最近娘をあやしていて
ふと思うこと
それは
娘が泣く理由について
爪で顔を引っ掻いちゃって
眉間から眉まで
長めの痛そうな傷ができていて
血が少し滲みでてていかにも痛そう。
見てるこっちは
"痛かったね、ごめんねヽ(´o`;"
と心を痛めるのですが
本人はいたってニコニコ
そして、さらに
最近指をおしゃぶりしていて
口の中を切って血が出てしまっていた時も
"わぁ、口の中切れてる、大丈夫かなヽ(´o`;"
と思っているけど、本人は分かってない。
だけど、
そんな娘も
大泣きする時がもちろんあるんだけど
それは
私や誰かが周りにいなくて
寂しくて
この世の終わりのように
大泣き(; ̄O ̄)
眠たくても大泣き
お腹が空いても大泣き
うんちして気持ち悪いと大泣き
自分の寂しさや、欲求が満たされないと大泣きするのです
赤ちゃんはホントに快か不快かで生きてるんだなぁと
体の痛みなんて、二の次で
自分の心を満たすことを一番に生きていってる
というかそれしかない!
私達大人はどうだろう?
自分の欲求や、寂しさに蓋をして生きていってないだろうか?
いつから快か不快かで判断しなくなったんだろうと思う
生まれた時から
自分の欲求を満たす為に泣いているということは
そもそも私達は
自分の欲求を満たす為に生まれてきたんじゃないか?
と思う
だけど、なぜか大人になってからは
自分の欲求に蓋をして生きていってしまっている
蓋をした方がラクに生きれるのだ
さみしければ赤ちゃんみたいに泣けばいいし
欲しいものは欲しいと言えばいいのに
誰かに何かに遠慮して言えない
自分の欲求に素直に生きる方が難しい
そうして、自分の欲求と違うことをずっと続けていくと
自分の心がチグハグになって
心や体に不調が出る
赤ちゃんは体に傷ができてもそれが原因では大して泣かない
体に不調があるから辛いのではなく
心が辛いから体に出ているんだな
と娘を見て思う
私達は本能で欲求を満たす為に生きるようにできている
それなら、今蓋をしてしまっていることを
少し解放してみてもいいんじゃないかな^ ^