福島の酪農家の現状について、「うちのとらまる」さんからの転載です。 
http://ameblo.jp/uchino-toramaru/entry-10932997684.html

落日


私が 初めて牛舎を訪れたのが 4月9日

震災から 約1ヶ月 経っていました


うちのとらまる



原発の水素爆発などの事故で


立ち入りが制限された20km圏内にある 浪江町の牛舎




約50頭ほどいた 肥育用ホルスタイン雄牛たちは


事故以降 飲まず食わず状態になってしまいました



うちのとらまる



この時すでに3分の1は餓死


残った牛たちが死ぬのも時間の問題



うちのとらまる



しかし この惨状を知った


ボランティア団体さんや個人の方々が動いてくださいました



皆で協力し情報交換しながら


給餌給水をして


なんとか生きながらえさせようとする活動が始まりました


牛の餌 数百キロを南相馬に送りつけた 滋賀県のボランティア団体


そしてその餌を2トントラックで牛舎まで運んでくれた千葉の若者


実家が南相馬だということで協力してくれた埼玉の主婦


皆がそれぞれの役目を果たし活動したのでした


みんな牛たちを助けたい一心で活動しました


もちろん他の方々で世話をされた方は絶対いらっしゃったと思います


が・・・


全頭の 牛たちのお腹を継続して満たすには


餌も水も 圧倒的に足りなかったのでした




うちのとらまる




少しずつ数を減らしながらも


なんとかぎりぎり生き延びている牛たちがいました


生きていれば必ずチャンスが来る


それを信じて・・・




うちのとらまる



5月に入ってから


私が訪れた時に見た光景



誰かが牛舎の柵を開放してくれたのです



これで牛たちは自由に草を食み 水のあるところにも行ける


私は喜びました





うちのとらまる




しかし このことによって悲惨な状態も引き起こしました


用水路に水を求めた牛たちが落下し


出られなくなっていたのでした



これを心配くださった個人の方が


神奈川県からわざわざいらっしゃって


重機で救出してくださったり






うちのとらまる



またある方は用水路の水門を閉めて


水位を上げて水を飲みやすいようにしてくださいましたが



渇ききった牛たちには こちらの思いなど通じるはずもなく


どんどんと用水路に落下していきました




うちのとらまる



結局


家畜という種類の生き物たちは


犬や猫と違い


あまりにも大きく


1箇所に あまりにもたくさんいて


私たち個人では


どうにもならなかったのでした





うちのとらまる




このやせ細った牛


この子 一匹すら助けることはできませんでした



餓死という 一番辛い死に方をさせてしまった


本当にかわいそうな事をしてしまいました






うちのとらまる



6月19日



4月22日に警戒区域に指定されてから


なかなか訪れることができなかった牛舎に


やっと来ることができました


前回から1ヵ月半も間が開いています



時間は夕方6時半





うちのとらまる




中を覗くと


生きているものは何もいません



前回 大量発生していた蛆さえもすでにいなくなっています



夕日に照らし出されているのは毛と骨のみ


あれだけ必死に鳴いていた牛たちは


こんな姿になってしまいました






うちのとらまる




牛舎の裏にある用水路にも白骨化した牛たちがいました


食べるものがいなくなった 用水路のふちの草が生い茂って


ここに落ちてしまった牛たちが もう生きていないことを物語っています






うちのとらまる






この牛舎を見つめた3ヶ月間



牛たちの悲劇の責任を


私たち人間は とらなくてはいけないと思い


必死で写真に記録しました



こんな牛たちがいたことを


皆さんに知って頂きたかったのです




山に日が落ちて


私はここを去ることにしました



~~~~~~~~~~



酪農家の方の気持ちを考えると言葉を失います。



このような現実があるにもかかわらず、復興そっちのけで一部の政治家や事業家が金儲けするための法律「再生エネルギー法」を成立させることに夢中の菅首相と、彼を最大限利用しようとする孫社長。



震災を延命や利得の手段に利用するのはもうやめてください。




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