出張坊主・西川舜優です。 -12ページ目

出張坊主・西川舜優です。

真宗高田派 義明寺 衆徒 
株式会社 舜 代表取締役

通っている整体の待合室に飴がおいてあるんです。いろんな種類の飴がおいてあって本当にうれしい。職業柄、のどが大切なので常にカバンにはのど飴が入っていて、飴もいろいろな種類を舐めましたが、やはりノンシュガーのど飴が一番です。

で今日この待合室の飴にCHELSEAのヨーグルトフレーバーが置いてあったんですよ。懐かしすぎて二つも口に入れてしまいました。帰りにはコーヒーフレーバーをお土産でもらってしまうくらいおいしかったです。

CHELSEAは大人になっていろいろな飴を口に入れてよくわかります。丁寧に作られた飴の味がします。僕もそういう後から思い返して、そして再び味わって「あ~やっぱりいいわ。」と思われる説教が伝えられる説教使になっていきたいです。

というわけで今日は「国がちがえば人の命の扱いがちがう」はなし。

 

以前より命の重さは変わらないが、命の価値は数によって稀釈する。という持論を展開している西川舜優です。きっかけはインド、ニューデリーの駅前の交差点。

あまりの車の数。信号なんてだれも守らない。目の前でひとりのインド人が車にひかれた。日本だったら大事だ。救急車がきて警察がきて保険屋さんが調査して賠償したりする。

しかし目の前のインド人は笑われている。「おい、ドジなやつが車にひかれてるぜ。」って。命の価値が等しいならば、いくら一粒、一粒の命もくじら一頭の命も同じように大切にされているはずだ。

ちがいは数が多いか少ないか。インド人よりも日本人の方が少ない。命の重さは同じなはずなのに大切さがちがう。

そんなインドでまたしても凄惨な事件が起こった。ある家族の娘(19)が家族の反対をおしきり結婚した。全く祝福された結婚ではなかった。原因は調べてみたがわからなかったが多分カースト制絡みの結婚だったのだと思います。多分男性の方の家柄が下位層だったのだろう。

しかし娘はかけおちした。ある日弟から電話があった。「ねーちゃん、結婚おめでとう。お祝いするから住所教えてよ。」弟なら大丈夫だろうと娘は住所をおしえてしまった。

その日の夜に弟と母親は娘夫婦の新居に忍び込み、二人を襲った。夫は逃げ延びたが、娘の方はなんと母親に押さえつけられ弟が首を切断した。

そしてその生首はみせしめの為か玄関に飾っていったのだという。

 

この事件、この母親と弟はどんな罪になると思いますか?日本なら厳しい罪に問われるでしょう。しかしインドではこうした家柄を取り巻く親族間の殺人に関しては「名誉殺人」といって罪には問われない。

今回の事件は母親と弟が自首して逮捕されたが殺人事件に問われない可能性も多いにあるということだ。ちなみにインドでは昨年「名誉殺人」が適用された事案は23件もある。

国が違えば文化も違う。殺人事件の取り扱い方も違う。命の価値も違う。グローバリズムが年を追うごとに重要視されていっていますが、元貿易業のビジネスマンだった経験からこれだけは言いたい。

自分のなかの正義を持つこと。

 

正義というのはすごく曖昧なものなのですが、自分を育ててくれた人たち。自分が育った環境。自分が培ってきた感性。一人で生きていけないのが人間であるならば今まで生きてきたたくさんの縁に感謝して自信をもって自分の正義をもつこと。

そしてその正義のなかに許容と容認の二つを入れておけばそれはもう仏教なのではないかな。とも思ったりします。

名誉殺人も正義。それをおかしいと反対するも正義。正義という揺らいだ悪魔を心に持て。とは随分なことを書いてしまいました。

センセーショナルな事件に驚いたお坊さんは

0120-176-152

法要から納骨まで

 

 

西川舜優は心をきめました。ブログを書き終わったら年賀状をやる。と。心に決めました。

僕の説教の師匠は古風な方でして、お坊さんは世間の手本にならなくてはいけない。衣替えの季節や、高座に上がる時の衣の生地等、随分と怒られました。

法衣の扱いは尊敬する先生方にも本当にありがたく教えていただきました。昨日、馴染みになりました美容室に置いてあった雑誌をめくっていたら劇団ひとりのインタビューが載っていました。

特集はもちろん今、ネットフリックスで話題の「浅草キッド」だ。劇団ひとりといえば、自他ともに認める浅草キッドマニアだ。そんな彼が作る映画をみてみたいな。と思い、先程見終わりました。

なにこのものすごくいい映画は。監督劇団ひとりの浅草キッドに対する愛をものすごく感じる脚本だったし、俳優陣も素晴らしかった。ものすごく感動しました。

僕はお坊さんという世界に入ったので師弟関係、先生、生徒という関係を築けられましたけれどもきっと飲食店やサラリーマンをしていたらみつけられなかった関係かもしれません。

師弟関係、先生、生徒の関係。ここを繋ぐのは間違いなく年齢や、生活を超えた友情だと思います。感謝が溢れる友情の一つの形なのではないか。と師匠や先生の立場になったことない私がいうのも変な話なのですがそう感じます。

いつもありがとうございます。

 

というわけで今日は、「櫻井翔の質問炎上について」

 

