ヨルダンでの二日目は、ペトラとは全く違った趣の方向性で、Bethany Beyond The Jordan へ向かいました。日本語では「ヨルダン川の向こうのべサニー(ベタニア)」とか直訳されるようですが、これだと長いので、ここでは「BBTJ」と略して呼ばせていただきます。因みに現地語では、アル・マグタス (Al-Maghtas) とも呼ばれるようです。

 

 二日目と言いましても、ヨルダンに到着したのが真夜中の1時で、最終日にイスラエルのテルアビブに戻る便が朝6時半出発とかでして、三泊とは言っても実質中二日しかないわけで、早くもこの日が最終日みたいな感じでした。あっという間のヨルダン滞在でしたが、正直申しまして、ヨルダンという国に特別に惹かれる人とかでない限り、ヨルダンの観光にはそんなに時間をかける必要はないと僕は自分勝手に感じています。ある意味で効率のよい旅程であったと僕は思っています。

 

 BBTJは、考古学的に、かつてイェシュア(イエス)が、洗礼者ヨハネ (John the Baptist) に洗礼を受けた場所だとされ、その場所が遺跡として保存されています。また、その河川敷には、キリスト教の種々の宗派の教会が林立していることでも知られ、イスラム教の国であるヨルダンにおいて、特殊な地域になっています。

 

 

 この地域を訪れるだけであれば、首都アンマンからのツアーに参加することができます。ネットで検索すれば、簡単にツアーは見つかります。しかし(僕はキリスト教徒でもユダヤ教徒でもないので、聖書というものを正式に読んだことがないのですが)ここを訪れると決めた辺りから、既に洗礼者ヨハネに強く導かれておりまして、そこには不思議とイライジャ (Elijah)或いはエリヤのエネルギーも感じていました。そして、そのせいか普通にツアーとは違った形でBBTJを訪れる術がないか、クレヤコグニザント的に模索していました。

 

 すると、どうやらこのBBTJのヨルダン川で実際に洗礼をしてもらうことができるということを知りました。もちろん、洗礼というものはキリスト教の範疇の儀式と定義づけられます。しかし、僕的にはその辺はどうでもよくて、BBTJにて洗礼を受ければ、あとは洗礼者ヨハネとイライジャ(エリヤ)がエネルギー的に全てを行なってくれるとわかっていました。

 

 BBTJの正式なウェブを閲覧しまして(下のロゴをクリックすると、そのページを開けます)、そこに書かれているメアドに連絡してみました。

 

 

 すると、すぐに返事が来まして、「キリスト教徒であるあなたの宗派を教えてください。」と訊かれました。先述の通り、僕は今生では宗教には関係がなく、まして宗派などとは無縁です。しかし、この質問に答えないと次には進めないので、自分の近しい過去生を色々慮って「カトリックです。」と返答しました。すると、BBTJにあるカトリックの教会の一番偉い神父さんの電話番号を提供してくれました。「ここに電話しろ。」ということかと思いましたら、「WhatsAppでメッセージを送って洗礼のアポを取るといいよ。」とカジュアルに指示されました。最近の神父さんは普通にスマホを使いこなすんですね(笑)。

 

 

 その後、ナビル・ハダッド (Nabil Haddad) さんという神父さんと、何度かメッセージを交換しまして、ヨルダン二日目の午前11時から洗礼をしてもらうということで決定しました。洗礼代は一人あたり100ヨルダン・ディナール(日本円で約19,000円ぐらい)で、あと洗礼場所へ行ったり来たりする神父さんの移動代(?)が40ヨルダン・ディナール(日本円で約7,600円)だと言われました。そして、これとは別に寄付金もいくらか支払うのが通例みたいなようでした。ヨルダン・ディナールが意味不明に強いのに反して、ここオーストラリアのドルが結構弱いので、僕たち2人の洗礼を手配するのに、意外と馬鹿にならない出費となりました。

 

