「現代文」は面白い。

「キーワド集」は面白い。

 

大人になって、『受験勉強』をやって見て、様々なことに気がつきました。

 

「ことばはちからダ!現代文キーワード」

『分節化』 ・・・ 区切りをつけて意味を与えること!

 

「現代文キーワード読解」

『分節』   ・・・ 切れ目を入れて分割すること。言葉のはたらきの一つに分節という機能がある。

           たとえば:名づけることは文節の典型的な例だ。

 

テレビを見ていた時のことです。マルクスについて解説していました。彼の肩書きが「哲学者」だったので、ぼくは意外に感じました。なぜなら、ぼくの認識では、マルクスは「経済学者」だったからです。

書店に行って彼の著書を売り場で探します。すると、「経済」の棚に彼の著書(例えば「資本論」)を見つけることができました。しかし、「思想」の棚にも彼の著書があったのです。マルクスは、「哲学者」であり「経済学者」だったのです。

 

これより以前に、同じくテレビでアダム・スミスについての解説がありました。有名な「見えざる手」に言及している著書「国富論」より前に「道徳感情論」を書いているので、「経済」よりも「倫理」が重要である、という趣旨の番組でした。

 

また、別の番組です。やはり、アダム・スミスについてです。「経済学者」の解説です。「見えざる手」に任せていたら、人間の欲望によって市場は混乱し破壊される。だからアダム・スミスは間違っている。

 

『現代文』に触れていて分かったことがあります。それは、アダム・スミスは「経済学者ではない」と言うことです。ぼくの知識では、「アダム・スミスは経済学の父と呼ばれている」です。つまり、アダム・スミス自身は「ぼくは経済学者だ」なんて思っていなかったはずです。後世の人たちが、「経済学」という概念を作り出したとき、過去に遡れば「アダム・スミス」にたどり着いたというわけです。

「哲学」から「経済学」が「分節化」されたのです。

 

コペルニクスやニュートンが星を観察しながら様々な原理や法則を思いついたも、ダーウィンが生き物を観察して進化論を思いついたのも、アダム・スミスやマルクスが社会や人間を観察して独自の理論を打ち立てたことも同じだということです。

みんな「哲学者」なのです。

 

『現代文』ではデカルトがよく登場します(笑)。デカルトの「二元論」から様々なものが生み出されていますが、「物」と「心」を分節化した結果、「心」の研究(観察・実験)は、フロイトやユングの「心理学」へと「分節化」されました。

「医学」でも東洋医学は漢方やつぼのように体全体のつながり・関連を考えますが、西洋医学は機械論をもとに個別の治療・移植に繋がることも面白いことです。

 

分節化された「心」は経済学と結びついたり、倫理学と結びついたり、いまやAIなど先端科学技術とも結びつこうとしています。

 

「絵画」も観察した結果を正確に写すことから始まったのではないでしょうか。人や物や自然は描くことの「対象」であったのに、描くことが「目的」となり、そこから遠近法が考案されたり、さらに「感情」を表現するようになったりと。

 

レオナルド・ダ・ビンチです。

音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木学など

ずいぶん「分節化」されています(笑)。

天才だと言われていますが、本人が見たらビックリするはずです。

 

普遍性を追求する。深く考える。観察する。実験する。

対象はなんでもいいのです。

物事の本質を見極める。

 

学問とは「哲学」だと思います。

つまり「考えること」です。

「本質について考える」ことです。

それを「覚えること」だと勘違いしている人が多いと思います(学校の勉強や受験勉強)。

まさにぼくがそうでした。

考えるためには、基本的な「知識」は必要なのですが。

 

『現代文』の評論文を読むだけでも、世界史や日本史や物理や英語や数学や美術・芸術・・・様々なものに興味が沸いてきます。「なぜ?」。「もっと詳しく知りたい」。

 

中学生や高校生はもっとを「知的好奇心が湧くもの」を学ばなければならないはずです。

学問を「分節化」しすぎているのではないでしょうか。

こういったことを考えながら「評論文」を読んでいると、読解から脱線してしまい、時間がかかってしまいます(笑)。

 

ぼくは以前、ポルトガルやスペインが世界に飛び出し、戦国時代に日本に来た話を書いていました。

ヨーロッパでは、イギリスやフランスやその他諸国やロシアはお互いに戦争をしながら世界地図を塗り替えていって再び日本に来たのです。それが幕末です。日本史は世界史とつながっていることを書こうと思っていましたが研究不足でした。

 

『現代文』の評論文を読んでいると、歴史の教科書以上に歴史を「哲学」的なものとして考えさせられます。年代や人物や事件など表面的なことだけではなく、人間の内面や社会制度を加味した歴史です。

 

『現代文』の評論文の概略です。これを「批判」しているのです。

『現代文』の特徴として、「近代批判」が挙げられています。

ヨーロッパでの「近代化」は、①ルネッサンス期(14世紀~16世紀、イタリア)の「人間精神の解放」「個の自由」、②市民革命(17世紀~18世紀、名誉革命、フランス革命など)封建国家から近代国家への移行、③産業革命(18世紀~19世紀)、の頃に少しづつ進行しました。

デカルトニュートンが登場します。2人とも17世紀頃の人物です。

 

日本の場合は、明治維新(1868年が明治元年。つまり19世紀)以降の明治時代に社会は短期間に大きく変化しました。引き続き大正・昭和と進み悲しい大戦へ突入します。

 

『現代文』と『世界史』はつながっています。『世界史』と『日本史』はつながっています。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。