診断
こうして一人目育児が始まって
赤ちゃんに対する愛情が日に日に溢れてくる中
わたしの体調はというと
明らかに症状が増え
ひどくなっていってることを感じ
赤ちゃんを抱えながら👩🍼
とても不安を覚えていました
病院へ行っても異常なし、原因がわからない
とにかく耐え、自分をごまかしながら
目の前にいる天使を何としても守り育てなければならないと自分を奮い立たせ
母としての覚悟と母性だけを頼りに
這い上がりながら育児をこなしていく毎日
そんな中、数年が経ったある日
わたしの父が新聞で
事故の後にわたしと同じような
症状の人たちがいるという記事を
見つけてきてくれました
すぐ様目を通すと、
そこに載っていた方の症状と
まるっきり同じではないか
これだ!!と自分ですぐに確信しました!!
どうやら脳脊髄液減少症というらしい
(当時は低随液圧症候群という名前でした)
そこから色々調べ
二十年以上前になる当時、
唯一、診断治療してくれる先生が
熱海にいらっしゃりすぐに予約をとったが
病院は数ヶ月待ちの状況でした
そして、待ちに待った受診日
きっとわたしと同じような症状と思われる
患者さんたちが
待合室で起き上がっていられずに
何人もの患者さんが
椅子に横たわって待っていました
とても異様な光景でしたが
わたしももれなくその一人でした
まずは何項目もの問診票に記入
問診票に書かれた何十種類もの症状ほぼ全てに
当てはまり、
私は重い方なのだと実感しました
そして始まった診察
今までどこの病院でもわかってもらえなかった
症状に対し、しっかりと理解してくれ
今までの経過をたっぷり時間をかけ聞いてくれる
とても優しい医師で安堵したのを覚えています
そして後日、髄液の漏れを確認する検査
MRIや造影剤を入れて行う脳層シンチグラフィーという検査をしました
結果、背中の首の下あたりに3箇所漏れがあるということでした
こうして初めて
ありとあらゆる原因不明の症状は
むちうちにより髄液が漏れたことによるものであろうという
脳脊髄液減少症という診断名がつきました
事故の前までは健康優良児だったわたしだが、
ある日から次々と原因不明の症状を
かかえることとなり
ずっと原因不明だったところから
診断名がついただけでも
とてつもなくほっとしました
このとき、事故からすでに4年が経っていました
これが二十年以上前に
現代医療の西洋医学の病院で
わたしがまず最初にうけることができた
診断名でした