社会的規則と周囲から見られている自分の存在に締め付けられ、一定の枠組みに捉えられてしまいます。つまり、人間は全ての経験を価値づけしながら成長していきます。


その多くは子ども時代に大人から強制的に植えつけられたものなのです。それが固定概念となり「感じること」の障害となっていますので、自分自身の幼少期の積み重ねを振り返り、どのように成長してきたかを自己観察することから始め、自分を分析し心の弱点を知る必要があります。


自分の気持が理解できなくて、人の気持が理解できるはずがありません。多くの人は犯罪者を自分とは別の次元に生きている人と捉えがちですが犯罪者も私達と同じ人間です。「犯罪者と私は違う」という考えがある限り相手を理解することは難しくなります。


ブログを読んでくれている貴女も一度くらいは心の中で「殺したいほど憎らしい!」と思ったり、身体的な暴力でなくても、他人の陰口や悪口を叩いたことはあると思います。誰もが状況や環境が整えば残虐な行為を平気で行うことができるのです。


現在、行われている裁判員裁判においても私は疑問を持っています。なぜなら、裁判員の一人でも犯罪者に対する嫌悪感や拒否反応がある以上適切な判断はできるとは思いません。そこには自分自身が深く反映されており、犯罪という現実だけを黙認し理想だけを掲げているに過ぎません。


裁判員の多くは犯罪者に対して拒否反応を示しており、被害者に対する思い入れが強かったり、被害者や被害者の家族に対する同情により、犯罪者に対する怒りが助長され正義感という価値観が先走ります。そのことで、強引な結果となり、客観的に状況を把握できなくなります。


よって、プロファイリングの際は、誰の問題なのかを明確に意識し、どの意識にも揺るがない心を持つ必要があります。

人は極限の危機に陥ると、今までに無かった感覚(能力)を感じます。その一つに「アウェアネス:感覚の気づき」と呼ばれる潜在意識があります。私は心身に危機が迫ると、その光景が頭の中に描かれる場合や「何か」を感じます。そうすると、目の前で起こる出来事に意識を集中させることができます。


集中することにより、パニックに陥ることもなく身に差し迫った脅威や怪しい人物に対して客観視できるようになります。通常の感覚だと、起きている現実に対して経験や知識と様々な情報、そして自らの価値観をから思考を働かせます。しかし、そこには不安・心配・恐怖を感じます。そのどれも自ら作り出す想像上のものであり「感覚の気づき」には邪魔な存在となります。


最近では、犯罪事件が起こると精神科医や犯罪心理学者など・・・といった人々が報道番組に出演して犯人像を想像しコメントをしていますが、犯行現場も見ず自分の価値観で犯人を断定することは倫理感を逸脱する発言にもなりかねません。


犯人は情報に関してはとても敏感であり、捜査の手が及ぶ前に痕跡を残さないように逃亡したり身を隠したりと捜査にも悪影響を与えかねません。マスコミの情報は捜査員や目撃者から得たものであり事実とはかけ離れた情報が多く、そこには個人の想像も多く誤差も生じます。


重要なのは「事実」であり、犯行に及んだ相手の心理状態を的確に覗き込むことが大切です。現場に残された証拠や事実を基に直感や感覚を併用します。しかし、これには加害者と被害者との間に目に見ない繋がりを持たなくてはいけないので、相手の心理と自分の心理が入り混じり同化してしまう恐れもあります。


他人の心を退き込むことには大変危険を伴います。覗き込むんでいるつもりが、いつのまにか相手に心を覗き込まれることにより相手の気持が伝播し心的に病んできます。


ドイツの哲学者「ニーチェ」が説いた言葉に「怪物と戦う者は、その過程で自分が怪物にならないように、気をつけなければならない・・・深淵を覗き込むとき、その深淵もこちらを見つめている・・・」


私は、仕事上トラブルを抱える人達の話を聞く機会多くあります。最初の頃は、ビジョンに気づかず、知らぬ間に相手の価値観や感情と同化してしまい心身に不調をきたしました。


「猛烈な睡魔に襲われる」「食欲不振」「気分が優れない」「情緒不安定」など・・・さまざまな警告があり心身に訴えていました。今考えれは、あらゆる警告があったにも関わらず全て無視をしていたことが原因でした。


それからは、そのような警告にも「気のせい?」とは思わず休息をとることにしました。そして、その後にその時の状況を思い起こし原因を探すことにより、自分の感覚や感情、思考が今まで以上に機能しはじめビジョンが高まります。


現在、何が起きているのかを認識し、意識し知覚します。頭で考えるのではなく心で観ます。多くの人は物事を考えるときは、倫理的思考を使い「目的」を思い描き、それに向かい努力します。しかし、ビジョンは自らの思考を一時的に停止させ「すべてを感じる」状態に持っていきます。


自分の進むべき道を頭で考えるのではなく、心で感じ取って進むのです。ビジョンとは「自分の進むべき道程を正しく見分ける能力」です。しかし、人間は成長するに従い、自分自身の観念や価値観、イメージで世界を見ようとするのです。

捕食者は私達と同じ人間であり仲間とも言えます。心の奥底に秘められた願望や欲望が制御できなくなるとき、誰もが人を殺傷してしまう可能性を秘めています。


自分の愛する人や大切に思う人が誰かの手で殺傷されたとき、絶対に復讐しないと断言できないのではないでしょか。自分の生活が脅かされ、他に全く失う物がないとき、人は一線を越えてしまう可能性があります。


しかし、人には理性というものが存在しており、それがその場の欲求や感情に流されず、より客観的、分析的な立場から物事を考え、先を読んだり様々な事態を事前に想定して、その上でベストな行動をとることができますが、私達の仲間には欲求や感情に流され自分の感じるまま行動を起こしてしまう人が多く存在しています。


人を殺傷することで自分の利益や欲求を満たそうとする人間に遭遇する確立は非常に低いかもしれませんが、その予備軍となれば話は別で身近な場所にも多く存在しています。


例えば、、友人や恋人、会社の同僚や上司に次のような言動をする人はいませんか?


相手の気持は一切お構いなしで、自分の思い通りに物事が運ばないと怒る人。
自尊心が高く、自己主張ばかりを繰り返す人。
融通性にかけ、周囲との調和を一切考えない人。


このような人達は扱い方を少しでも間違えると、些細な問題が大きな問題へと発展して大きなトラブルを引き起こす危険がありますが、実は私達は皆、何らかの「異常性」を持ち合わせています。問題となるのはその度合いであり、度合いが大きくなると感情のコントロールができなくなりトラブルに発生する可能性が高いと言えます。