三条河原町のブログ -3ページ目

三条河原町のブログ

昭和30年ぐらいまでの娯楽日本映画は、
普通の人たちの生活を実感させてくれる
タイムトンネルです。

彦左は徳川三代に忠勤を励んでまいりました。しかし、「和子」とはぐくんできた家光は、立派に成長し、「天下のご意見番」としての彦左の役割もなく、あとは、命を賭して最後のご奉公をと考えるようになる。

これを心配した天海僧正の忠告からヒントを得、家光の演じる暗君の芝居が始まります。ここでは、家光が彦左を思い、彦左が家光を思いやるエピソードがほほえましく語られます。

そんななか日光東照宮が竣工され、その参詣道中の供先の役目を彦左に与えます。(これは、天海が彦左に最後の奉公をと家光に進言したことによる。)

ここで事件が起こります。

日光参詣道中の途上、宇都宮城に立ち寄る家光を亡き者にしようと城主本多上野介は待ちかねていたのです。城代家老河村は、最後まで本多公を信じ、翻意をうながすことが臣下としてのつとめと諌言するが、聞き入れられない。だが、主君を裏切ることはできない。

この場面は長谷川一夫の最大の見せ場です。まず後ろ姿から、次に正面、徐々に顔をあげていく、クローズアップされる苦悩に満ちた顔、この顔だけで、河村の立場とその感情をほぼ100%物語っています。別に隈取りされているわけでもありませんが、最初から二役だとわかっていても、声を聞くまでは長谷川だとは確信できません。

顔と姿、そして本多上野介の怒りを受け止めるだけの押さえた演技、それだけの場面ですが、これを演じている長谷川がまだ33才とは信じられないです。 
すばらしい役者さんです。

家光を迎えた宇都宮城内では、宴が催され、船弁慶が演じられております。ところが静が義経に別れを告げたその場面で、舞手達は退席、何か不吉な予感が家光をよぎったところで本多上野介が進み出、合図とともに宴が催されている廟のすべての扉が閉じられていきます。

此処はさすがマキノ監督と思わせる計算し尽くされた迫力があります。扉がしまっていくさま、格子の陰の光の部分が、徐々に暗闇の中に吸い込まれて行く、家光、伊豆、酒井、彦左の顔のアップ、もう一度光りと暗闇、またなめるように顔のアップ、この繰り返し。すごみがきいています。

騒ぐ臣下を押しとどめる家光。
本多上野介は前に進み出て、自分は家光公に代わり徳川将軍に国松様をいただきたくこの機会をまっていました。船弁慶のシテ平知盛の舞が終わった時、この建物は中いる人とともにすべが吹き飛び、家光様のお命を頂きます、と予告します。(家光一行を殺害するための、本多の自爆テロ)

臣下達はどよめきますが、

家光は、「今さらあがいたとて、なんとなろう、本多が、おもうに任せよ!」

そこへ、一人、彦左が笑いながら、またもや自分を困らせ元気づけるために、皆が芝居をしていると、
「うふふふっ!」「ぢいは、すべて知っていますよ。皆、芝居がうまい。」

「ぢい、これにこい!」

「ハイハイ、お芝居はもうおやめなされましよ!」

「わかった、ぢい。」「ぢい、余のそばを、離れるではないぞ!」


「さあ、舞を始めようぞ! 囃せ!舞え!」と、家光。 河村の殺気漂う知盛の舞が始まる。


・・我は、平知盛の幽霊なるぞ・・あ~ら珍しや、そこにいるは義経・・
・・義経、その時少しも騒がず・・・

この舞とともに天井がきしみ出す。事の異変に気がついた彦左は、自らの不覚を悟って泣く、そのぢいを、優しく抱える家光。

じたばたして、運命に抗するよりも、定められた運命を受け入れようとする潔さ、この家光の器量の大きさをいやがなきうえに見せつけられます。 

ますます、激しくなる河村の舞、殺気を感じた家光一行が刀を手元に引きつける後ろ姿の陰、殺気とすごみを増す河村の舞、舞がクライマックスに達しようとしたとき。

「河村は不忠ものです!」と叫ぶと同時にろうそくの明かりをすべてかき消し、河村は家光一行を先導し、地下の通路より外に逃がす。自らは本多上野介の元に立ち戻るなかで死んでいきます。

若き家光を演じる長谷川も、彦左を演じるロッパも、自分の役を楽しんでいる。
しかも長谷川は、もう一役の河村靱負、この苦悩に満ち、忠君たらんとする重圧の中、知盛の霊を踊るこの役に惚れこんで、精魂込めて演じ、舞っているのがよくわかります。
「こうやっていつまでも、暮らしたいなぁ」

惣太郎のこの言葉これは普通の日本人がいつも思っていることだし、神社であろうがお寺さんであろうが、私たちがお祈りすることは「家族みんながこのまま幸せで暮らせますように。」「勉強を頑張って成績が良くなりますように」「頑張りますので、あの学校に入学できますように」というような現世利益を求めてである。

