私は幸いにも、今まで自分の日常生活にいつもいる人を失ったことがない。
父方のお婆ちゃんは私が3歳くらい、お爺ちゃんは小学生か中学生くないのときに亡くなって、元々年に数回しか会ってなかったし、物心ついたころには寝たきりだったから、私の生活は変わらなかった。

母方のお爺ちゃんは怖かった記憶はあるけど、やっぱり年に数回しか会わなかったし小学生くらいだったから、あまり私は変わらなかった。ただお婆ちゃんがすごくカリカリしたり相続でもめていたのを覚えている。

私の生活に一番近かったのは母方のお婆ちゃん。徒歩30分くらいのところに住んでいたし、お裁縫を教えてもらったりした気がする。可愛がってもらった。でも私が高校生になってからは、成績が悪かったり大学受験しなかったり、後ろめたさを感じていたし期待はずれの孫だったと思う。それで要介護で入退院してた頃はほとんど会ってなかった。介護は母がしてたけど、私は自分の人生で手一杯だった。お婆ちゃんが亡くなったときは相続でかなりもめて、母がとても辛い思いをしていた記憶の方が強い。自分たちの両親が要介護になったり亡くなったりしても、姉弟で争いたくないと思った。冗談ぽく「俺が金出すから面倒はお前が見ろ」って弟が言った。私はそれでいいと思った。


父の弟、私のおじさんは40歳くらいで亡くなった。
ガンだった。
父の実家に帰ったら遊んでくれたりしていたし、いつも実家のお店に立っていたし、私のいとこたちは同居していたし。年齢的にも父より若いし。息を引き取る直前に会ったときは、人間が死を迎える直前の顔が、すごく怖かった。若くても人間は死ぬというのを目の当たりにした。いとこたちは毎日一緒にいた人を失ったことでポカリとなにか抜け落ちたみたいだった。私はたぶん中学生くらいのときの記憶。



中学生くらいのときは、もし両親が死んでしまったら、友達が死んでしまったら、私はどうなるだろうって考えたけど。幸い、そういうことは起きなかった。

同級生を一人亡くしたけど、すごく仲良かったわけではないので、私の生活は変わらなかった。

外注で受けてたフリーペーパーの発注元の担当者が知らぬ間に病気で亡くなっていたのもショックだったけど、2か月に1回会うだけだったし、担当者が亡くなったことで仕事自体が切れてしまい、その仕事が切れたというアクションの中に埋もれてしまった。


この業界、交通事故や不慮の事故、過労死など、若くして命を失う人が多いけど、私は身近な人を失うことはなかった。

ジャスミンYOUさんが亡くなったときは、一度はインタビューをした人だったし、友人は仲良かったので、かなりショックだった。でもやはり私の日常生活に関わっていた人ではなく。私の生活は変わらなかった。


だから、今回が初めてなんだ。
数年にかけて、仕事の付き合いだけとはいえ、連絡を取り合って、顔を合わせたら話をして。


自分の携帯やパソコンに履歴があって、1か月前には進行形の話をしていて、いま付き合いが完了するはずじゃなかった人が、亡くなってしまった。
昨日はお通夜で、今日は告別式。
私が付き合いのあるバンドたちは告別式に出席するとのことで、私も今日行くことにした。


38歳、既婚、子供もいる。
アーティストもかかえてる。

色んなことが頭を巡る。
一昨日の夜からずっとそんな感じ。