20年前の今日、朝6時に起きると外は薄曇りだった。
大雪が続いたその年のなかではそれほど寒くもなく、かといって春を感じさせる日差しもない日だった。
病院の窓からは何も植えられていない畑が見えた。
顔を洗って、長くのばしていた髪の毛を時間をかけて編んだ。
正直に言えば、期待や喜びよりも不安の方が断然大きかった。
誰でもしていることだけど、ちゃんとできるのだろうか。
その不安な気持ちを誰とも分け合うこともできず、その日を迎えてしまったことも、さらなる不安を生んでいた。
でもどうしたって後戻りはできない、やるしかないのだ。
何度も何度も考えたことを最後にもう一度決心して、手術室に入った。

午後1時20分。
弱々しい声をあげて、娘はやってきた。
母になったのはたぶんもっと前。
約8ヶ月かけて私を母にしてきたその張本人が目の前にやってきた。
細くて小さな体に不釣り合いなほど大きな目。黒々とした髪の毛。
やっと会えたね、そう心で挨拶しながら、相変わらず私のなかで一番大きな感情は「不安」だった。
あれからその不安はたぶん一度も私から離れることはなかった。
これでいいのだろうか、正しいことはなんだろうか、答えはあるのだろうか、毎日毎日、不安と疑問のなかで必死でやってきた。
そして、その不安はまだ私の中にあるし、疑問は残ったまま。答えが見つかる日がくるのかもわからない。
こんなすっきりしない思いでこの日を迎えるとは思っていなかった。
朝一番で電話が鳴る。
「はたちになったよ。20年間ありがとう」
それは娘からの本当のさよならに聞こえた。

「お前たちの若々しい力はすでに下り坂に向かおうとする私などに煩わされていてはならない。斃れた親を食い尽くして力をたくわえる獅子のように、力強く勇ましく私を振り捨てて人生に乗り出して行くがいい。」
有島武郎
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