1にも2にも3にも4にも

 

とにかく、自分の観念を注意深く見つけること。

 

 

 

 

 




 

私という存在は波動でできている。

 

全ては意識が作り出したもの。

 

自分が与えたものが自分に戻ってくる。

 

 

 

 

 

私にとって、現状に満足する。とは


怖いこと。でした。

 




成長は不足感からしか得られない。


と決めていたから。

 

 

 

 




 

こんなんで満足してしまったら、私の人生そこそこになってしまう。

 

いつも、このプレッシャーを感じていたと思います。


娘の七五三のお祝いをしました



紅葉もすごく綺麗だったー











 

不足を感じて、行動で変化させて

 

不足を感じて、修行して、不足を感じて、修行して。

 

 

 

 

そういう成長のさせ方が正解だと思っていた。

 

だから、それが自分の人生にとっての正解になっていく。

 

 

 

 

でも、それって終わりなきゲームなんですよね。

 

いたちごっこ。

 

いつも、不足を感じる苦しさ。

 

 

 

 




 

私にとって、


満足する。の定義は

 

終わり、最終地点、成長しない、伸び代がない、拡大しない、打ち切り。

と終わりを示すと定義していた。

 

 

 

不足、欠乏。の定義は

始まり、続きていく、成長する、拡大する、伸びる。

 

 




 

だから、今に満足するのは怠惰で怠慢。

現状に満足するのは停滞。

 

 

 

満足する。の定義が、物理次元の感覚でしか捉えられていないんです。

 

自分の満足は、現実に由来する。

あれば満足、満たされれば満足。

なければ不足、欠乏してれば不足。

 

 

 

 

現実に反応している。

私の満たされた気持ちは、現実に起因しているんです。

 

 


草紅葉とススキを見に行ったよ





 

 

だから、満足したら終わりで、


欠乏していたら続いていく。という


物質的次元からの見方になってしまう。




 

良いか悪いか?の二択。

 

 



 

いつも、目の前の現実に

私の満たされた気持ちは

左右されることになる。




 

ある。満足。

ない。不足。

ある。満足。

ない。不足。





 

これがいたちごっこ。

満足を追いかけて、ずっと不足でい続ける。

 

 

 

 

現実はいつも鏡側。

鏡に映る像は鏡像

 

 

 

 

鏡像に自分を満足させることを求めている。


鏡像に自分を悲しませたと怒って抗議する。


鏡像にまだ叶っていない。と文句を言う。

 

 

 

鏡像にいちゃもんをつけてしまうのは、

鏡像に力があると思っているから。



鏡像を映し出している、

自分にパワーがあると思っていない。

 


鏡像の作りがあまりにも巧妙で美しく、

生々しくリアルだから。

 

 

 

 

自分が反応しているのは、

鏡像だということを自覚する。



自分がどうにかしようとしているのは、

鏡像でそこにパワーがないと知る。

 

 

これだけで、自分の満足は鏡像に起因しなくなるハート








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