出雲、倭、伊勢、日の出を結ぶ三つのレイライン
立春の日の出に向かう天孫降臨の残映
① 石上神社・宇美神社(布都御魂神) ー 八雲山・蛇山・熊野大社(日本火出初社) ー 鏡作坐天照御魂神社 ー 他田坐天照御魂神社・纏向遺跡 ー 三輪山 ー 瀧原宮 ー 浅間山
宇美神社のある平田市には須佐之男命生誕地伝承があり・・・
三輪山には纏向遺跡、出雲の地名、近くには布都、布都斯、布留御魂を祀る石上神宮と布留の地名が・・
須佐之男命三代のレイライン・・・
② 粟嶋(少彦名命) ー 大山・蒜山 ー 生駒白庭・真弓塚(饒速日命) ー 平城宮跡・佐紀古墳群 ー (東大寺) ー 伊勢天岩戸 ー 伊雑宮 ー 的矢湾の日の出
粟嶋は大山に昇る立春の日の出の遥拝地か・・
少日子、若日子、饒速日・・
このレイラインから、生駒山に天孫降臨伝説のある饒速日命は出雲の神で、東出雲からの天孫降臨・・・
高千穂峡から夏至の日の出の方角には生駒白庭、饒速日山の日下(大山の麓にも日下が)があり、ここで神武軍と登美長髄彦が交戦・・ できすぎた話・・
③ 天神垣神社(少彦名命)・向山古墳群・お経堂山 ー (上淀廃寺跡) ー 孝霊山・鈑戸山 ー 摂津三嶋溝杭神社上の宮(勢夜陀多良比売、媛蹈鞴五鈴姫) ー 竜王山・石船神社(饒速日命)・天王町 ー 京都府加茂町(賀茂県主) ー 外宮・豊受大神宮 ー 朝熊山
※向山古墳から上淀廃寺跡の方角を撮影。
左手前に見える小山が、立春の日の出の遥拝地としては最適。
※上淀廃寺跡(東大寺と同じように朝日を遮るように配置)
孝霊山の麓には発掘の進んでいない日本最大級の遺跡、妻木晩田遺跡が・・
近くの古い神社に祀られているのは、須勢理毘売、天忍穂耳命と下照姫、少彦名、賀茂別雷神・・
摂津に賀茂建角身命、事代主命、勢夜陀多良比売、媛蹈鞴五鈴姫・・
孝霊山の麓には大穴牟遅神、須勢理毘売と下照姫、天若日子、饒速日命・・
賀茂氏所縁の地か・・
葦原中津国から出雲へ協力を求めてやってきて、須勢理毘売と手に手をとって摂津、倭を開発し治めた大国主。
母から十種の神宝を引き継いだ娘の勢夜陀多良比売は、龍王山の大物主(饒速日)の日の巫女となり、大歳と結ばれ下照姫となる。
事代主と呼ばれた大歳は、後の神武天皇を、十種の神宝を引き継いだ娘の媛蹈鞴五十鈴姫の婿に迎えた。
須勢理毘売は大国主とともに出雲へ戻り、大歳の没後に下照姫は、鳥見山から見た倭の風景に似た東郷湖の畔で余生を送った。
かつて国造りをする者が日の出の方角へ向かったのは、その方角にある土地(青垣)を栄えさせるためと考えられます。
日の出に向いた神社の鏡に手を合わせるとき、日の出に背を向けることになりますが、神社から見てその場所は日の出に向かって上座であり、幸福を呼び込む場所なのです。(日の出を背にする神社もありますが・・)
日の巫女が太陽に向かって立つのも、民を上座に置くためです。
家の中の神棚も日に向けています。神棚に祀っているのはもしかすると日の巫女かもしれません。
たとえば、豊受大神宮から朝熊山の日の出を拝して栄えた地は伊勢市。
少彦名の粟嶋から大山の日の出までの間に栄えたのは米子市。などです。
朝日を遮る場所や川上、風上に置くものはよく考えなければいけません。