 あとは、アンマンのホテルからBBTJへの往復の足です。先述しましたように、ただ訪れて観光するだけというならば、ツアーに参加してBBTJに来るという手があり、それが一番手っ取り早いと思います。しかし、ツアーの団体客としてやってきてしまいますと、時間的な意味でも、また洗礼場所への移動手段などの理由によっても、洗礼を受けることが不可能となりますので、この点にまずご留意ください。

 

 

 また、日本的な感覚で、「アンマンのホテルからBBTJへの行きと帰りの足だけをお願いします」という風に運転手を手配するのも間違っています。BBTJのある一帯は、比較的高地にあるアンマンから、ほぼ死海と変わらない海抜マイナス何百メートルの河川敷まで、耳鳴りを経験しながら一気に下りていったところにある、まさにそれ以外何もない殺風景な河川敷です。ですので、運転手は、私たちをBBTJでおろしてからわざわざ数時間どこか別のところに行って時間を潰して、私たちがアンマンに戻る時刻に再びBBTJに戻ってくる、ということはしません。私たちが最終的に去る時刻までずっとBBTJにいます。これにはビジターセンターから洗礼の場所までの足としての役割も含まれていることにも起因します。更に詳説します。

 

 

 ここBBTJの特殊な点は、ヨルダン川そのものが、ヨルダンとイスラエルという仲の悪い国の国境になっていて、ライフルを持った兵隊さんが仕切っている軍事地帯にあるということです。ですので、ビジターセンターにやってきた人は、アンマンからのツアーの団体客であれ、個人でやってきた人であれ、皆一律にBBTJが主催する正式な遺跡ツアーにこのビジターセンターで到着順に申し込むことになります。そして、そこから定期的に出るBBTJの小型バスに乗り、兵隊さんたちが仕切っているゲートを通過して、ヨルダン川のほとりの遺跡に向かうわけです。そして、ガイドの立ち合いのもとで色々説明を聞きながら、遺跡を巡ります。

 

 因みに、このビジターセンターには、遺跡発掘の軌跡みたいな写真がパネルで貼ってあったりしている以外は、他に全く何もありません。一応、敷地全体の地図みたいのもパネルに含まれているのですが、どう眺めてもなんだかわかりずらいマップです。また、いわゆるお土産屋もここにはありません(お土産屋は、後述しますように、ゲートの向こう側にあります)。ま、トイレはありますので、ここで済ませておくのがいいでしょう。

 

 

 さて、このゲートですが、ここは通過証みたいなものを持たない個人が勝手にビジターセンターから車で向かって行っても通してはもらえません。下手をして拗らすと、拘束される可能性もあります。洗礼の予約が入っている人でも、こっちから勝手にヨルダン川沿いにある教会に向かって行こうとしたところで、このゲートを通過することはできません。ですので、神父さんの方からビジターセンターに私たちを迎えに来るのが通例です。その神父さんの車での誘導によって、そのあとを自分たちの車がついていくことになるわけです。この際に、ゲートを通過できる必要があるので、神父さんは予めうちらの乗っている車のナンバーをゲートのオフィスに報告しておく必要があります。ですので、アンマンのホテルに運転手さんが迎えにきてくれた時点で、その車のナンバーの情報をWhatsAppで神父さんに知らせることが必要不可欠となるわけです。

 

 さて、僕たちを迎えにきてくれたナビル神父は、どうやらとても有名な人だったようで、ビジターセンターにやってくると、あらゆる人たちが両手で彼に握手を求めていました。ものすごいオーラとカリスマ性を発した方で驚きました。

 

 

 彼の車に先導され、僕たちの車も無事にゲートを越えられました。すると目の前が開けてきて、右側に種々の宗派の教会が見えてきました。川の遥か向こうには、イスラエルのジェリコの街が見えて、この二つの国が如何に遠くて近い関係なのかを実感する瞬間でした。

 

 

