こんな受験はダメシリーズ
こんな大学生はダメシリーズ←凍結

『インドでリベンジ編』開始「十三暮らし」(とマルシェの話)

「阪神大震災」

こんな就職活動はダメだ

初日から火葬場で焼かれそうになり泣く

勉強は義務じゃない、権利

 

シリーズものに戻ります。

いよいよ目的地カルカッタ(現コルカタ)のマザーテレサの施設にやって来ました。

カルカッタのサダルストリートという有名な安宿街にある、ホテルパラゴンというホテルのドミトリーの部屋が私がその後約1年を過ごした部屋になります。
ドミトリーですから常に数人いる状態。6つくらいベッドがあったと思います。
日本人はもうひとり、同じくマザーテレサの施設でボランティアをされている方もホテルパラゴン住まいでしたが、個室でした。

部屋に鍵はありません。
というか、ドアすらなかったような気がします。
んー?あったのかな?
まぁ、あったとしてもずっと開放されてました。
窓枠はあって、窓はなかったような、、、
あったのかな?
窓が閉まっていた記憶がないです。

部屋の前はバルコニーというか、広場というか、、、

表現のしようがありません(笑)

要するに、ただコンクリートの壁に囲まれた(一応、屋根はありました)スペースにベッドがあって寝るという感じ。
前の広場では歌を歌い始める人がいたらみんな集まったりとか、私はギターを持って行ってましたので、私も歌ったりしてました。欧米人の前でビートルズ弾き語りしたりしてました。今から思えば、なんて勇気のある痛い日本人なのでしょうか(笑)
あと、私は週に一度、そのバルコニーか広場かでお米を炊いて卵かけご飯を食べていました。

宿泊費は1泊90ルピー(270円)でした(笑)

まあ、ホテルとは名ばかりというのは分かっていただけるかと、、、

ベッドは、南京虫がデフォルトでついています。
シャワーはもちろん水しか出ません。
あと、私はミネラルウォーターを買わず、水道水を飲んでいましたので、
食費なんかもあまりかからず。
インドと言えばカレーとナンというイメージを持たれるかも知れませんが、ナンはわりと高級なお店にしかないもので、タンドリーチキンなんてとんでもない、みたいな。
ナンではなくチャパティーというペラペラのものを食べていました。
朝のチャイは素焼きの器に入ってるちっちゃいやつで、飲んだら器をすてて割るというワイルドなもの(笑)1杯1ルピー(3円)でした。
まぁそういう感じで月1万円ほどで生活をしていました。

マザーハウスでボランティアの受付をしていたので、申し込みに行き、あっさりとオッケー。
施設はいろいろありましたが、私はもちろんカーリガート(死を待つ人の家)です。
結核、マラリア等に罹患していたりして、でも病院に行くこともできず、身寄りもなく、道端で亡くなりかけているような人を連れてきて世話をする場所です。
「死ぬ前くらいは愛を与えられた気持ちで死なせてあげたい」というような考え方で、マザーテレサが最初に活動を始めた場所、聖地です。

骨と皮だけの人がほとんどでした。
運ばれて来た時にまず宗教を聞きます。
宗教によって葬られ方が違うからです。
そうです。
亡くなる前提で運ばれる方の場所なんです。
それが死を待つ人の家の意味です。

火葬される、水葬される(川に流す)、土葬される、怖いのでは鳥葬というのもありました。それぞれの場所に運びます。
私も何度か運びました。

シスター達と、ボランティア達でそういう人たちの世話をする、そういう場所です。

あんな所でボランティアして、なんで笑顔でいられるのか、という私の疑問は初日でなくなりました。
はえが飛んでようが、病人だらけであろうが、自分が元気ならなんともない。
単純過ぎるけど、実際そうだったんです。

オッケーリベンジ完了、そして帰国か?
そんなことにはなりません(笑)

次回予告「カレーカレーカレー」

つづく