今日はへばってます。宅配を頼んだところです💦

私の場合、大きく疲れると疲れが筋肉痛のように2日後〜3日後に来ることが多いです。


さて、いよいよ病院とお世話になった先生が多くなってきましたね〜💦

この辺でざっと整理しますね。

1.Aクリニック  トンデモ先生
2.Bクリニック  B先生
3.C病院  おじいちゃん先生
4.Dクリニック  淡々先生
5.Eクリニック  お涙先生
6.Fクリニック  GJ先生
7.Gクリニック  ヤブ先生
8.H病院  モデル先生 ←今ココ

やば、自分でもわからなくなる(笑)

このテーマを書き始めたおかげで、自分に合う先生とそうでない先生を思い出してきたので、きっかけをくださった方々、ありがとうございます!!


読んでくださっている方々はおわかりかと思いますが、ここからは東京の精神科の入院事情だと思っていただければと思います。

では、思い出せる限りでいきまーす☆







閉鎖病棟では、最初は2人部屋に入れられた私。

私は最初の3日はまあまあ、わあわあしてたと思います。

津波で何人亡くなったんですか、とかナースステーションにしょっちゅう聞きに行ってました。

後ろで「かわいそうだね」って声が聞こえてました。


やはり、震災の影響で悪化して入院した人が多く、余震もあるので医師も看護師も気がそぞろで、皆神経を保つのにいっぱいいっぱいだったと思います。


モデル先生はとても熱心な方でした。

ここでの入院の最初の先生が、彼女で良かったと思います。
エピソードは後に詳しく書きます。


また、この病院は「患者様」扱いしてくれる病院でした。

この病棟では看護師さんも多くの人はとても優しかったです。

呼んだらしゃがんで話を聞いてくれたりしていました。

看護師さんの優しさは経験した中でここの病院が一番だったかな、と思います。


病棟の雰囲気は、というと、
男女混合で、事件により男性恐怖症になっている私にはとてもきつかったです。


そんな中でも、3日くらいで私の躁状態は落ち着いてきたので、自然と、仲の良い患者さんができました。

50代の鬱の女性と、30代の統合失調症の女性が仲良くしてくれて、いつもその3人組でいました。

最初その2人が仲良くしていたところに、とあるきっかけで仲間に入れてもらった感じでした。

年上の方をTさん、もう1人の方をSさんと呼びます。(イニシャルかつ仮名です)

外出できるようになったら、3人で買い物、カラオケに出かけてストレスを発散していました。

もちろん、病院であったことの悪口があればここで発散(笑)
外で話せたから良かったです。

この間、ジプレキサのせいで1ヶ月で10kg太りました。
それでもまだ、親が見て「ぽっちゃりしてかわいい!」と言うレベルでしたが、体重はどんどん増えていきました。

患者さんは男女ともに本当にいろいろな人がいました、重そうな人が多くて、このときは患者さんの年齢層も高めでした。


入院から長い2ヶ月が経った頃、私たち3人は、順不同で開放病棟に移ることになりました。

開放病棟の噂を聞きながら、それぞれ不安を募らせていました。


ちなみに、このときの私のケータイの制限は、病棟の公衆電話(普通は1つだがこの病院だけ2個あった)
→ガラケーをナースステーション預かりで時間内(元夫がこのために契約してくれた)
という感じでした。


次は、H病院の解放病棟のお話です。
 

つづきます。