私と仙台は、特に縁が深いわけではなかった。むしろ年々悪化する音楽不況により仙台という土地とは疎遠になっていた。以前商品を取り扱ってもらっていたCDショップは廃業し、交流のあった仙台バンドは上京。東京のバンドがツアーに行くのは西日本の大都市・大阪のみ、時々名古屋。東北には行かないのが当たり前になっていた。


2010年3月、東京でマンスリーイベントを開催していくにあたり、幅広くバンド情報をリサーチしていた中で見つけたのがMiD DERACINEだった。ここ数年、東京拠点ではない無名のバンドに声をかけることをしていなかった。「毎月イベントを開催する」という義務がなければ、こんなに必死にバンド発掘をしていなかったと思う。

ブログのペタ履歴で気になる雰囲気の写真(アイコン)があったので、プロフィールを見て、ホームページを見て、MySpaceで試聴した。


これは!!!!( ̄□ ̄;)!!

なんで今まで出会わなかった!?

あ、仙台拠点。

ウーン…

でも、すごく興味がある。見たい。

だからインフォからメールした。


返信きたのは1ヶ月後(笑)。

でも、どうやらリスクノオトの読者だったらしい。

その時点で好きな音楽がマニアックなことは間違いなし(°∀°)b

メールの返信は遅いし、東京でのライブも本当に少なかったけど、このジャンルは型にはまらない人間も多い。

今は全然知名度が無いけど、このバンドをどこよりも早く、広めたい。

だから連絡を取り始めて一番最初の東京公演を見に行って、その場でインタビューした。

初対面。それぞれがナイーブで、内面に何か燃えるものを持っていて、それをうまく発散できていない感じがした。自分達の音楽に自信を持っていながら、それを第三者に受け入れてもらう自信が無いように見えた。それはおそらく、彼らの音楽を「良い」と言ってくれる人が彼らの周りに少ないのだろうと思った。


でも私のまわりには、この音楽に感銘を受けるであろう人たちと読者がたくさんいる。どうにか、彼らが発信する範囲を、彼らが目を向ける範囲を、興味を、広めてもらえるように、少しずつ歩み寄り、少しずつ彼らを東京のアングラシーンへ、足を踏み込めるような環境作りをして、やっと東京に呼ぶことができたのが11月、次のステップが、2011年3月17日の予定だった。


3月17日の公演 は、私にとっては新たな試みや雑誌との連携、トリビュートイベントとの連携など、色んな要素を組み込んで企画した渾身の内容。出演者も自分が本当に好きな、それぞれをつないで更なる展開が見たいと思っていた人たちばかりだったんだ。


震災で3/17公演は中止になり、それどころか彼らが仙台から東京にライブに来れるような環境に戻れるのか?

彼らの活動は振り出しに戻ってしまうのか、それともこのまま終わってしまうのか。

未来が見えぬ日々が続いたけれど、仙台シーンは思ったよりも早く、動き始めた。

それと同時に、この苦難に立ち向かおうと手を取り合う仙台バンドとライブハウスとレーベルの姿が目に見えた。


東京のシーンも3.11以降、混乱が続いた。都会ゆえの弱さも色々見えた。人と人の繋がりの弱さも…だ。

「私、何やってるんだろう?」

自問自答の日々。

それで、雑誌を作ること、イベントを開催することを、止めることにした。「継続は力なり」と言うけれど、今この状況で「ただ続けること」が「力」だとは思えなかったからだ。

それよりも、もっと被災した人たちの力になりたい。どんな形でも。業種を変えてでも。


そんな自分としての節目と決めた8月までは、イベント開催するごとに、雑誌を発売するごとに、何かしらの形で被災地支援に繋がる寄付をして、こんな活動があるよってブログなどで伝えるようにした。興味を持ってくれたらそれぞれがそこに寄付をするなり、そんな活動があるんだなと知ってくれるだけでも良かった。


そんな活動をしていると、マンスリーイベントをやらせてもらっていた大塚レッドゾーンから、仙台のレーベル「ネオアンジェリクス」を紹介された。東北から、自分達は元気にやっているよということを伝える為に東京公演をやることになったと。その宣伝に、ほんの少しでいいから力を貸してほしいと。


そんなキッカケで知り合ったネオアンジェリクスのMARさんと、そのツアーに参加するバンド達。MiD DERACINEもそれに参加していて、仙台バンドのお兄さん格として頑張っていた。そうやって仙台シーンと触れあうようになって、まずはこのバンド達の力になりたいと思った。


続きはまた後で…


仙台、横浜、私。(後編)