

それで、

 

出会いから2年後に結婚しましたお祝い

 

 

 

 

最初の婚約前に

 

 

「私は子どもが生めないと産婦人科で言われているから!」

 

と言っていたのに、


山田の家族に主人は言っていませんでしたガーンガーンガーン

 

 

さあ、それからが大変



「子どもはまだ?」

 

親戚、従業員からの質問に困ってしまった私・・・アセアセアセアセアセアセ

 

 

 

 

 

7年間ホルモン剤漬けになってやっと妊娠したので、

 

車は運転しないで欲しいという姑の願いに、

 

車の運転もやめていたのに、

 

産後びっくりすることがおこりましたショボーンショボーンショボーン

 

 

 

姑は主人に婚約破棄した私との結婚に

 

「お嫁さんは絶対可愛がる!」と言っていたと聞いての結婚でした。

 

主人は他にお見合いしていたのに

 

不思議だったので、

 

一度主人に聞いてみました。

 

「なぜ、私を選んだの?」

 

「お見合いでもっと優しい女性はいた。

 

でも、

 

 

僕が社長になった時にお嫁さんがしっかりしていて、

 

裏で社長業をやって欲しい。

 

それには、接客と経理ができる貴方が良いから」って!

 

 

 

 

今は倒産して会社は無くなりましたが、

 

 

10年間姑と従業員と私と3人で経理で机を並べました。

 

 

 

その間に本当色々な人間模様、経営ノウハウを見てきました。


新商品開発のチャレンジの日々、

 

新規店舗の出店、

 

リフォーム、

 

ディスプレイ、

 

横領、従業員からの借金要請など

 

 

数えたらきりがないくらい色々な経験ができました。

 

 

会社経営のためには義両親は細かいことは言ってられなかったから、

 

こんなわがままな私も山田の家に受け入れてもらったのだと思います。

姑は30歳年上ですが、今も元気に一人暮らしをしてくれているので感謝ですハートハートハート