この心と身体いっぱいで、人生を味わいたい | つくることでつながりたい

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何気ない毎日がどんなにしあわせか・・
不器用で遠回りばかりの私の 大好きなハンドメイドと夢への道のり、日々とキモチ。



そのキモチは

全身、心も身体も
まるで激しい火だるまに包まれて
燃え尽きてしまいそうなほどの

すさまじいエネルギーでした。


狂おしいほど欲しながら
決して得られなかったキモチ。

けれど実際、母が私を愛さなかったということはありません。
愛情を持って育ててもらったと感じています。

ただ、家族の機能が損なわれた家で過ごしたため

自分をゆだねて
母の愛情を味わうように実感したり、安心している暇はありませんでした。

子どもだった私が、親子逆転して
精神的な父と母の”親”となり

彼らの怒りや哀しみを受け止め
癒し、慰め

父と母の、精神的なケアに奔走していたように思います。

そんなふうに
24時間毎日続く、まるで戦場に居るような緊迫感と不安定さの中で育つうち

心が、愛情に満たされていない、足りないというところで止まったまま
生きてきたのかもしれません。


”愛されたい、そう実感して安心したい”

小さかった私がそっと
ぶ厚い氷の中に閉じ込めた大切なキモチ、

私には
夜通し涙を流すほどの重みを持った、感情でした。


私は、ずっと
自分の気持ち、というものがよくわからずにいたような気がします。

わからずにいたというより
感じないようにしていた、という方が近いのかもしれません。

自分で”こう感じてる”と思っていた気持ちは
意外と、実際に本当に感じている感情とは、違っている

その時の自分の状況に合わせて都合よく変換させている

そんなことに気づいたのも
最近でした。


それはきっと
自分の意志で選択したもの、というより

そうせざるを得ない、という必要性で
そうしていたのかもしれないし

そうするしか選択肢が無く、
わからなかったのかもしれません。

素直に気持ちを感じたり、表現したりという環境ではなかったので
それが許されない状況が続くうち

感じるという選択肢自体が、無くなっていったのかもしれません。



大量の涙と共に出てきた

”お母さんに愛されたい”というキモチ

これが、今までの私の、今の私の

自分でもわからないくらい深い部分、
私自身の心の底に激しく渦巻いていたキモチで

日常や人との関係性の中でとっている選択・行動の
大部分の根っこにある

”想い”

だったんだと感じています。



自分を大切に出来て、初めて人も大切に出来る

こんな言葉を目や耳にするたび
そうだよねって思っていました。

けれど、どこかで今いち
現実味がない、ような感覚も否めず

自分を大切にするってどういうことなんだろう?

という思いも同時に感じていました。


今までの自分を振り返ってみても

自分の感じている感情を感じないようにしたり
無かったものにしたり

都合のいいように、書き換えたり

そうやって、自分の感じた気持ちを
自分から乖離させ続けて生きていると

自分が何を感じているのかわからなくなるし
何をしていてもあまり現実感が伴わなくて、空虚感を抱えたり

その欠乏感だけで心がいっぱいになって

結局、その欠乏感や空虚さを埋めようとする行動から
現実が作られて行ってしまうのかもしれないと
感じています。

何より、自分の感情が分からないと
心の願いに沿った、決定・選択はとれなくなるんだな

ということが、ようやく腹の底に下りてきた
ような気がします。


自分の感じた感情を受け入れて、共に生きて初めて
自分、として生きられるのかもしれない、

自分は自分以外の何物でもない

以上でも以下でもなく、そのまんまなだけ

私は、これから大切に出来なかった
その部分に向き合う必要があると感じています。

自分の感情を、しっかり感じる

善悪や常識、人にどう思われるかではなく
自分は、自分の感じるままを感じていい

もしかして、そういうことなのかもしれません。

そうして選んでいく選択や行動は
今までとは少しづつ違ったものになっていくんじゃないか

自分が作り出す現実も少しづつ変わっていくんじゃないか

”愛されたい”からと、人の顔色や感情に怯えて
カメレオンみたいに生きる生き方ではなく

人の感情に、責任を持たなくていい

自分は、ただ自分として生きる生き方、なんだな


そんなことが浮かんできています。


色々感じたからといって
簡単には、そういう選択・行動はとれないだろうし
時間も必要だろうと思います。

そんな私が、本当の意味で
自分を大切にしたり、人を大切に思ったり

人を愛したり、家族を持ったり・・・

どんなに望んでも
きっと、まだまだ程遠い場所なのだろうと思います。


どうしても大切にできなかったもの、

自分の感じている感情
”お母さんに愛されたい”
”愛されていると実感して、安心したい”

そんな自分の気持ちを感じられたことは
程遠い場所への1歩、なのではないかと感じています。

だから
奥底にいた、そんな自分と出逢えたことを大切にして

諦めずに近づいていこうと思います。


愛されるには
”ねばならない””こうあるべき”

いつの間にか、そんな鎖で自分をがんじがらめに縛って
自分の心を殺していっていたのだと思います。

それでも私は、こうして
自分に出逢い、涙が枯れるまで泣き、

自分で殺してきた自分の感情を、かみ締めることが出来ました。


それは、今、だから出来たのかもしれない

自分を殺すまいと、本能で必死で抵抗してもがいてきた

私の中のどこかに、そんな自分も居てくれたから
諦めず、トレーニングを積み重ねてきたから

この時がやって来たのかもしれない


気づいたものの、その感情を前に
どうすればいいんだろう・・・

まだまだ、そんな私だけれど

せっかく生まれてきたのだから
自分の、この心と身体いっぱいで、自分の人生を味わいたい。

人を愛したり家族を持って、仲良く暮らしたい。
小さい頃に味わえなかった、温かい家族、を作りたい。


いつかそう出来るように1歩1歩、歩いていきたいと思います。