ブラッドパッチ療法



そして事故から4年経ったころ、

診断名がついたことでようやく初めて

治療をうけることになり

熱海の病院に入院した🏥



髄液の漏れてる箇所を自分の血をとって

かさぶたのようにして塞ぐという

ブラッドパッチ(硬膜外自家血注入療法)

という治療のためだった



今から20年程前になるが、

見た目でわからない、検査にも表れないため

なかなか症状自体も認めてもらえなかったり、

理解してもらえない状況の中で、

誠意を持って熱心に診察に当たられ、

治療法を編み出してくれた医師による治療があった



だが、まだ治療法が確立されている訳ではなく

医師も手探りの状況、

当然、色々な不安があったがもやもや

とにかくこの辛さを一刻も早く改善させたい!!

母としてこの愛しい幼子のためにも、

自分のためにも、

家族のためにも、

心配させてしまっている両親、姉妹、親戚のためにも、、、

ただただその一心で

治療ができるならば今すぐにでも

という必死の思いだった



そうして受けた初めてのブラッドパッチ

背中の髄液が漏れている箇所に太い針で

血を入れれば入れるほど痛くて耐え難かったが

これで治ってくれるのならなんのそのと

目をつぶって耐え抜いた

出産を経験していたのでそれ程の痛みではなかったかも知れない



ブラッドパッチの直後、あれだけ重たかった

頭が初めて軽く感じ、視界もすっきりしたような

感覚がありバルーン効果風船を感じたふんわり風船星

治療後は絶対安静でなるべく寝て動かないようにしなければならなかったふとん1



そして数日で退院

遠かった病院から寝ている体勢で

また長時間、車に乗り帰路につくには車

頭が痛くて気持ちも悪くて目眩も吐き気もして

辛すぎる体調だったガーン

早く早く、家に着いてくれないかな?

それだけだった



帰宅後、

ブラッドパッチは治療後がなんとも辛い煽り

髄液が漏れていた期間の2倍の期間をかけて

徐々に良くなっていくという

医師の説明があった通り

ただでさえ極限に近いくらいの体調のわるさが

一時的にさらに増してしまう

治療後の一旦悪くなるといわれている期間が

あんまりにもあんまりにも辛すぎて

またこの治療をしなければならないと思うと

とても気が重かった



が、なんとか元気な元の体に治し

母として元気に子育てをするためだと覚悟し

また少し間をあけて

2度目のブラッドパッチをした



こうしてわたしは

3度のブラッドパッチを受けた



が、、、

しかし、、、

治療後、どーんと悪くなりそこから徐々に元の体調ぐらいには戻るが元より改善されている感覚を感じることはできなかった泣泣泣



何回目で改善できるのだろう???

それよりも4年も漏れていたならば

徐々に治っていくのにその倍の期間8年もかかってしまうことになるアセアセ



そんなことをしていたら

愛しい我が子が幾つになってしまうのだろう

その間、こんなにも具合いが悪いまま育児をすることになるのか泣くうさぎ

もはや母として10%にも満たないくらいの力しか発揮できないような状態悲しい

そしてブラッドパッチをしたからといって改善できる保証もないんだ

むしろブラッドパッチをして一旦わるくなってしまう期間を逆に作ってしまうことになるのかな???



思考が停止してしまった。。。



どうしたらいいんだろ?もやもや



大変なご苦労の中真摯に向き合ってくださりスター

治療法を編み出し、激務をこなされている

当時の熱海の先生には心から感謝しているお願いキラキラ



けれど、

まだまだ治療法の確立されていない中での治療、

自分の体調をよーく観察する

自分の体に向き合う

自分の心の声を聞く

ことが本当に大切だと思ったハート



そして、

待ったなしの育児を何よりも優先したい自分の気持ちに気づきラブラブラブラブ

ブラッドパッチは一旦諦めることにした



とはいえ、体調は相変わらずのどん底状態

母として何とか乗り切るために

医師が考案してくれた経口補水液OSワンを点滴がわりに毎日3本飲んで這い上がりながら育児に専念することにした



OSワンは

わたしにとっての命の水だった桜