今の職場とはいつのまにかずいぶん長い付き合いになりました。
二太郎が1歳になる月に復職して約13年、その前に一姫が産まれる直前まで約3年。一旦退職していた間もなんとなく縁が切れず、気づけば来年で20年。結婚生活とほぼ同じ期間です。

この間にカニ男は起業して成功し、えげつない言い方をすれば、私は生活に心配がないのに、ずっと仕事を続けてきました。

恐ろしく人見知りの激しい一姫と丸2年間べったり2人で過ごし、二太郎が腹に入ったころ、絶妙なタイミングで職場から「戻っておいでよ」と声がかかりました。3歳からの幼稚園は一姫には難しいかもしれないな、と考え始めたころで、このまま母子べったりではお互いにだめになってしまうと悩んでいたころでもありました。
自分自身も、このまま社会と断絶されたままでいいのか?という焦りもありました。

なんのとりえも資格もない主婦が仕事を探そうとしたら、大変なはず。これは運命かもと思い、復職を決めました。しかも、これから産まれる子(二太郎)が1歳になってからという無茶苦茶な条件もあっさりのんでくれ、母子3人の生活を1年間満喫してからの復職でした。

それから、約13年。
ただの事務員だったはずの私は何かに押し流されるように全く興味のなかった電脳の世界に放り込まれ、35歳を過ぎたあたりから完全に事務職から離れてDTPのオペレーターとして勤務するようになりました。
全くの素人で教えてくれる人もおらず、泣きながら仕事をしたことも数え切れません。他にオペレーターはいなかったので、保育園に迎えに行くまでに仕事が終わらなければ、一度家に帰り、家事と子どもの世話をしてから深夜に再び出勤するという離れ業も何度もこなしてきました。

なんのためにそこまでして仕事をしているのだろう、何回も何回も考えました。

今でもその答えは情けないことにわかりません。

子どもに働くお母さんの姿を見てほしかったということはあったと思います。
私はパートタイマーでしかなかったけれど、子どもたちが大人になるころには男も女も一生の仕事を持つのが当たり前の世の中になるだろうと思っていました。
男も女も家庭を持って働くという現実がどんなものなのか、男としての社会での在り方、女ならではの仕事の仕方、みたいなものをわかってもらいたかったのかもしれません。

成りたいものになる、就きたい職業に就く、それも大切なことですが、与えられた場所で自分の能力を発揮できる人生であってほしい。そういう姿勢を母として示したい、と思っていました。

こうやって、綴ってみるとあまりに頭でっかちで理想ばかりが膨らんでいますね。
ふと省みれば、娘の高校の進級さえ危ないのが現実です。
なんてみっともない結果でしょうか。

いやいや、結果はまだ出ていません。
私の人生はまだまだこれからだから。
色々子どものことで悩んで、生活の心配がないならさっさと仕事なんかやめて子どものことに専念すればいいという考え方もあるのかもしれません。
でも、この20年近く、私が仕事に支えられてきたことも確かなのです。
仕事をしていなくてカニ男もまったく家におらず、日がな1日一姫の心配ばかりしていたら、今頃はとっくに首を括っていたことでしょう。
ささやかながら、私からこの仕事に対して恩返しがしたい、いつの日か。
そんな思いもあり、二太郎の受験が終わる再来年には、正社員になる申告をするつもりです。
欲張りですね、相当。