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自転車を止めて、

ゆっくりと左に流れる、

羊雲を見ていた。


一つも同じ形はなくて、

一つもとどまる事はなかった。


ボーっと空に10分程、

意識が集中してたら、
僕の中の何かもフンワリしていた。


その時、

ミュージシャンとして、
活動してた14年間で、

曲作りしてた深夜とか、
大事な大きなライブで、
何度となくトランス状態に、
なった時の感覚に近いと気付いた。


事細かにその日の出来事を話しても、
ただ鼻で笑う人や首を傾げる人が多かった理由が、

ようやく理解出来た気がした。


それは、


1600年前に生まれた、

仏教の「唯識論」ってのが、
殆どを代弁してくれてる。


簡単に言うと、
こんな感じ。


僕らはいつも、

目と耳と鼻と舌と皮膚の五感と、

言葉などを使った「第六識」である思考の、

「意識(顕在意識)」だけで生きている。


と錯覚している。


前回のブログ書いた事が、
更に0歳以前までに広がり続いていく感じ。


それによると、

今の僕らを日々突き動かしているのは、
顕在意識の下にある「七識」の、

「末那識(まなしき)」と言われる、
「自我執着心」だと言われている。


例えるなら、
集合写真を見て最初にする事は、
「自分を探して容姿等を気にする事」的な、
常に「私」に囚われている煩悩達。


自慢も我慢も執着も全てここの仕業。


しかしその「末那識」も、
更にその下の「阿頼耶識(あらやしき)」、

と言われる「八識」という所を対象としている。


つまり、
脈々と先祖から受け継がれて来た、
約40億年の全てのデータが、

僕らのDNAの中には貯蔵されていて、
そこが源になって生きている感じ。


西洋では「心が全てを作ってる」と言うけど、
東洋では「心さえも僕らが勝手に作ってる」って話。


きっと、

覚醒するような感覚になる色んな修行や、
ランナーズハイのような状態になる、

色んなスポーツと同じように、


あの曲を作った時も、
あのシビれるライブをした時も、

この「種」に僕はアクセスして、

七識より上が全部麻痺してたのかもしれない。


「何かが降りてくる」って表現を使う人もいるけど、

「何かに降りて行く」の方が僕はしっくり来てた。


多分遺伝子に降りて行ってたのかも。


遺伝子の一つ0.000001mmになって、

入り込んで行く感じが近かった。


引きこもりや閉鎖的な人や集団のように、
自分以外敵という感覚じゃなくて、

味方と敵や自分と誰かとの境界線が無くなって、
約2万もの遺伝子同士が繋がって、
そこにいる数え切れない先祖達と交信する感じ。


0.000001mmなのに、
宇宙ぐらい広くてでかくなる感覚。


そう。


どうして鼻で笑われたのかの理由。


それは、


この「阿頼耶識」での体感を上の部分の「言葉」という、

人間が約400万年前にこしらえた道具で誰かに説明した所で、


経験した事のない人にとっては、

理解も想像も出来ないのは当たり前だという事に気付いた。


本質は言葉に出来ない。


だから、

真理は言葉にしちゃいけないとも思えた。


そんな事を考えながら僕は、

自転車のペダルに足をかけた。


もうさっきとは違う形や大きさの羊雲が、

目の前に広がっていた。


同じように見えて全然違った。


僕も数十分前の自分とは少し違ってた。


のは気のせいでも何でもないと思えた。


だって今のこの気持ちを、

どんな言葉にも僕は出来なかったから。



※上記写真:櫻井幹也(京都・伏見)

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