というところに行ってみました。
お隣の市ですが、ほぼ初めて降り立った駅。
初めてなのに、どことなく懐かしい感じがしてしまう。
とても暑い日だったのだけれど、街中に突然現れるこの参道は、程よく木陰があって、風が吹いて心地よい。
そういえば、こんなとき「爽やか」とは言わないそうですねえ。
51歳にもなって、先日初めて知りましたが。
「爽やか」は秋の季語、いまの季節だと「清々しい」というそうです。
いくつかのお堂などを過ぎ、(なんとなく写真を撮るのは憚られる気がしました)
敷地の端っこの墓地の横に、蓮と睡蓮の池がありました。
あとで調べてみると、いろいろな意味があって、仏教と関わりが深い花のようですが、この花をぼぅっと眺めているとなんだか、自分がどこの世界にいるのかわからない不思議な感じになりました。
なんでかな?
理由はまったくわからないけれど。
この花のなんとも言えない色合いをみていたら、そんな気に。
いま、世の中はまだまだ大変な状態で。
わたしの中でもなんだか大変なような、そうでもないようなことが、いくつか起きていて。
それでも、いつかわたしなどいなくなって、わたしが持っている悲しい気持ちも、切ない思いも、希望も、絶望も、なにもかもなかったのと同じになるのだなあ、と。
それなら、いいか、もうどうでも。
と。
なんだかほんやりそんなことを考えた梅雨の晴れ間の蒸し暑い午後でした。
ここから少し足を延ばし、東山魁夷記念館というところにも寄り、絵はがきを数枚買って、ごく親しい人に葉書を出しました。
よい休日だったと思います。
また1週間がんばって仕事をしようっと。