今はネット社会で、宝塚音楽学校の入学案内もYouTubeで行う時代ですが、ネット社会でなかった頃は、「宝塚音楽学校」という本を出版して、入学試験や宝塚音楽学校での生活を紹介していました。

「宝塚音楽学校 改定版」は、昭和61年(1986年)1月20日付けで出版されています。

著者は上田善次氏。

著者略歴を引用しますと

1925年、大阪生まれ。演劇評論家・演出家。
株式会社読宣 専務取締役。
株式会社読宣伝企画 代表取締役専務。
月刊「読売ライフ」編集長。
昭和24年より、芸能記者として約20年、宝塚歌劇を担当、新夕刊新聞社編集局長を経てフリーとなり、現在まで約三十数年、ジャーナリスティックに宝塚歌劇を見守っている。
昭和43年、日本万国博覧協会より、お祭り広場催し物「若人のまつり」「舞扇七十」など各種芸能イベントを制作・演出。
演劇・芸能・舞踊など各種芸能イベントを制作・演出。
演劇・芸能・舞踊など評論のペンもとっている。
前著「宝塚スター・その演技と美学」(読売新聞社発売)

以上。

(著者のことば)を一部引用。

七十余年の伝統に輝く宝塚音楽学校-昭和60年も17.5倍の狭き門を突破して憧れの制服と制帽を身につけた予科生たちは、いまどんな毎日を送っているか。まだ夜の明けきらぬうちに起き、毎日一時間半におよぶ教室、廊下などの掃除。
ぎっしり組み込まれた各授業。そして夜は個人レッスンのかずかず…。

(中略)

「失礼しました」「有難うございました」「お疲れさまでした…」まだあどけない少女たちは、この言葉を一日に何十回いい、何十回頭を下げることだろう。
学校と先輩本科生によるきびしい指導としつけ。
若者たちのシラケ時代にも、宝塚音楽学校の生徒たちは、その青春を賭ける対象を見つけて汗まみれになり、手ごたえのある日々を送っている。
その手ごたえとはなにか-予科・本科二年間の全授業、行事を取材して追求してみた。

(中略)

また十六年間の卒業記念文化祭の秘蔵写真や十年間の入学式・卒業式のカラー写真を用意した。
持ち運びに重くて定価の高い本になりましたが、病身の私には命を削る思いの一年間だった手作りの本です。

以上。

上田善次氏の紹介で、かなりの行数になりました。

「青春を賭ける対象を見つけて汗まみれになり、手ごたえのある日々を送っている」

果たして、今の宝塚音楽学校は、そうなのでしょうか?

「病身の私には命を削る思いの一年間だった手作りの本です」

命を削る思いで、この本を作ってくださった。
今、そこまでして、本を作ってくださる方、いらっしゃいますかね?

「あとがき」を読むと、この「宝塚音楽学校」出版は、上田善次氏が「作りたい」と思い立ち、宝塚音楽学校の許可を得たそうです。

今の宝塚音楽学校だったら、絶対許可しないでしょうね💦

(著者のことば)や本の中身を見ても、上田善次氏が愛情をもってタカラヅカに接しておられたことが分かります。

16ページ「校長先生かわる」から引用。

頬に涙を流す生徒、目尻をうるませる人…宝塚音楽学校の校長が熊野紀一先生から田辺節郎先生に昭和60年7月1日付でかわった。
同日午後3時からその挨拶の式が宝塚音楽学校の講堂で行われた。
それより先、6月中旬の夜、熊野先生から仕事のことで自宅に電話を頂いた時、「実は…」と、そのことを私は聞いたが、「生徒にショックを与えてはいけないので、正式に発表になるまでは内密に…」といわれた。
電話を頂いた時も数人の本科生が来宅していた。それから半月、生徒さんたちに会うたびに、話題がそれにふれないようシンドイ思いをした。
式の当日、熊野校長は白のスーツ姿で本科生、予科生全員に要旨は次のような最後の訓話をされた。
「本科生は予科生に対して、楽しく明るく接し、自分自身には厳しくすること。皆さんは自分自身を計るすばらしい物差を持っている。"清く正しく美しく"という物差です。今日は正しく出来たか?どんな場合でも美しかったか?このことを大切にしてもらいたい…。」

つづいて田辺節郎新校長が就任の挨拶をされた。
「当校の"清く正しく美しく"という永遠に変わることのない、ゆるぎない言葉を私は受けついでゆきたい…」
そして生徒たちに初めての訓話をされた。
「一つは"相手の立場に立つ"ということ。自分の好まないことは相手にしない、自分のしてほしいことを相手にする。二つ目は"信頼感"を持つということ。教育の世界は信頼感なくして成り立たない。皆さんは信頼するにふさわしい人々の集まりと思います。私は皆さんを信頼します…(中略)熊野先生にお願いしたい。卒業式にはぜひご出席頂いて、巣立つ本科生を見送って頂きたい…」。

本科生の間からすすり泣きが聞こえた。
すすり泣きは後方の予科生へ波紋のようにひろがった。
生徒全員が起立して熊野先生に「ありがとうございました…」とお礼をいった。
昭和44年から校長在任16年。つねに生徒には温顔で接し、公平無私で学識豊かな人格者の"名校長"だった。

以上。

非常に長い引用になりました。

とても、感動的な辞任と新任のご挨拶です。

最近、報じられている宝塚音楽学校の実態と、あまりにかけ離れていると感じます。
記者の家に本科生がいるなんて、今では考えられないことでしょうねぇ。

今の宝塚音楽学校校長の辞任・新任の挨拶は、どのようなことを話されているのでしょう?

「相手の立場に立つ」ということ、できていますか?

宝塚音楽学校の生活について、当時の現役タカラジェンヌや卒業された方が話されています。

ある元トップスターは、「反省会の最中に笑ったりして叱られて、本科生から"そんなに笑いたかったら笑いなさい!"と言われて"失礼します"と言って笑ってたり、予科生にものすごくモノマネが上手い人がいて、立場上、"やってやって〜"とは言えないので、強い語調で"モノマネやってるんだって。ちょっとやってみてよ!!"と言ってやってもらったら、モノマネが本当に面白くて、笑ったその拍子に後ろのドアが開いて私と同期一人がひっくり返ったんです。予科生にものすごく笑われたの覚えています」

と語っておられます。

他の方の思い出話も読みましたが、今の宝塚音楽学校とは、あまりにかけ離れた…厳しさはあったのだろうけど、今の宝塚音楽学校のようなパワハラ洗脳ではなくて、正しい厳しさ、「相手の立場に立つ」厳しさだったのだと感じました。

海外に旅行してニューヨークやパリなどの劇場を観て回ったスターたちは口をそろえて

「宝塚ほどすべての点ですばらしい舞台は世界にありませんし、宝塚ほど根性のあるいい人がいっぱいいるところも他にないんじゃないでしょうか…」

と仰ったそうです。

今のスターは、何と言うでしょうか。

まず、プライベートでニューヨークやパリなどの劇場を観て回る時間がなさそうですよね。