受験勉強に関するブログを書き始めた頃の初期に「『テクスト(テキスト)』と『コンテクスト(コンテクスト)』」について書きましまし。
ブログはちょうど勉強を始めて1年くらい経ち、何となく勉強法が見えてきた頃に書き始めました。
”キーワード”に関するブログはいくつか書きました。
勉強してる”キーワード集”に感動し、世の中はこの”キーワード”でできていると思ったからです。
この「テクスト(テキスト)」と「コンテクスト(コンテキスト)」は「抽象」「具体」と同じように非常に重要な概念です。
もう一度 書きます。
『現代文 キーワード読解』には次のように書かれています。
「テクスト(テキスト)」
言葉によって書かれたもの。文章表現。
[解説]書き手がテクストに込めたメッセージは、テクストが読まれる時に、
読み手によって自由に解釈される。このため、テクストの読み方に
「一つだけの正解」はない。
一方、近代の「作者」「作品」という概念は、作者の意図が正解として
まずあって、それが作品を通じて読者に伝達させるという単線的・一方的な
図式が前提とされてきた。「テクスト」は、こうした近代的な「作品」
「作者」という考え方を退け、自由で多様な解釈を肯定する概念として
提唱された。
「コンテクスト(コンテキスト)」
① 一般には文脈のこと。文章の流れの中にある意味の繋がり具合。
② ①が転じて、ある事柄の背景やまわりの状況のこと。
[解説]テクストは単独で意味を持つものではなく、他の言葉や文との関係の中で
文脈<= コンテクスト>をつくり、その文脈の中で意味をもつ。会話で
あれば、その言葉が発せられた状況や背景にも依存する。さらに、歴史や
文化も大きなコンテクストになる。
ぼくにとっての「テキスト」とは教科書的なものでした。
社会人になってから資格試験を取る場合、この「テキスト」と「問題集」と「過去問」が登場しました。
また、自動車免許の更新時などに受ける講習などの小冊子も「テキスト」と言われます。大学時代の講義で使う本も「テキスト」と言っていました(「教科書」という先生もいました)。
そして、もう一方の「コンテクスト(コンテキスト)」という言葉は初めて見る(聞いたことがない)言葉でした。
[DOCTORS 最強の名医]
「『テクスト(テキスト)』と『コンテクスト(コンテクスト)』」に書いてある例え話は、テレビ朝日系列で放送されていた「DOCTORS 最強の名医」からでした。
堂上総合病院を舞台に沢村一樹 演じる外科医・相良浩介と高嶋政伸 演じる森山卓を中心とするチーム森山が対立する勧善懲悪コメディです。
ここに相良先生に想いを寄せる比嘉愛未 演じる看護師・宮部佐知が登場します。
宮部は相良先生に対する想いを言葉にすることはできません。
しかし、表情や態度、想い以外の言葉では十分表現しています。
また、宮部の周辺にいる看護師仲間は視聴者にわかるようにそれとなく発言します。
「メラビアンの法則」というのを聞いたことがありますか?