しかし、子供の頃に、「あんまり欲張りなお願いや、たくさんお願いしすぎると、かえってばちがあたるぇ。」と教えられたもんです。

なんか私たちにとっては、神様とは、すばらしい事をやってくれる、そんな存在とは思ったことはありません。だけど、「今のこの生活をどうぞ守ってください。努力しますので、どうぞ見守っていてください。」「ちゃんとしてますので、怖い恐ろしい目には遭わさないようにしてください。」とお頼みするかみさんです。

中学校でキリスト教の学校へ入り、聖書の勉強を始めた時に一番に感じた違和感は、唯一絶対の神様は大自然を支配し、すべてをわかっているということでした。

唯一絶対の神が大自然を支配できるわけがない。神様がどんなに偉くとも、科学がどんなに発達しても火山が爆発したら、大地震が起きたら終わりだ。

大自然は怖い恐ろしい、でもその自然が、豊穣をあたえてくれる。何とか自然をなだめすかして、お祭をし、今の生活を守りたい。

「こうやっていつまでも、くらしたいな」これが私たち日本人の自然な望みです。
こうやっていつまでも暮らすためには、自らの知恵と努力が必要です。即ち、人間として立派に生きているという誇りが込められています。

惣太郎は、身に起こった不条理に対しては、決然と挑みます。その不条理とは惣太郎の先祖代々が、築き上げてきた友禅染の世界に土足で上がり込み、誇りを持って仕事をする職人達を奴隷の仕事におとしめようとするものでした。

惣太郎は、友禅の伝統を、職人達の誇りを守るには、土足でづけづけと踏みこんでくる敵に条理を尽くして話しても、お頼みしても聞く耳を持たない、だったらそれを倒すために戦わなければならない。時間がかかったとしても、友禅の誇りのため身を捨てて戦かった人間がいたという事によって、後をつぐ人たちが誇りをうしなわないで生きていってくれると信じたのです。

私たちにも、同じ思いを持った先祖がいました、その思いを望みを、今を生きる私たちは裏切ってはいけないと思います。
京都の街を一の舟入から南北に流れる高瀬川は、伏見への運河で、そこから宇治川、淀川を経る、大阪への物流の拠点でした。京都の町は、三条、四条、団栗橋にかけて西側には商家や問屋の街が広がり、東側には先斗町、鴨川を挟んで、祇園、宮川町と色町がひろがる。
商家や問屋の旦那はんは、高瀬川を渡って、色町へ遊びに行き、帰りは高瀬川まで舞妓さんや芸妓に送られて帰ってくる。川辺に並ぶ柳が、一層その色っぽい風情に、彩をつけてくれていました。

その高瀬川の或る橋の袂がこの主人公花菱屋の旦那惣太郎とおつまの思い出の場所です。

「いつの間にかこんなとこへ来てしもうて、・・・」(おつま)
「いつ来ても、きれいな水が流れてるな、あれから、もうどのくらいたつのやら」(惣太郎)
「覚えてるか、初めて私が、おまえに一緒になってんかというた時、あの時、どんな気がした?」
「柳に聞いておくれやす。」(おつま)
「ふーん、えらい、冷たいこっちゃな」歩き出す惣太郎。
「あんたはん、あんたはん、なにいうてはりますの、笑うて、いややわ。」追いかけるおつま。二人の笑い声
・・・
「こうやっていつまでも、暮らしたいなぁ」(惣太郎)・・・

こんな幸せな二人が、京都奉行所と友禅問屋の組頭に痛めつけられ、優秀な友禅染職人傳吉が主人である組頭に虫けらのように殺されたのを目撃したあとに、惣太郎は、上物友禅の禁制を出し、花菱屋一族郎党をすべて牢屋に入れる計略を知った。

「義理に固いし、友禅の腕もいい、かけがえのない職人が、一人どこやらいてしもうた。はらわたの煮えくりかえる思いや」(惣太郎)、ただ泣きじゃくるおつま

何代にもわたって花菱屋の名物行事となっている新物友禅お披露目会の中止を決心する。

「そやかて何にもしらんみんなを牢屋送りにすることなんてできんわい。」(惣太郎)

祇園祭りの宵宮の日、友禅絵師の新七がお披露目会の絵柄を完成し、店に来たところを、

「なんや、そんなしょうもないもん持ってきて・・・こんなもんやったら子供でもかく・・・もう、がっかりした。」(惣太郎)
「みんなも、べんちゃらいうのえいかげんにしいや。お前らみたいな職人で新柄お披露目会なんて、もうやめたでぇ・・・もうええ、かえり。」「今日、検会所の手打ち式の日や、いてくるわ。」(惣太郎)
「何でそんなとこへ、」(新七)
「気がかわったんや。楽な金儲けさせてもらうわ。」(惣太郎)
・・・
「おつま、新七のところへ、行てきてんか。」「みんながいたんで本当の事がいえへんかったと新七に詳しい話してきてや。」と、一人になり、先祖のいる仏壇にお別れをし、手紙をしたためて、祇園祭りの宵宮の街に出て行く。

