今日ハピビジ第2期のメンバーと個別ミーティングをしていた時に、思考がこんがらがってしまう。
という話になったんです。
例えばかわいいお洋服を着て鏡を見たら
鏡に映る自分がとても嬉しそうで、可愛くて、新しくかったお洋服が良く似合うな〜私

と思ったとします

嬉しくて誰かに見せに行きたくなって
見てみて〜
という気持ちになった時

『あれ?わたしがここで人に見せたいということは、人に見せるために買ったのかな?これは他人軸なのか?』と。
他人軸の疑いが入り、自分のことを否定しはじめちゃう。
また、私、、、人に認められようとした

なんて、若輩者なんだ
という妄想が広がり

変なモヤモヤエネルギーが出ます

でも、事実はシンプルで
●お気に入りの洋服が可愛かった
●鏡の前で着たらやっぱり可愛くてテンション上がった
●可愛くしてる自分にときめいた
●可愛くてしてる自分にときめいた自分がなんだかちょっと恥ずかしい

●でも、可愛いいから皆んなに見てみて〜
って見せたい

●見せたら反応がイマイチで落ち込んだ
●見せたらかわいいって言ってもらえてさらにうれしかった
これだけだと思うんです。
●可愛くてしてる自分にときめいた自分がなんだかちょっと恥ずかしい

が出てきた時に、この恥ずかしい私を隠すために、一瞬にして思考がやってきて
1人で舞い上がってバカみたい。
しかも、人に見せようだなんて、なんて他人軸。
という変な言い訳でてくるんです。
つまり、恥ずかしい。という感情をジャッジしてるんですよね。無意識に感じてはいけない。とジャッジしてる。
感じたこと、湧いてきたこと。はシンプルで、
●かわいい自分に舞い上がった私恥ずかしい



で終了です。
ジャッジしないんですよね

自分が何を感じてもいい
と許すと凄く楽なんです


恥ずかしさも、文句言われてズドーンと悲しく落ち込んでも、羨ましくても、何を感じてたっていいんです

感じる自由を自分に与えると、
とってもとっても自由になっていくし、
なんだ何感じてもいいんだったら、
私このままでいいじゃん



相手も相手のままでいいじゃん

と、とっても自由で楽なんです。
嫌いな人に対しても同じです

その人の〇〇が嫌い。
タイプじゃない。
在り方、話し方が嫌い。
嫌いを感じていいんです

"嫌い"を感じてもその人に攻撃ビームは送られません。笑
私はそういうの嫌い

で終わりです。
だからその人がどうとか、存在や価値とは関係ないんです。
夫ツヨシがフリーユアーマインドプロジェクトでもシェアしてるみたいで、ブログに書いてました。
↓↓↓
思考をこじらせちゃう原因もシンプルです

Theくっつけすぎ



悔しいだけ。
悲しいだけ。
嬉しいだけ。
嫌いなだけ。
しいたけ


お後がよろしいようで
笑


シンプルに〜


