素人目にも、明らかに空洞が多く見える脳の輪切り画像。

実父のものだ。
86歳。

まだ月に一度はゴルフコースに出かける。
若い頃から、酒は飲めず、賭け事もせず、女遊びは詳しくは知らないが、少なくとも家庭を壊すようなことはなく、楽しみはタバコとゴルフくらい。
取り柄といえば、86歳になっても薬のひとつも飲まず、滅多なことでは医者にはかからないことだろうか。

なんかおかしいな、と感じ出したのは数年前。しかしながら、なんとか2人でやれてるし、歳もとしだし、と長姉が受診を提案したのを押しとどめた。

これは本格的にまずいかも、と思い出したのが、1年ほどまえ。
二太郎にも何度か指摘された。
決定的だったのは、義父の葬儀のとき。
線香の立て方がわからない、袱紗から香典袋が出せない。
それでも、母が受診を拒んだ。
自分がついているから、というのが主張だ。
なんでも、1人でやってきたことが母の唯一とも言える誇り。
その誇りは傷つけたくないけれど。
2月に2人を連れて遠出したときに、時間をかけて話した。

誰も傷つけるつもりはないこと、いまの生活をできる限り長く維持してもらうことが私たち姉妹の一番の願いであること、経過をきちんと観察してもらうことが安全につながること、そして、誰しもいつかは誰かのお世話にならなくてはならない日が来ること。

渋々ながら、納得しての受診だった。
予想通り、診断は
「アルツハイマー型認知症」
不思議と父母も私も絶望感はない。
仕方ないのだろう、と思う。

しかし、ついでに検査を受けた母の脳と父の脳の画像の違いは残酷だ。
これがいつか自分の身にも起きるかもしれない、と思うとやはりこわいな、と思った。
そのときがきたら、私自身、二太郎の言うことをきちんと受け入れられるだろうか。

自分のことができなくなるのと、命の灯火が消えるのとどちらか先だろうか。
いまの父はそんな状態だ。
結局、本人と母の意志を尊重して、いまは投薬治療はしないことを選択した。
先生は、40分ほどかけてゆっくり話をしてくださり、最終的な判断は私たちに委ねてくれた。
しばらくはこの先生に、経過を診てもらうことにする。

これから先、父はまたいろんなことを私に教えてくれるのだろう。