京都の神宮丸太町駅の丸太町橋から、
鴨川を眺めてた。

川と山が目の前に広がり、
ポツポツと河原で人が休んでる。

ギターを持ってた事もあったのか、
無性にここで歌いたくなった。

去年3月23日の、
「カケラバンク」活動休止から、
この一年間全く歌いたいと、
思わなかったのが嘘のように、
体はいちもくさんに橋の下へ降りてって、

童謡「ふるさと」を歌っていた。

ビデオカメラも持ってたので、

歌ってる自分、

ではなくて景色を「バック」に、

それも又、
違うような気がして、

景色を「フロント」に、
先日作ったオリジナルの四番を添えて歌った。

よく見たら前方では、
少年二人が釣りをしていた。

この歌を今ここで僕が歌う事を、
知ってたかのような奇跡に歌いながら笑ってしまった。

そして歌が終わった瞬間、
ウグイスがタイミング良く鳴いてくれた。

「ホーホケキョ」

何だか一羽から拍手を貰った気持ちだった。

歌は場所の力が加わると、
言霊を見事に生んでくれる。

確か初めて感じたのは、

5年半前の京都のお寺「永運院」の、
お庭で日が沈むのを見ながら、

バラード「蝉時雨」を歌ってたら、
全身に鳥肌が立った時だった。

言葉と場所が、
化学反応を起こしてるのを感じた。

部屋で歌っても、
スタジオで歌っても、
ライブハウスで歌っても、
コンサートホールで歌っても、
味わえない感覚がそこにはあった。

鴨川で「ふるさと」を歌っててハッと思った。

「これから色んな曲の言霊が、
生きる場所へ出かけてって、
景色に向かって歌おうって!」

ブワブワと思いついたのは、

教会で「Amazing grace」を。

桜並木の下で「春よ来い」を。

雨の日の電話ボックスで「レイニーブルー」を。

夏の森の中で「夏の終わり」を。

秋の月の下では「花鳥風月」を。

今や色んな人が部屋の中で、
自分の顔を映してカバーしてるけど、
僕は古都京都の数ある絶景の中で歌いたい!

いや、

絶景に向かって歌いたい!

って素直に思った。

お坊さんがこっちを向かずに、
背中でお経を僕らに唱えるように。

太古の歌うたいが、
大自然の中の見えないものへ、
言葉やメロディを捧げるように。

そして、
タイトルも思いついた。

「コトバショ」。

古都+言葉+場所。

まずはこの動画を第一弾として、
この春から続々と自撮りして行きたい。

もし「この場所でこの唄を聞きたい!」

ってリクエストがあればジャンジャン教えて下さいね。

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童謡「ふるさと」を、
一度だけライブで歌った事がある。


2年前の祇園祭さなかの、

「京都文化博物館」で、
ライブをさせて貰った時に。


先週その「ふるさと」の、

2番以降の歌詞を調べふと口ずさんでみた。


1番では地元で、

遊んだ日々を思い出し、

2番では両親と旧友を思い出し、

3番では都会で夢を追っていた。


その3番を歌い終えた時、
なんだか終わった感じがしなかった。


今の僕はどうしても、
その後を歌いたくなってしまった。


だって僕は主人公とは違って、

今その「ふるさと」に帰って来たから。


そしてふいに思った。


「そっか!

4番を作って歌おう!」って。


30を超えた者にしか、
歌えない歌があるはずだと気付いた。


10年前の自分には悪いけど、

娘が生まれた時に、
自分が生まれた意味を、

ようやく知れたからこそ、
10年前の自分には絶対に、

つづれない言葉があるはずだと気付いた。


そしてこんな歌詞が生まれた。


京都の何処かで、

いつの日かライブする日が来たら、

これを歌えたらいいなぁ。



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「ふるさと」


作詞:櫻井幹也 作曲:岡野貞一


1番2番3番


生まれた地を離れて
生まれた意味知りえた


永久(とわ)に残れ この歌と

この景色と ふるさと



※上記写真:櫻井幹也(京都・伏見)


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ここ最近テレビをつけたら、

「大塚家具」の親子がもめている。


経営方針で会長と社長が、

それぞれに記者会見を開いて、

異論反論を主張していた。


その父親側であり会長の勝久氏は、

元々ああいう人だったせいなのか、

色々あって今疲れているせいなのかは知らないけれど、


記者会見で言った言葉が引っかかった。


「娘の育て方を間違った」


って言葉に。


我が子の事を他人の前で、

完全に否定する事は大人として、

どうなのかなぁって僕は思った。


「育て方を間違った」

って言葉を口にする事自体、

もう間違いな気がした。


娘を社長に任命したのなら、

その方針に口出しせず見守って欲しかった。


父親の会長にとっての失敗や間違いは、

社長の娘さんにとっては栄養であり経験で、


そもそも会長も色々失敗や間違いを経て今があるんじゃないの?


って何も内情を知らないけど、

ついそんな事を思ってしまった。


一親としていつか子どもが大きくなった時、

「愛を持って放任」しないとなぁって考えさせられた。


心理学では、


「ヤマアラシ・ジレンマ」と言う言葉がある。


ヤマアラシの親子は冬の間、

体温を分け合う為に寄り添って生活をする。


けれど近付き過ぎるとお互いのトゲで傷付けあう。


だから適度な距離で生きていく。


人間もなんだか同じ気がする。


近付き過ぎたら過保護になるし、

遠過ぎたらネグレクトになる。


そして、


「子どもは鏡」。


僕が娘のおもちゃをつい、

床に落としてしまった時、

数週間前に僕が叱った言葉、

「なにやってんの!」で、

そのまんま娘に叱られた時や、


何気なしに娘のほっぺに付いた、

ご飯粒を取って食べてあげたら、


「ありがとう」


って言ってくれた時そう思った。


当たり前だけど子どもは、

言葉使いも言い方も、

表情の作り方も親を真似る。


感謝する回数が叱る回数より多ければ、

大人になった時必ず感謝されるはず。


よし。


明日もし娘がおもちゃを落としたら、

一度笑って拾ってあげようかな。


失敗を叱る事が、

そもそも失敗な気もするから。



※上記写真:櫻井幹也(京都・伏見)