高校生に暴言を吐いた、
滋賀の議員が記者会見で謝罪していた。
68歳。
年齢的にも立場的にも、
子ども達を愛する側。
なのに、
愛情を自分の方に、
向けて欲しくなったのか、
「一回戦負けしろ!」
ってな子どもじみた発言をされた。
心理学では、
ちょっと難しい言葉だけど、
「認知的不協和理論」って言葉がある。
(にんちてき ふきょうわ りろん)
アメリカの心理学者、
「レオン・フェスティンガー」氏が唱えたもので、
人間は矛盾を抱えた時、
緊張し不快な気持ちになり、
それを解消しようとするというもの。
この議員の頭の中はきっとこうだったと思う。
自分はここまで生きて来て、
社会的に偉いし常に尊敬されるべき。
なのに、
目の前にいた高校生達が、
思った以上に敬意をあらわしてくれない。
彼が求めているパワーを100だとする。
しかし若者はたった20しかくれなかった。
その結果、
その差80を埋める為には、
①自分が相手の価値観に合わせるか、
②相手を自分の価値観に合わせるか
の二つがあって、
その②を彼は選んでしまった。
その時に愛情ある言動で、
先に与えてから相手からの敬意を貰えば良かった。
でもそんな大人な事はせず、
反応がすぐに分かる、
相手を罵倒する言動で、
未熟な自己顕示欲を満たそうとした。
その結果、
バッシングをされ県議団代表を辞任。
欲しい物以上に失った物の方が大きかった。
今時しっかりした小学生でも、
出来そうな会話のキャッチボール、
「ギブ&テイク」が出来なかった。
そうは言っても、
僕も子どもが出来る前までの、
20代の頃は「テイク&ギブ」の精神が強かった。
自分が損してまで誰かを得させる気持ちは弱かった。
でもずっと「テイク」を求めててふと気付いた。
結局「ノーテイク&ノーテイク」(?)な日々になってるなぁって。
テイクばかり求めてても、
ギブもテイクも周りの人間関係で生まれなかった。
ボールを投げずに、
ボールを投げろと駄々をこねてた感じ。
だから「絆」も何も生まれなかった。
そして「絆」を作ってる人を見て気付いた。
周りの人に愛情を注げる人は、
日々自分にも愛情を注いでる人なんだなぁって。
「愛される人」は「愛してる」んだなぁって。
けどその、
自分を愛する事も、
誰かを愛する事も、
一日や二日で出来る事じゃない。
何ヶ月何年もかけて、
ゆっくりと時間をかけて花開く。
人間も人間関係も、
自動販売機のように、
数秒後に欲しいものは得られない。
植物のように少しずつ上へ伸びて行く。
だからこの二年程、
なりふり構わず、
「ギブ&ギブ」で生きて来た。
自分にも他人にも。
もしかしたら、
周りの方から色んな「テイク」は、
あったのかもしれないけど、
そんな事はどうでも良くなった。
テイクの為にギブしてないから、
テイクの量と同じギブをするって発想もなくなった。
そしたらその逆の、
日々息をしたり笑ったり、
ごはんを食べられてるのは、
周りの人や自然からの、
「テイク」のお陰だと思えるようになった。
「テイク&テイク」で生きられるようになった。
去年の統一地方選挙時に、
当選した人の約半分7500人が、
60歳以上だという。
車の免許もそうだけど、
本人と周りの安全面を考えて、
高齢者にはせめて色んな、
適正テストをしっかり設けて欲しい。
前回のブログ に書いた、
EQテストをもっと浸透させて欲しい。
今回この議員さんは、
役職を辞める事で落ち着いたのかもしれないけど、
役職を続けてもいいから、
放課後の時間なり、
高校野球の練習に、
一週間でも参加して貰ったら良かったのに。
高校生の気持ちも理解できて、
普段自分が「テイク」されてる事が見え、
もっと「テイク」が欲しいっていう気持ちは、
遠くの方へカキーンって吹っ飛ぶ気がする。
そして何より、
立場の違う人と、
キャッチボールをする事で、
色んな物をちゃんと胸元へ、
投げられるフォームが作れる気がする。