2日足らずの旅で、すでに記事は6つ目。 


なんて濃厚な旅だったんだろう。


もともとは、「観光名所」ってあまり興味がないほう。

なぜか、今回の旅はあっちもこっちも、行ってみたいって思った。

当初から予定していたのは、

久能山東照宮

三保の松原

日本平

の3点。これだけなら、明るいうちに都内を抜けられるかな?という予想だったが、そこに登呂遺跡が加わった。

いやー、でもこれが行っておいてよかった。


まずは、館内の無料展示を見て、お土産コーナーをみて。

そして、屋外展示へ。



戦時中に、軍需工場建設現場て見つかった遺跡。

その後、戦争が終わってから、本格的な調査がされたそう。


なにが興味深かったって。

この遺跡は、人類が定住を始めた頃のもの。 

そこから、「ムラ」ができ、「クニ」に発展し、「豪族」が現れて…。

ヒトは、定住するようになってからこっち、モノを持ったり、特定の人と関わり合いながら、暮らすということを覚えたのだ、ということがよくわかった。

ヒトが集まって暮らすためには、規則ができたり、治る役割を作ったりしてきたんだな、と。

そして、「土地を所有する」って意識がうまれて、それが争いごとの原因のひとつになったのだ、と。


稲作がはじまり、ヒトが定住を始めたこの「弥生時代」のまえは、「縄文時代」と呼ばれて、1万年以上も平和な時代が続いた、と言われる。

この縄文時代、人々は狩をしながら転々と暮らしていた。物や土地を「所有する」という概念がないので、それをもとにした争いごともない。

特定のヒトと長く調和して暮らすこともなかったので、人づきあいや身分の差による争いも起きづらかったのだろう。

他人と深く関わりを持たず、住む場所も定めず、獲物を求めて自由に暮らす。

濃い顔つきが特徴の縄文人たち。


縄文人になりたひ…