奉行所役人磯貝と組頭が、問屋衆が手打ち式に集まるのを待っているところへ、一番に乗り込んだ惣太郎は、
「検会所が手打ち式まで進み、おめでとうございます。・・・このような物品検会所は友禅染だけではなく津々浦々こういうことが行われているのでございましょうな。大きな後ろ盾があればあるほど、大きい悪いことも出来るものでございますな。」
磯貝は床の間の刀に目をやる。
惣太郎は組頭に「もっと早うお返しせなあかんかったんですが。」と借金を返す。
「こんなお金どうしたんや」「何もかもみんなうってしまいましたんや」

磯貝が床の間へ。惣太郎と磯谷の目が合う。
「貴公、心得があるな」
何もいわず磯貝をにらむ惣太郎。
磯貝の抜く刀へ向かっていく惣太郎。
次のカットでは、磯貝と組頭の倒れた姿。座布団の散らかった座敷。

京友禅の誇りを失わないように、真の友禅の美しさをわかる世間の眼を信じて、・・・花菱屋のみんなが、誇りを持って友禅職人として生き抜いてくれるために、惣太郎はひとり特攻を企てた。

草むらをふらふら歩く惣太郎の足下、惣太郎の全身。顔。魂の抜けたような惣太郎、その表情、切なく美しい。・・・倒れ込んでしまう。

惣太郎の手紙を読んで、高瀬川の川縁で待っていたおつまが気がつき。
惣太郎とおつまが駆け寄る。
駆け寄る惣太郎の後ろ姿がとてもいい。おつまに会えたうれしさが後ろ姿に凝縮している。

「あんたはん」
・・・
「うちと一緒に、逃げとうくりゃす。」(おつま)
「何を言うてんにゃ。何ぼ悪いやつでも、人殺した罪は、消えへんにゃで」(惣太郎)
・・・
「いつ来てもきれいな水が流れてるな、おまえとここで何べんおうたやろ」(惣太郎)
「わしと一緒に暮らして、おまえ、しあわせやったか」(惣太郎)
「へい。あんたはんは?」(おつま)
「柳に聞いておくれやす。」(惣太郎)
・・・
「もう、お目にかかれへんのどすやろか」(おつま)
「夫婦は二世と言うやないか」(惣太郎)

同心の片倉が来る。


それから何日かたち、惣太郎を護送する高瀬舟に花菱屋のみんなの精魂込めて染めた新七の新物絵柄の友禅が、同心の片倉によって許され、掲げられている。 京友禅とともに、一晩語り尽くそうと、夜の高瀬川を大阪へ(※)。



(※)森鴎外 高瀬舟より・・・それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。それを護送するのは、京都町奉行の配下にゐる同心 ... そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の同心仲間で、不快な職務として嫌はれてゐた。
この映画は敗戦直後昭和21年に制作されました。 この後、東宝の労働争議が起こります。

① 花菱屋は代々伝統の技術と腕のいい職人をもつ上物友禅問屋。毎年の新物友禅お披露目会(8月1日)を目指して、職人一同頑張っている。

② 女房のおじさんが自分の店をつぶした際にその残った借金を肩代わりし、おじの代わりに友禅問屋の組頭に毎月借金を返済している。

③ 京都奉行役人と組んだ友禅問屋の組頭が、友禅染の利益の独占を企て、産物検会所を設けその暴利を山分けしようとした。花菱屋は、それでは上物の技術を必要とする、いいものを競って作ろうとする京友禅の誇りが失われると敢然と主張する。。

④ すると花菱屋に圧力がかかりだす。急に、必要になったからと、借金をすぐに、全額返せよと組頭から難癖をつけられる。

⑤ 同時に京都奉行所から上物友禅の取引に売値の二倍の上納金を要求するお達しが出る。

⑥ 上納金を上乗せさせられ高値な上物友禅でもその品質のよさから、売り先が決まりホットしていると、その買い手に手渡す前に、それらの上物友禅をすべて借金の返済にと組頭に持ち去られてしまう。その上、抵当のついている友禅職人たちの長屋を早く立ち退けと迫まられる。

⑦ 京都奉行所の御用商人となり、一手に産物の値段決定権を持ち暴利をむさぼるために組頭は自分の店の友禅職人をすべて解雇してしまう。

⑧ 花菱屋についていた問屋衆は背後の権力を恐れ、同時に検会を通さないと友禅も売れなくなり全員産物検会所に入会していく。 一店、京友禅の誇りを守ろうとする花菱屋だけが取り残される。

⑨ 解雇された組頭の雇い人が、奉行所の役人と組頭の密談中に、一人殴り込み逆に組頭に殺されてしまう。それを花菱屋の旦那は、目撃してしまうこととなる。

⑩ 花菱屋をつぶし雇人を含め家族全員を牢にぶち込んでしまう計略(上物友禅すべて禁制にするという)知った花菱屋の旦那はんは、職人の腕を競う新物友禅お披露目会の中止を告げ、あとはなにもいわず、祇園祭の宵山の日、産物改会所の手打会の直前、武器一つ持たず身一つで乗り込む。すべての事情を書かれた手紙を残して、友禅染の誇りを守るために。

まるでアメリカとアメリカににじり寄った蒋介石に、じわじわと経済制裁と外交による謀略を、やられ続けた日本そっくりではないか。そして日本人の誇りを叩きのめそうとした。この時代の人たちは、アメリカに負けて悔しくてたまらなかった。まだ誇りを失ってはいなかった。本当にそう思います。