 カトリックの教会がある辺りで車を止めると、その前にある洗礼儀式用の河川敷に案内されました。そこでは、カトリックの若者たちの集いみたいなものが既に行われていて、聖書を持った若い神父さんに導かれて、白い装束を纏った人たちが順番にドロドロのコーヒー牛乳のような泥水に頭まで使ったりしていました。おそらくこれが洗礼なのだと悟り、「え、僕たちもこれに浸かるの?」とちょっと心が後退りしました。

 

 

 オーラ全開のナビル神父が現れると、「あ、有名人がやってきた!」的な騒動になり、気をよくしたナビル神父は若者の前でスピーチをし始めました。そして、「あ、それから、今日はオーストラリアから、特別な友人でありゲストが2人来てるんだよ!」みたいな前置きで僕たちを紹介してくれました。何も知らない若者たちに「あの有名なナビル神父の友人でゲストということは、きっとオーストラリアで著名なカトリックの神父か何かなんだろう。」と思われたことは必至でした(笑)。ぜんぜん違うのにー。

 

 

 その後も、若者たちが次々に白装束で泥水に浸かっていくのを更に見学し、「さあて、そろそろうちらも白い装束に着替えるのかな?」と腹を括り始めていると、ナビル神父がそこに設置されている水を湛えた石の祭壇みたいなところに蝋燭とかを置き出しました。疑問に思って尋ねると、

 

 「いや、この泥水に浸かって『洗礼』はやっぱおかしいでしょ。僕自身、泥水に浸かるのも嫌だしね。僕はね、この祭壇にある聖水を浸かって正式に洗礼を行うんだよ。」

 

だそうでした。

 

 ということで、結局、白装束に着替えることも、泥水に浸かることもなく、洗礼場の聖水で洗礼を受けることになりました。どうやら、この若者たちは正式な(?)洗礼をあまり見たことがないとかいうことで、僕たちの洗礼の見学をしたいことになりました。おそらく、彼ら的には「オーストラリアの有名なカトリックの神父か何かである彼らが、なんで今日ここで洗礼を受ける必要があるんだろう?」って不思議に思ったに違いありませんが(笑)。

 

 

 何度も文章を復唱させられたりして、正直、その内容はあまり理解できていなかったのですが、頭の周りでのキンキン音が止まらず、青と緑のエネルギーのリボンがクルクル回っていて、途中意識が何度もフワーッと拡張して飛びそうになりました。洗礼者ヨハネとイライジャからのイニシエーションが起こっているのは明らかでした。幸い、手に持った蝋燭の蝋が何度も手に滴り落ちたりしていたので、その度に我に返っていましたし、冷たい聖水を頭にかけられた時には、思いっきり我にかえりました。

 

 洗礼の儀式が終わると、一旦教会の方に戻り、そこで記念写真を撮らせてもらいました。その後、再び車に乗り込んで、遺跡への入り口みたいな地点まで行きました。「ここから勝手に遺跡に入って見学してから帰るといいよ。」と口頭での許可をもらい、ここでお礼を言って、サヨナラをしました。

 

 

 長い散策路を真っ直ぐ行って左の方へ道なりに向かうと、やがてギリシャ正教だかロシア正教だかの煌びやかな金色の教会が見えてきます。ここを突っ切っていくとヨルダン川の河川敷に出るのですが、そこにはライフルを持った兵隊さんたちが割拠していて、フリーに歩いている僕たちを見て、いきなり「お前たちは、どのツアー?」と怪訝そうに尋問してきました。「ナビル神父から勝手に歩いて見学していいと口頭で許可を得ました」などと説明したところで、彼らに通じるとも思えず、困った僕たちは、今河川敷でガイドに説明を受けている団体を指差して、「あのツアーです」と嘘をついて「僕たちは水に入りたくないのでここに残っているんです」と咄嗟に嘘をつきました。その後、兵隊さんたちが向こうに歩み去って行ったのを見て、ゆっくり何事もなかったかのように後退りしてその場を無事に去りました。繰り返しますが、川に面したところはまさに国境そのものなので、警備が厳しいんです。

