以前、何かの記事で
托鉢の時は豊かな家ではなく、貧しい家に周っているというのを読んだことがあります
それは
"貧しい家の人は、人に与えることをしないから
自分達が貧しいと思い込んでいる"と
"托鉢をしている僧侶に与えることで
与えることの豊かさを体験できるのだ"と
今の世の中空気を読むことが良いとされていて
相手が何かアクションを起こすまでは
何もせず、
結果1人でいろいろやってしまうということになっていると思います
そして、後から
"あの人は何もせんかった"
"いつも私ばかりがする、あの人は見ているだけ"
"私がこんなに困っているのに全然助けてくれない"
といがみ合ってしまうのです
お願いしたり、されたりでお互いに迷惑をかけることで
お願いした人は願いが叶って助かるし
お願いされた人は相手を助けることができる自分の力に誇りを感じることができるし
良い事づくし
こうやって、相互の絆が深まっていくんではないのでしょうか?
私は経験したことはないですが、
お隣に醤油を借りに行っていた昔の日本の文化
お隣に
"醤油を貸して下さい"
とお願いすることができる
相手への信頼感が今の私達の社会をもっと
楽にしてくれるのではないだろうか?
そして、自分はここまでしかできないと思っている人も
お願いされることで
"本当はもっとできるんだ"
と気付くことができるかもしれない
そう思って、堂々と周りを巻き込んでお願いして欲しい^ ^