このテーマをすべて優しい京都弁で、美しい数々の友禅と祇園祭りの賑わいをバックに語られる。筝曲は宮城道夫、美しい琴の音が全編に流れています。

戦前の「おもかげの街」「名人長次彫」「韋駄天街道」に続き戦後すぐのこの「霧のよばなし」すべて萩原遼監督の作品です。萩原監督の作品は、普通の庶民の生活をそのまま写す。
高いところからの監督目線が全く感じられない。

花菱屋のだんなはん(長谷川一夫)が、決意を固めて祇園祭りの宵宮の街を歩く姿が、その賑わいのなか、子供の遊ぶ線香花火が美しく輝き、そして消えていくカットが大写しになる。
とてもきれい。
そして潔い。
「おもかげの街」「霧のよばなし」「ぼんぼん」考えようによっては「韋駄天街道」も時代の流れに翻弄されながら商家を守る、守れなかったというテーマです。長谷川演じる若旦那はどれもとてもいい。

「韋駄天街道」江戸の大店の苦労知らずの若旦那は、親父が死んで初めて店の現実を知り、お店の立て直しを願う番頭を振り切って一人中山道の旅。

時代は幕末。須原宿の手前でふと目にした、駕籠かき同士の争い、一人は足の悪い客を山中まで来たことをいいことに駕籠賃をつり上げようとし、もうひとりがそんな人の弱みにつけ込んでは、お客に申し訳ないと喧嘩している。若旦那は見過ごすが、一人の駕籠かきが仕事を放棄し、山を下り始めるのを見て、「俺が代わりに担ごうか?」と駕籠を担いで須原宿までやってくる。

なんか知らないが気のいい、その駕籠かきといると、街道で出会っていた馬子が、「番頭さんがあんたを捜している」と番頭さんをよびに行こうとする。ところが、買ったばかりの馬を盗まれてしまったと泣いてもどってくる。ここで番頭に江戸へ連れ戻すのを、諦めてもらうためにも、持っている金をすべて馬子に「いい馬を買うんだよ」とやってしまう。

若旦那自身も、これで決心がついたんだろう。駕籠かきに「これで、御覧の通りの一文無しになりました。わたしを駕籠かきにしてください」と頼む。相棒がいなくなり、こまっていた駕籠かきはこれで仕事を続けられると大喜び。

一人の風来坊が須原宿にいつくことになった。

いついてみると、なんか自分のやることでみんなに喜んでもらえる。すごいことができるとほめてくれる。「何もかもかじりましたが、みんな中途半端で・・・」と若旦那。

それでもみんな、役に立つ男だと、問屋場(✐)の取りまとめ役までが、ぜひ問屋場で働いてくれとやってくる。 番頭までが、「もうお店を再興してくれとは申しません、皆様のために働いてください若旦那様」とまで言ってくれる。 しかし、味方が出来れば敵もできる。

維新前夜の騒ぎで、運送業はあわただしく、人足が足らなくなり、問屋場に人が集まらず、給金のいい親分のほうに荷物も集まりだし、ピンチに陥る。すると、あの馬子が仲間を連れてやってきてくれた。あの駕籠かきも、問屋場の取り締まりも、代筆してやったお米さんも、あの番頭までが、若旦那とともに働きだす。ついには祭りの采配まで任される。

これで、自然と若旦那は自信を取戻し、求められれば、頼りにされれば頑張ります。
江戸で若旦那がかじっていた、知識や技が、ここでは本当にみんなの役にたつ。

江戸から来た若者が村の役に立つ、信頼できる男にそだってくれた。

江戸から明治に時代が動いた時、若旦那は、創設された村の郵便局の局長となっていた。

これこそ長谷川一夫にピッタリの役です。

江戸へ、東京へと、野心に燃える若者が、競争し、勉学にいそしみ活力ある日本を築き上げていったと同時に、あまり語られないが、この映画のように、江戸から、心やさしい若者が、学者が、地方に求められ住みついていった。この双方向の動きが、日本の繁栄のエネルギーとなっていたのではないだろうか。

この話は、現代にもつながる話で、いつまでも、親元にいたのでは、この若旦那のように何もわからず、親が死んで初めて、店の現実を知り、店はつぶれてしまったとなってしまう。 今では、親が死ぬ頃には、息子の人生も半ば以上過ぎてしまっている。

みんな長生きをする現代、15歳を過ぎたら、大学で勉強を本格的に始める前に、一度は親から離れて生活してみたほうがいいのではないか、この若旦那のように役に立つ、いいやつだとしたわれ、その責任を果たしていく力を手に入れることができる可能性も出てくる。これからは、都会と田舎の両方の生活力を身につけた若者が日本をひっぱっていくようになるのでは。

都会の人間だけの競争社会では、ハラも胆も据わらない文化の衰退がはじまるんじゃないかと・・・


✐問屋場:
問屋場は宿場でもっとも重要な施設です。問屋場には大きく2つの仕事がありました。一つは人馬の継立業務で、幕府の公用旅行者や大名などがその宿場を利用する際 に、必要な馬や人足を用意しておき、彼らの荷物を次の宿場まで運ぶというものです。
もう一つが幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける飛脚業務で、継飛脚(つぎびきゃく)といいます。
宿場を円滑に運営するために、宿役人が存在していた。この宿役人が業務を行うために詰めていたのが問屋場(といやば)である。