社会人になり何度か研修を受ける中で、時々 出会った言葉です。
コミニュケーションの要素を言語・非言語に分解し、その割合を示した法則です。
視覚情報(55%)見た目、しぐさ、表情、視線
聴覚情報(38%)声の質や大きさ、話す速さ、口調
言語情報( 7%)言葉そのものの意味、会話の内容
だから、顧客に不快感を与えない髪型や服装、腕時計や靴などの外観や笑顔であること、話すスピード、落ち着いた口調などが大切だと習います。
話す内容よりも、それ以上に「信頼できる人」と思われることが大切だと習います。
「目は口ほどにものを言う」や「沈黙は金」とも言います。
ドラマや映画、舞台などでは「間(ま)」や「沈黙」も表現の一種です。
人がコミニュケーションを取る手段は、具体的な”言葉”意外にも色々とあるのです。
「DOCTORS 最強の名医」に戻ります。
宮部の言動は視聴者に多くの情報を提供してくれます。
宮部が相良先生に想いを寄せていることもドラマの流れ(コンテクスト(コンテキスト))からわかります。
そして「相良先生。もー嫌い」という発言です。
当然、相良先生に面と向かって言うわけではありません。一人になったときに思わず口に出てしまう言葉です。
これはドラマです。視聴者に向けての言葉です。
宮部が「相良先生。もー嫌い」と言ったからといって相良先生のことが嫌いなわけではないことは誰もがわかるはずです。
むしろ、この「相良先生。もー嫌い」は「私の気持ちをわかってくれない相良先生。もーイヤ」という感じでしょう。
これが「コンテクスト(コンテキスト)」です。
[政治家の失言]
故 安倍晋三元首相の言葉に「政治家が失言する場合は、サービス精神旺盛なときと例え話の中で」というものがあります。
「サービス精神旺盛」なときとは自分を支持してくれている有権者を前にして、面白おかしく話をしているときについつい言い過ぎてしまうことだと思います。
誰かのこと、何かのことを揶揄すると聴衆者から笑いが起こり会場が盛り上がるのでしょう。
しかし、それが言い過ぎてしまい「失言」となるのです。
そして、もう一つが「例え話」です。
例え話なので”具体的”な話です。例え話と言うことは何かイイタイコトがあり、わかりやすく何かに例えているのです。
「抽象・具体」がわかれば、本来のイイタイコトは”抽象”な部分であり”例え話”はあくまでも”例え話”です。その例え方に問題が指摘されるのです。
新聞・テレビなどのメディアが騒ぎ、野党議員なども騒ぎ謝罪・辞任を求めます。
当初、失言を指摘される政治家も本来の趣旨・イイタイコトと違う部分が問題となり呆気に取られた感じですが、渋々 謝罪会見を行います。謝罪していますが納得していない様子です。何せイイタイコト・話していた内容からするとどうでもいい部分で謝罪・辞任を求められるからです。
上記の「DOCTORS 最強の名医」の例で言うと、宮部が「相良先生。もー嫌い」と言えば、宮部は相良先生が嫌いだということになります。
政治家の発言全体にも流れ・コンテクスト(コンテキスト)があります。
そもそも、何の話をしていたのかが重要になります。
それを言葉を生業としているメディアは切り取って大騒ぎして世論に訴えます。
今はネット社会なのでメディア以外の人も発言の全体像や動画などを投稿して見ることができる時代です。
いかにメディアがデタラメであるのかもわかる時代です。
[歌]
ここ最近、テレビでは幅広い世代向けに過去の歌に関する番組が作られています。
懐かしいと思ったり、思い出の一曲に感する番組です。
一般人にも思い出などをインタビューしていますが、それぞれの思い出や感想が違っていて面白いです。
いわゆる「応援ソング」などでも、失恋や受験の失敗、身近な人の死、全国大会を目指しながらの敗退など様々な背景があり、様々な受け取り方をしています。
まさに解釈は自由です。
以前、テレビ番組で松任谷由実さんが出演する番組を見ていました。
「ひこうき雲」作られたときの背景の話をしていました。
ユーミンが高校生のときの友達が亡くなったことを話されていました。
火葬場の煙突から昇る煙を見てそのときの感情から着想したそうです。
ぼく自身、何度も聴き口ずさんできましたが、人の死と関係あるとも考えてもみませんでした。
今はググれば歌詞が出て来るので、確かにそうだなぁと思います。
音楽家は何らかのメッセージを乗せて曲を作ります。
その一方で、受け手側に何らかのメッセージが届けばいいという思いもあるようです。
より多くの人に聴いて欲しいがための”何らかのメッセージ”です。
つまり、解釈は自由です。テクスト(テキスト)です。
鑑賞して批評する。まさに学校の「国語」の授業です。
参照:「現代文 基礎問題精講」
ただし、勝手に解釈してはいけないものもあります。
古典の和歌や漢文です。
解釈の仕方がしまっていてそれに従って解釈する必要があります。
また、現代文も国文法や構文に従って解釈していきます。
勝手な解釈では得点できません。
受験国語と作品鑑賞は違います。
上記の『現代文 キーワード読解』の”テクスト(テキスト)”の一番最後にこう書かれています。
「・・・概念として提唱された。」
”テクスト(テキスト)”は人工的に作られた概念です。
「抽象・具体」と同じようにこの「テクスト(テキスト)・コンテクスト(コンテキスト)」というのも非常に重要な概念・考え方だと思っています。
「国語」は非常に重要な教科です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。