義父の通院につきあいはじめてから、5年が経つ。

義母は性格のせいか、加齢のためか、または病的なものか、はよくわからないが、医師とのやりとりや病院の事務的なことをうまくこなすことができず、二度三度の手間になるため、病院との窓口は私が引き受けている。
そのため、自然と病状や見通しなどを詳しく知ることになる。自分の生活に直結しているので切実だし義父本人からもよく話を聞き、できる限り様子をうかがうようにしている。
そうして目の前で確実に老いて弱っていく姿を目にすると生きるとは尊厳を持って生きるとはどういうことなのかを考えさせらせる。

昨年脳梗塞の大きな発作を起こして以来、退院してもすぐになにか起きて再入院を繰り返し、この一年半ほどはほぼ病院にいる状態。それでも入院している間ははまだよかったのかもしれない。 

現在は積極的な治療はないため、近々退院を迫られている。

様々な事情からこの秋に胃瘻を施した義父。胃瘻の手当ては通常それほど難しいことではないが、義母には高齢なこともあり、結構な負担だ。

さらに、胃瘻をしてからこっち、イライラすることが格段に増え、ときには暴言を吐くようにすらなった。
元気な時は、「イライラ」という言葉とは最も遠くにいた穏やかだった義父が、「気持ちを鎮める」という漢方薬を処方されるようになったくらいだ。

寝たきりになって人工呼吸器をつけたり胃瘻を施してまでは生きたくない、と言っていた義父。
それはまだ元気だったころの考え。

意志がまだはっきりしていて、歩き回ることもできるが、口から一切食べることができなくなり、胃瘻か死かと突きつけられたとき、周囲はもちろん、本人も「死」を選ぶことはできなかった。それを誰がせめることができるだろうか。私たち周囲者たちのことも、義父本人のことも。

しかし、日々弱って変わってゆく義父を見て思う。
本当にこれでよかったのか。
義父はどんな生き方を死に方を望んでいたのか、望んでいるのか。
「できることはしてきた」
それが、私の言い分だが、望んでいることをして来られたのだろうか。
義父の人としての尊厳とは、これから老いてゆく私の生き方は、死に方は、その尊厳は。
考えても行き着く先はいまはない。