「ぼんぼん」という映画は、長谷川一夫自身が、脚本家の北条秀司を訪ねてこの映画をやらせてくださいとお頼みし、「よし、わかった。長谷川さんどうか頑張ってやってください。」とお許しの出た作品である。(父長谷川一夫の大いなる遺産より)

これがどのような時代であったかというと、GHQの指導により東宝、松竹、大映の大手三社に加えて日映、朝日、理研、横浜シネマ、移動映写、吉本興業、劇団、劇作家、演出家、シナリオライターなどが結集した日本映画演劇労働組合が1946年4月28日結成され10月15日を期してゼネストに突入した。 東宝大争議である。

これで先に撮影された「霧のよばなし」の出演料はもらえず、やっと実現した新演技座復活公演も何日かの公演のあと中止せざる得なくなっている。この間、長谷川自身もストを反対するスター10名と「十人の旗の会」のもとに結集している。この映画も新しくできた新東宝の配給である。

(十人の旗の会メンバーは、大河内傳次郎、長谷川一夫、黒川彌太郎、藤田進、原節子、高峰秀子、山田五十鈴、入江たか子、山根寿子、花井蘭子)

チャンバラ映画こそ、日本兵の強さの源であるとでもGHQは分析していたのであろうか、映画会社を徹底的に骨抜きにしてリベラルなアメリカを美しく描き、戦前の日本封建的な社会の暗さを暴き立てる映画作りの地盤を固めたかったのか。

でも、当時、このもくろみは、長谷川一夫の「ぼんぼん」を見る限り、成功していない。
小さな老舗で起こる小さな労働争議を扱ってはいるが・・・

ぼんぼんは、店の従業員に対する扱いをもう少し近代的にするべきだと考えるが、なかなか父親は聞く耳をもってくれない。そのイライラを忘れるために、業界のスポーツ連盟の世話人をしている。

そんな時、お店の番頭格の奉公人がおんなの奉公人に手をつけたと言うことで、追い出されます。あんたのやったことは悪いと釘をさし、店をやめさせられた従業員の待遇を改善してほしいという話は聞いてやる。しかし、父親への個人攻撃になりそうなことになると、「ええ、もうわかった」と切り上げる。

店に帰って父親に意見しようと思うが、父親のまえに立った途端「なんや、そんな汚い足。拭いてこい!」自分の足を見て奥に入る。母親に「おとつぁんが、お店にどーんとすわってやはるとなんやもうお店は一部の隙もないようなきがする!」「そりゃ、大黒柱やから・・・」(母親)

「古い時代はふるい時代として、一個の完成品やからなぁ!・・・どーんと腰がすわとるわ」

そうこうしているうちに、奉公人たちがおずおずと旦那はんに待遇をもうちょっと改善してくれとまとまって文書を添えて、抗議に来ます。

ぼんぼんは、プールで指導中
「あんたはフォームばっかり気にしてるけど、もっとファイトをださんと勝てへん」と同業者のいとはんにコーチをしている処へ、先にやめた奉公人が、「みんな立ち上がりましたぜ、ぼんぼん頑張って下さい」とやって来る。

「うん、ぼく、おとつぁんとあんたらのサンドイッチになんのかな」と弱気な返事。

「えっ、さっき私にファイトが足らんというてはったんはだれどすやろ?」ここで、いとはんに背中を押されて店に急ぐぼんぼん。

従業員の出した書き付けを見て、「みんな、はらわたにくすぶっていたもんをはき出してしもうて、あんがい明るい顔してまっせ。」

うちの店だけが待遇が悪いわけではないという父親に、「いや、うちの従業員は違います。 はっきり、時代というもんを気付かせてくれたことをありがとうおもわんといけまへん。」

「ぼくは、おとつぁんと、比べたら、ちっと頭が弱いから、おとつぁんが、コロッと逝ってしもたら困ります。ぼくのようなもんでも何とかやっていけるように店の風通しをもうちょっとようしておいてもらいたい、お頼みします。」

「コロッと逝ってしもたら」に反発しつつ「コロッと逝かんように灸に行ってくる。」と親父は、出て行ってしまう。

一人残されるぼんぼん。追い打ちをかけるようにおとつぁんに反発して結婚したいと思いを打ち明けていた奉公人の女中に「約束をした人がいます」と打ち明けられる。
相手は、子供の時から一緒に育って親友みたいに思ていた従業員。「わてをおぼんさんに譲って、このお店を出て行こうとしてはります。」

