介護。
実際に自分の身に降りかかっているのだろうが、実感がない。
まったくない。

毎朝夕、義父のお腹に空いた穴のフタを開け、栄養剤を流し込む。
義父はたいがい薄く口を開け、目は虚ろで何を見ているのかわからない様子でいる。
その姿を見るたびに私は一瞬思考を停止するのだ。
たぶん考えてはならないこと。
「これが人の生きる姿なのだろうか」

それでも、まだまだ足腰はしっかりしていて、トイレにも自分で行けることがほとんどだ。
それに胃ろうを造設する、ということは義父自身が最終的には望んだことではある。

でも、そのとき私は言えなかった。
「胃ろうするか、死ぬかどちらかですよ。胃ろうしてまで生きていたいですか。」

代わりに口先だけでこう言ったのだ。
「今は胃ろうをして体力を取り戻しましょう。そして、また飲み込みの治療を受けましょう」

そんなことは叶わないだろうとわかっていながら、だ。

私は偽善者だ。

そしてこうして毎日「介護」することでさらに偽善を積む。

地獄に落ちるだろうか。