たまには時事をやりたいんですよ。共通の話題をとりあげたい。

今回の騒動は、真珠湾攻撃で魚雷を撃った元日本兵に対してインタビューで「アメリカ人を殺してしまったという感覚は?当時は?(どうだったのか)」という質問をし、その方がその質問を正面から受けとめしばらくの沈黙のあと答えられたインタビューが炎上したという事件です。

このインタビュー動画を僕は何度も見直しました。櫻井さんは全く悪くない。むしろ、戦争中にどんな心理状態になっているのかをものすごいリアリティで語っていただいた言葉を紡ぐきっかけとなった質問でした。

この話をする前に現在の豊かな生活の為に戦った日本兵の方に感謝と尊敬を送らせていただきます。

 

日本兵のかたの名前は「吉岡政光さん」真珠湾で航空母艦と戦艦をしずめてこいという命令をうけ、ターゲットに向かって魚雷を発射した。もちろんターゲットに命中することを目的としていますから命中すればよかったと思えたのだそう。

 

命令は「人を殺してこい」という命令ではなかったが、その戦艦のなかに人が入っていることは十分に知っていた。しかし私は命令を受け仕事をしてきたのだ。としきりに話されていました。

 

そしてこのインタビューが終わった後に吉岡さんはこう語っておられます。

 

自分のやったことも、たくさんの人が死んでいる。戦争とはたくさんの人が死んでいる。殺している。だから戦争をしている自分たちが口にだしては言えなかったが戦争は一番やってはいけないものだ。

 

最後にこんな言葉で締めくくられていました。

戦争とは無残なものだ。人殺しなのだ。殺しの最大なものは一番深い罪になる。それをみんな考えてくれれば戦争はできないはず。

 

尊敬を込めて私の感想をつづらずに今日はこれで終わりたいと思います。

 

フリーペーパーに掲載するために原稿をおくらないといけないのにメールアドレスが書かれた名刺がみつからないお坊さんは

0120-176-152

法要から納骨まで

 

 

皆さまはご存知だろうか。「角谷のやきそば」。秘密のケンミンショーという番組に紹介されてから他県のアンテナショップでは売り切れが続出したというあの北海道は室蘭の名物である。

最近、北海道に行った友人から買ってきてもらい今僕の手元にあります。そこで今週の初めてやってきた緊急企画「角屋のやきそば」をたべてみよう。

さぁこの見た目、皆さまでしたらどう食べますか?

 

パッケージにはフライパンで温めてどうぞ。と書いてありますが、

この焼きそば、なんとそのまま食べるのが室蘭スタイルなんだそうで。かつて室蘭は炭鉱夫の町でした。汗をかいて己の肉体一つで家族を養っていた屈強な男たちが片手え食べていたのは、ハンバーガーではなくホットドッグでもなく、焼きそばでした。

つまり、この焼きそばはそのまま食べるのが正解。早速いただきました。がぶり

ちょっと甘めなソースがやたらおいしいです。一応レンジで温めたものも食べてみましたが、不思議と温めると薄味になるんですね。付属していた赤いものは紅ショウガでした。いろいろ驚きの焼きそばでした。

 

角谷のやきそば

味★★★★☆(正直やきそばというよりも、お菓子としての評価)

リピート★★★★★

僕は大好きな味でした。気になった方は是非どうぞ!

 

ということで今日は「拈華微笑(ねんげみしょう)」のはなし

 

お寺の取り組みの一つとして寺報というものを発行している寺が一定数いらっしゃいます。発行するペースは一カ月に一回のところもあれば二か月、三カ月、四カ月に一回のところもあるし、オールカラーのところも新聞形式のところもあります。

僕のところにはありがたいことに毎月どこかの寺報がとどくのですが、今日は臨済宗の方の寺報に載っていたはなし。

ある時お釈迦様は多くの弟子の前でお説教をするために前に立ちました。お釈迦様はその麗しく、ゆっくりとした動きで蓮の花を一輪手に取りますときゅうっとおひねり遊ばされました。

するとその様子をみていた多くのお弟子方は、ぽかんとその様子を見ていました。いやまぁそうだよね。僕でもぽかんとする。そして次にやってくるであろう説教に耳を傾ける準備をする。

しかしマカカショウという弟子ただひとりだけがお釈迦様に微笑み返して、その様子をみたお釈迦様は、「マカカショウただ一人だけが私が悟った真理を得たことを認める。」と教団の後継者へマカカショウを推薦したというはなし。

ん~この話は一体なんでしょう。なにを言いたいのかさっぱりわからない。臨済宗や曹洞宗などの禅宗ではよくつかわれる説教らしく、伝える意味としては「以心伝心」なのだそう。

要するに師の所作に疑問をもたず、「これはこういうものなのだ。言葉で言い表すことのできない事柄がこの世界にはたくさんある。」

という意味です。

 

思えば最近、たくさんの心のうつろいや、教説を言語化しているな。と思います。その分、知識とテクニックだけが増え、こういった師の所作をそのまま素直に受け入れるということをしていないな。と思い返しました。

 

年を取ると、経験や体験や知識ばかりが先立ってついつい素直にありのままをみつめ受け入れるということをやらなくなってしまいます。

特に知識や教養を必要とされる現代ではなおさらです。プライベートな時くらいその心の鎧を外してなにか素直になれる映画や友達と過ごす時間をつくってみるのもいいかもです。

今日は妻の同僚が3人も家に訪ねてきて、疲れ切っている主夫もやっているお坊さんは

0120-176-152

法要から納骨まで