「なにを、馬鹿なことをいうてんにゃ。 でも本当の事をいうてくれて偉い。 おまえらの事はうまくいくように何とかしてやる。」

ぼんぼんから若旦那へと育つ、寂しさがおそってくる。

「なんか寂しいなったら、あのおとつぁんの苦虫をかみつぶしたような顔がみとなりました。」と母親に告げ、父親のいったお灸治療所へ、いそぐ。

灸をしている親父の処へ行って、「おとつぁんは、えらいなぁ!・・・そやけど時勢というもんがあります。それがわかってはるから強いこと言うてはったんや。」

「たまらん、たまらん」息子に、応える親父「灸がたまらんのやで・・・そやけど、また今日みたいに俺に、灸をすえてくれ、俺はかまへんでぇ」

大正13年の京都の封建的な制度の残っている老舗。暗い因習の世界やろか???
祇園祭りのお囃子をバックに、元気なぼんぼんを中心に、明るく、さっぱりとした人間模様が描かれている。


なぜ長谷川一夫がこの時この映画を創りたかったのか、その意図はどこにあったのだろうか。
ぼんぼんが若旦那になっていく、「ご時世からはずれている、なんで親父はこんな古いやり方をすんのや。」親父を批判的にしか見られなかったぼんぼんが、従業員の思いを代弁し、親父に相対していくうちに、だんだん親父の立派さも苦労もわかってくる。

「そやけど、やっぱりこのままではあかん。俺も本気で、店と仕事に付き合わんと、親父の心も動かせへん」と気がついていく。

祇園祭りでむかえる京都の夏、そこで老舗の「ぼんぼん」が若旦那へと育っていく、時代は大正デモクラシーの頃。

二枚目半で、おうちゃくい、気のいい、しっかりもんのぼんぼんを長谷川一夫は、まるで素の自分のように演じている。ここでは結婚したいとおもうたひとに、単刀直入に告白し、あとで恋人がいたことを知らされる。つまり振られる役です。

祇園祭り宵山の日には、親が結婚させよとしているお嬢さんが来てるというのに、ガキ大将となって店のみんなと将棋に興じ、「これ、まるで初代鴈治郎さんが、ガキ大将のように将棋をうっていたそのままの姿を写したんじゃないのかな?」 なんてふうに楽しませてくれます。

夕立の中、濡れて帰ってくると、親父とお袋がいるその店先で、雨に濡れるのも気持ちええと浴衣をぬいでパンツ一枚で仁王立ちになり、祭りのほてりを冷やしていると、親父に「何あほなことを」といわれたとたん、大きなくしゃみ。

三条大橋(?)の遠景、京都の古い問屋街、そして、煉瓦のチャペル(同志社中学のチャペルみたいにも見えるんですが)今出川通り?(御所と同志社の間かな)を自転車で走るぼんぼん。

昭和22年の京都の街も堪能できます。
「どうや、ちょっとは機嫌直しよったか」
「泣く子は丈夫だす。」
「こいつ神主さんお前でえらい青筋たてて泣きよったくせに」

いくたまさん(生國魂神社)でのお宮参りの帰り。

ちょっと境内で一緒にあそんでいことしたとき、万吉の姿を見た佐七は、

「ちょっと、ようを思い出したんや」(佐七)
「そうどすか。 ほな、おはようおかえり」(お千代)
「きいつけていきなはれや」(佐七)

この何気ないやわらかな関西べんが何とも言えずここちよい。特に「きいつけていきなはれや」という軽い発音が、やっぱり二代目鴈冶郎が同じような言い回しをしてたような気がする。初代鴈冶郎さんを感じられるゆったりした上品な商人言葉。この映画全編がすべてやわらかい関西弁の世界である。

(河内屋のお店で)
「あんたもすっかり貫禄が付きましたなもう押しも押されもせん旦那はんにならはりましたな。」(長浜屋)
「あほらしい何をいわはるこっちゃ。」(佐七)
「先代は腹が大きすぎて商売には向かんひとやったから、お店もなかなか大変どっしゃろ。
あんたのその人柄を見てると誰でもひと肌脱ぎとうなる。わても出来るだけてつだわせてもらいます。」(長浜屋)
「何につけてもみなさんのお袖にすがらんことには・・」(佐七)
「あんたがドスンと座ってはったらもうこのお店も大丈夫や。」(長浜屋)
「あほらしい、うまいこといわはって、本気にしますがな」(佐七)

順風満帆に見えたお店だが、尼寺にやった娘が道楽もんの元亭主万吉と一緒に行方知れずになった。

「わてからも何べんもいうてみたけど、ねいはん何にも聞きはらへんのや」(弥平お家さんの弟)

「強いことも言えず、あのまま万吉さんをおいかえしてしまわれへんかったのはじゅうじゅうわるいとおもてます。
けど、離縁とは、離縁にまでなるとは
どうせ、おかあはんには、気に入らんわてどしたけど 離縁とはあんまり、あんまりやと思います。なあ、弥平はん」(お千代)

「そりゃそのとおりやけど、ねいはんの腹立ちがみんなあんた一人にかかるようになってしもうて、かわいいお美代がこんなことになってしもうたから、ねいはんがカッーとなってのぼせてしまわはったんや。」(弥平)

「きのう、おとっあんが幸せに暮らしているというて、あんなによろこんでくれたはったのに。」(お千代)

「つらいやろけど。そのおとったんのところへ帰っていくのはつらいやろけど、
わてがあんまりいうと、
あんたに寺へいけというた佐七はんの立場もつろうなる。
家の中の波風がもっと、おおきうなってくるんや。
何事も定めやとおもうて・・・なあ、お千代はん」(弥平)

