こんな何気ない休みの日を過ごすのはどれくらいぶりかな。

朝は目覚ましをかけることなく、目が覚めた時に寝床から出る。

朝ごはんを食べて、十分に勉強してから、さて、何をしようかな、と考える。
実は最近、私が数字に弱いのは小学校の算数がきちんとできていないからだとわかり、毎日簡単な計算をすることにしている。まったくみっともない話ではあるが、ときに、九九さえ間違えることがある。
このような簡単な計算を毎日することは、前頭葉が活発に働き、脳を活性化させるそうな。

40歳を過ぎてから学ぶことに貪欲になった私。いまは、簡単な算数の問題を100問程度、高校生くらいの英語のプリント5枚、天声人語の書き写し、を毎日することにしている。
時間がある週末はオンラインの英会話。
本当は仕事に直結する勉強もしなくてはならないのだが、そういうのはピンポイントですることとしている。

なぜだか、いまはもっともっと学びたいし、一生学んでいたいと思う。
それは、やはり母から受け継いだものかもしれない。
出産以来、専業主婦だった母。
寝そべってテレビを観ていることはあまりない。

姉2人が小学校に上がってからは、私を連れて編み物の教室へ。
30代で始めた水泳は85歳のいまも続いている。
エッセイの同人誌を出したり、ペン習字を習ったり、パソコンもかなり前から教室へ通い、メールもインターネットもスカイプもできる。
このごろは、3年ほど前に行ったベトナム旅行で知り合った20代のベトナムの女の子とスカイプしたりする。

そしてまたこの母の気質は、祖父母から受け継いだものかも。
50代で失明した祖母は、ラジオの短波放送で株式市況を聞き、投資を楽しんでいた。96歳で亡くなった祖父は、文化財保護で文化勲章をもらった経験もあり、目の見えない祖母に代わって家事全般をこなしつつ、仏像の彫刻を90過ぎまで続けた。
祖母は70代に亡くなったが、2人とも頭はしっかりしていた。

こういう周囲のことを考えるに、なんだか、頭ってやはり使った方がよいのかもな、と思えてきたなあ。
使ったからずっとよく働くってわけでもないのだろうけど。
どうしたって、望んだとおりに老いることはできないのだろうけど。

ちょっと花など摘んでみて、兜を片付けた後に飾ってみたりする。