 

 

 来た道をちょっと戻り、今度は右の方向へ小道を歩いていくと、やがて、「まさに、ここでイェシュア(イエス)が洗礼を受けた」という曰くつきの遺跡に辿り着きました。幸い、ツアーの人たちが誰もいないタイミングであったので、サラーっと歩き回り、写真を撮って、少し瞑想した後、元来た道を戻りました。正直、ここではエネルギー的にはあまり多くを感じませんでした。

 

 

 僕たちの運転手が待っている遺跡の入り口の地点まで戻ると、そこには小さなお土産屋がありました。ここでBBTJの聖水のお土産とかを買えます。先述のようにビジターセンターにはお土産屋はなく、ここでお土産を買うのが基本のようです。

 

 

 色々買い込んで、車に乗り込むと、ふと、ナビル神父が洗礼後に言ったことを思い出しました。

 

 「君たち、もし時間があったら、ネボ山 (Mount Nebo) に行きなさい。」

 

 なんでもない一言だったのですが、僕はそれがガイドたちからのお告げ的な指示であったということを瞬間的に悟り、運転手さんに掛け合ってみました。すると、別途料金を支払えばという条件で、連れて行ってくれることになりました。

 

 BBTJを去り、道路を北上し、曲がりくねった山道をひたすら登り続けると、やがて山頂のとても景色のいい遺跡に到着しました。

 

 

 ネボ山は、エジプトを逃れたユダヤの民を引き連れたモーゼが、彼自身がカナンの地に入ることを主に許されず、最期の日々を過ごした場所とされていまして、山頂の遺跡には、そのモーゼに捧げられた教会が立っています。

 

 

 この教会の中に入り、椅子に腰を下ろすと、キーンという音に包まれました。とてもキラキラした音で、共感覚のある僕は、あたかも上から金粉が降ってきているようなそんな素敵な色合いを感じていました。やがて、クレアコグニザント的に何かを学びました。どうやら、BBTJの洗礼で洗礼者ヨハネとイライジャ(エリヤ)から受けたイニシエーションは、このネボ山の教会でモーゼによってアクティベートされる必要があったようです。洗礼者ヨハネの蒼いエネルギーと、イライジャ(エリヤ)の深緑色のエネルギーはどこかでスペクトラム的に連続的に繋がっていて、そこにキラキラした黄金色のモーゼのエネルギーが加わることによって、なんらかのアクティベーション的なアルケミーが起こったような、そんなイメージが降りてきていました。

 

 因みに、モーゼといえば、彼のエジプト時代に、ラムセス2世の最初の妻であるネフェルタリに種々の援助を受けたという話をどこかで聞いたことがあります。ネフェルタリに関しましては、ラムセス2世の熱い懐抱(エジプト随想録・前編)に間接的に書かせていただきました。やはり、モーゼとはどこかで繋がっていたのがわかりました。

 

 また、イライジャ(エリヤ)からの働きかけは、この後イスラエルに行った時にも数回ありました。ハイファ (Haifa)にあるステラ・マリス修道院 (Stella Maris Monastery) と、ワディ・ケルト (Wadi Qelt) にある聖ジョージ修道院 (St. George Monastery) のそれぞれにある洞窟にて、とてもパワフルなイニシエーションをもらい、この時期は朝ベッドから起きられないほどにエネルギー的に結構苦悶しました。エネルギー的な大手術をされた後のように、肉体だけでなくエネルギー体ごとずっと重苦しかったのを憶えています。これにつきましては、いつかまたお話しさせていただきます。

 

 ま、こんな感じで、ヨルダンの立ち寄り旅はあっという間に終わりました。結構身体的には疲労感が残りましたが、「ヨルダンは見尽くした。もうここに帰ってくることはない。」という達成感みたいなものがあり、満足顔でイスラエルのテルアビブに飛びました。