この弥平とお千代の話を庭で黙ってきいている佐七。奥から様子を見ているお家はん。

お千代のことを思うた与平は、お千代をあるところへかくまい佐七とお千代が会えるようにします。
そこでの佐七とお千代の会話。
「義理も遠慮もない、昔も今もない世界にはいってしまおと思たら、あんな姿になるしかないのかな。」新内流しをみてつぶやく佐七。そして自分の過去の素性をお千代に話そうとする。

すると「何をいうてはりますの、そんないつものあんさんらしくもない。
私がいま信じているのは、今のあんさんだっせ、そのほかのあんさんの事は何もききとうおまへん。あんさんがいつも思うてならはらんなんことは、ご先代からうけた深いご恩だっしゃろ。お店のためにつくしてあげておくれやす。」(お千代)

店に戻ると、商売に焦った番頭が、仲買人にだまされて、大損をしてしまい、このままでは河内屋が危ない、何とかしなければとなる。

佐七は松平家のお蔵屋敷と取引してもらおうと何度も頭を下げに行く、その帰り道、万吉がおどされている。脅している男が、江戸にいたころの自分の弟分(大助)だと気が付く。

お蔵屋敷の取引がかなうことになった。しかし、養子の佐七の元の身分を簡単に形だけでいいので記すようにと・・・

一方、万吉の女お美代が河内屋のむすめと知った大助が、先代の命日の日に河内屋へゆすりに来ると、逃げてきた万吉に知らされる。

命日の日お寺から帰ってくると、その大助が、店にゆすりに来ていた。

佐七の素早い対処で・・・大助はにげていった。しかし、店で暴れた大助は佐七の過去を・・・
すべてが終わった後、河内屋の奥座敷。

「みなさんえらいお騒がせいたしまして申し訳ありません。
ご先代の命日の日に、ご先代でけが知ってくれてはった私の素性が知れたのもなんぞの回り合わせやと思います。」(佐七)
「佐七さん何もそんなこと・・・」(お美代)
「何も言わんといてください。酒のために身を持ち崩し、親に勘当され、牢にまで入ったこんな男を、ご先代は見込んで人間になれというてくれはりました。
うれしかった。うれしいおました。ぷっつり酒はやめて一生懸命にはたらきました。」

「でも、今度はもうおいとませんなりまへん。
お店を思うたらほんまにおいとませんなりまへん。」

「佐七、たとえあんたが、昔はどんな人でもわてら何ともおもてしまへんで-、なあ・・・」(お家さん)

「お願いだす。そんなこといわんで、どうぞ、今まで通り河内屋の主人でいておくれやす。」(お美代)

「ありがとうございます。いまのお言葉ほんまにうれしゅうおます。
けどわが身ひとり人間になりたいと思うて、お店のご迷惑のかかることをわすれておました。

もうこんなもんがいたらお店に傷がつきます。今日は、いくたまさんのお宮うつしで町内のみなさんも知ってしまはりました。

わたしがいたらせっかくついてきたお店の信用も落ちますやっしゃろ。お蔵屋敷との取引もできんようになりましゃっろ。」(佐七)

「おかあはんお願いだす。お美代はんをおうちへ入れてやっとくれやす。万吉さんとそわしてやっとくれやす。 ぼんという跡取りもできています。」(佐七)

「佐七」(お家はん)

「おかあはん・・・お家さん・・・」(佐七)

「たった一人になって今度はご先代やのうて、世間が昔のことをゆるしてくれはるまでじっと待とうと思います。」(佐七)


先代のお墓に参って一人で旅立とうとする佐七。
そのお墓のそばでお千代は待って居た。

「水臭いとおもいまっせ、わてが、今まで申し上げてたことをなんでわかってもうていただけまへんのや。
昔のことは知りまへん。これから先の苦労ならどこまでも一緒にさせてほしいと思います。
おおかたここやと思うて、押しかけ女房に来ましたんどす。」

「なあ、どこへいくあてもあらへんにゃで。」(佐七)

「そんなこと・・・
どんな世界に入っても、本当の人間になろうとさえ努めたら、やっぱり、ご先代のご恩返しの一つになりまっしゃろ」(お千代)



人間という言葉は、今よりもずっ~と重みのある、もっと深みのある言葉だったんだと、きづかされました。
すみません。リアルタイムで見たわけではありませんので、初代中村鴈治郎の世界といっても私のなかで想像している世界ですが。

想像の手がかりとは、吉例顔見世興業が終わった後、顔見世と同じ演目を同じ南座の舞台で、京都の旦那衆が演じる素人顔見世に子役で何度か参加したことがあったというようなことです。顔見世興業中から、十三代片岡仁左衛門さん、いまの秀太郎さん(まだ二十歳まえだったのでは?)、当時の六代目坂東蓑助さんから指導を受けることができるという豪華版でした。舞台がはねてから南座の横にあるお稽古場に来て、私たちみたいな端役の踊りの指導まで細やかにして下さりました。また、楽屋に呼んで頂いき舞台裏から見る機会もありました。

