社会的規則と周囲から見られている自分の存在に締め付けられ、一定の枠組みに捉えられてしまいます。つまり、人間は全ての経験を価値づけしながら成長していきます。
その多くは子ども時代に大人から強制的に植えつけられたものなのです。それが固定概念となり「感じること」の障害となっていますので、自分自身の幼少期の積み重ねを振り返り、どのように成長してきたかを自己観察することから始め、自分を分析し心の弱点を知る必要があります。
自分の気持が理解できなくて、人の気持が理解できるはずがありません。多くの人は犯罪者を自分とは別の次元に生きている人と捉えがちですが犯罪者も私達と同じ人間です。「犯罪者と私は違う」という考えがある限り相手を理解することは難しくなります。
ブログを読んでくれている貴女も一度くらいは心の中で「殺したいほど憎らしい!」と思ったり、身体的な暴力でなくても、他人の陰口や悪口を叩いたことはあると思います。誰もが状況や環境が整えば残虐な行為を平気で行うことができるのです。
現在、行われている裁判員裁判においても私は疑問を持っています。なぜなら、裁判員の一人でも犯罪者に対する嫌悪感や拒否反応がある以上適切な判断はできるとは思いません。そこには自分自身が深く反映されており、犯罪という現実だけを黙認し理想だけを掲げているに過ぎません。
裁判員の多くは犯罪者に対して拒否反応を示しており、被害者に対する思い入れが強かったり、被害者や被害者の家族に対する同情により、犯罪者に対する怒りが助長され正義感という価値観が先走ります。そのことで、強引な結果となり、客観的に状況を把握できなくなります。
よって、プロファイリングの際は、誰の問題なのかを明確に意識し、どの意識にも揺るがない心を持つ必要があります。