坊主、手術するかもしれない恐怖におびえる | 出張坊主・西川舜優です。

出張坊主・西川舜優です。

真宗高田派 義明寺 衆徒 
株式会社 舜 代表取締役

実は交通事故の後、通院を続けているのですが左肩が90度以上あげると激痛がはしり事故後90日が経過しても続くので、担当医が、

「これは肩の腱が損傷しているかもしれない。紹介状書くから大きな病院でMRIを撮ってきてくれ。」

「わかりました。よろしくお願いします。」

「しかしここまで長引かせたのはワシの責任もあるから転院する?紹介状書くよ。」

70前後のお医者さんは悲しそうに僕に訪ねてきました。いやなんというかまぁ近所だし、もし手術しないといけないほどの損傷だったとしたら先生に手術をしてもらうわけではないので「いや、先生のところでいいですよ。」

と返したらやたら嬉しそうでした。そんな会話が先週にあって今日は新栄の病院にMRIを撮りに行ってきました。

MRIってなんであんなにガンガンゴンゴン音がなっているのだろうか。あの真っ白なトンネルに入るのが怖い。という声お聞くのですが交通事故4回目の僕はすっかり慣れっこで30分の昼寝を満喫しました。

しかし肩の腱の手術は全身麻酔なのだそうでそれだけが本当に嫌です。だって尿道に管を通すんですよ。入れる時は寝ているからいいのですが抜く時が痛い。部分麻酔はできない手術のようで結果が今から怖いです。

でこの事故の影響で会社のチラシが配れないのである雑誌に広告を掲載したところ、ホームページへのアクセス数は3倍。このブログへのアクセス数も1.5倍になりまして、自分の会社の特性にあった広告方法を探すことも大切なのだな。と気付かされました。

というわけで今日は「布施のはなし」

 

現在真宗高田派では宝物館をリニューアルするために寄付を募っています。というのも真宗高田派は真宗(浄土真宗)のなかで最も歴史が深く親鸞聖人が書かれた書物や仏像などたくさんの宝物を所蔵しています。

そしてそれらを所蔵、保管、管理している宝物館という建物は国宝級の宝物があるにも関わらず、空調や湿度を管理できる機械がないどころかかなり状態がよくない。

そしてついに宝物館リニューアルを決定しまして寄付を行っています。もちろん僕も寄付をしてきまして記念品を頂きました。中身はなんだって?教えません。

教えませんがとてもよいものです。ふふ気になってきたでしょう。でもね、高田本山は現在、コロナの影響で県外からの参詣は自粛です。ふふふ残念です。この記念品の中を手に入れられないとはね。

仏教において寄付のことを布施ともいいます。この布施ですが、お金がない人はどうしたらいいのでしょうか。ちなみにお金や衣服を布施することを財施(ざいせ)といいます。

他にどんな布施のやり方があるかというと、①あなたの素敵な眼差しでみつめたり、②素敵な笑顔を振りまいたり、③優しい言葉をプレゼントしたり、④その健康的な肉体を使って重いものを運んであげたり、⑤優しい心をプレゼントしてみたり、⑥座る場所を譲ってあげたり、⑦寝る場所を提供してあげたりがあります。

これを無財の七施というのですがどれもだれでも簡単にできるものです。布施というのは他を思って行動することです。つまりこれはボランティアか!と思われた方、それは全然違います。

僕はインドで乞食行(こつじきぎょう)をしていたことがあります。ガンジス川のほとりで布を2枚まいて、インドの人たちから施しを受けて3日間を暮らしました。

布施ってした方よりも受けた方が偉いんですよ。つまり僕にお金や、食べ物を施してくれた人よりも施された僕の方が偉いんです。偉いという言い方は語弊がありますが、とにかくものすごくお辞儀をされます。

まわりの修行者を見渡すと施された方は実に偉そうに施した方の頭や肩に手を置きます。置かれた方は有難く手を合わせます。

この時に僕は布施の本質に気が付きました。布施というのは僕に施しているのではなく、僕を通して神やら仏に布施をしているんです。だからボランティアとはその性質が大きく違う。

ボランティアは人が人に手助けすることでしょう。だからボランティアする方の気持ちがどういう状態であろうと問題はないわけです。一方布施は施す側の気持ちがとても重要になってきます。

お坊さんやお寺に渡すお布施。これで渡したお坊さんの生活を支えてやった。と思うのか、このお布施によって仏教が存続し、そして後世に繋がれていくのだと思うのか。そういう差です。

西川舜優に手を合わすのではなく、私を通じて仏法に手を合わせていただいているのですが、すぐに勘違いをして自分が偉くなったのだと思いあがるお坊さんは

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