そして、歌舞伎役者さんと京都の旦那衆との和やかな練習風景。歌舞伎が伝統芸能というよりはもっと庶民の生活に寄り添ったものだったのではないでしょうか。このような交流が、関西歌舞伎を支える一つの源でもあったのでしょう。

これだけの手がかりで、初代鴈治郎の世界を語ったのではしかられそうですが、「父長谷川一夫の大いなる遺産」林成年著のなかで、父はいつも実母の舞台評を聞きたがり、「ほんとに、うちのお父ちゃんのまねを上手にしやはる。・・・」という母(初代鴈治郎二女たみ)の言葉を聞くことを後生大事にしていたといいます。

だからこそ、「おもかげの街」には、何気ない動きや言葉のリズムに初代鴈治郎さんの写しがたくさん盛り込まれているように思います。大阪の呉服問屋河内屋の世界は、まるっぽ、関西歌舞伎の雰囲気のなかにあるようです。

先代から平穏に事業承継がなされた、静かな河内屋の世界に波紋をまき起こす人物万吉が「これは誰を恨む事もおまへん、あんたは自分で自分を不幸にしてはる。」と八卦師に直言されるところから、物語がはじまる。

私はこの映画が大好きで、「近松物語」より、長谷川らしい長谷川の世界のような気がします。

長くなりますが次回もう一度「おもかげの街」の続きをお聞き下さい。
先代から引き継いだものを次の世代へ渡す。こうして私たちの庶民の生活は日々営まれています。そして、その知恵や技術が一つの共同体のなかに集約され、事業が成立していきます。

その事業を守り育てるには、立場、立場により、いろいろな制約があり、思い通りにはなりません。そこで私たちの先祖は苦しみ悩み、「義理と遠慮」のなか工夫を凝らし生きてきました。

これを古くさいと一刀両断にしてきたのが戦後の私たちの世代かもしれません。しかし、そういう古くさいものから解放された私たち庶民は、自由で、仕合わせな家族や個人になってきたでしょうか。

この古くさい社会のなかで、自らの立場をわかり、精一杯生きているひとびとが淡々と描かれているこの映画から学べるものが、多くあるような気がします。

大阪の呉服や河内屋は,一人娘に婿を取ったが、主人の目にはどうしても店を継がせるには不安があり,信頼できる使用人佐七(長谷川一夫)に、嫁(入江たか子)をとり,養子とし、店を譲るという遺言をのこしてなくなる。

結果、娘お美代の婿万吉は,佐七をねたみ恨んで放蕩を繰り返し,佐七に遠慮した先代のお家さんは、お美代と万吉を離縁させてしまう。

そして、娘一人で生んだ子を養子の佐七とお千代の子とする。これも、家を、お店を、守るための知恵だったのでしょう。


もうすぐ先代がなくなって1年という時期から、この物語は、始まります。


一人娘お美代の婿・万吉は、やくざな世界に入ってしまいましたが、やはりそこにもなじみきれず、お美代には未練があり、何とかお美代とよりを戻したいとうろうろしています。

お美代の母親、お家さんは、この1年、佐七がお店のために頑張ってくれている姿を見、また万吉がお美代に未練があるのを知って、万吉がこの店に戻ってきては、佐七に悪いとお美代にあわせないために尼寺へ入れます。

しかし、佐七への遠慮から、かわいい娘を手元におけない寂しさが、嫁のお千代にむかい、強く当たってしまいます。佐七はそのお千代の苦労をわかっていつもお千代を支え、お千代はそれをありがたく思っています。

佐七は佐七で何とか、万吉さんに真面目な商人に立ち直ってもらおうと、そとで見つけた万吉をお店に連れてきお家さんにあわそうとしたり、お家さんがお美代さんを尼寺に入れたと聞くと何とか慰めようとお千代に会いに行ってもらいます。

しかし、このみんなの思いやりが、絡み合い、もつれ、お美代は尼寺を出て万吉と一緒に行方不明になります。お家さんは、嫁のお千代が、手引きして万吉とお美代を逢せたにちがいない、何をしてくれたんだという怒りが、お千代一人にむかい、離縁させて実家へ戻します。

悪い時には悪いことが起こります。商売に焦った番頭が、仲買人にだまされて、大損をしてしまい、このままでは河内屋が危ない、何とかしなければとなる。

しかし、佐七、を含む周りの人たちは、慌てず、騒がず、折れそうになる心を支え合って、何とかもつれたひもを解きほぐそうと、一つずつ、目の前にある難問に、静かに、しかも、粘り強く向かい合っていきます。

もつれた糸は解きほぐされていきますが、そこには大きな犠牲を払う人が出てきます。

この物語を見ていてほっとするのはその犠牲を払った人にみんなが心から感謝し、その犠牲の意味を理解している。また、犠牲を払った人間も、その犠牲が周りの人に理解されているとわかっている。これがどれだけ心の栄養になっているか。

 長谷川一夫は、押さえた演技で、苦悩する若旦那を演じている。そのさりげなく、暗くならない演技のなかに初代中村鴈次郎の写しが、入り込んでいるような気がする。この頃の長谷川一夫は、本当にいい。

その事については、次回に。